【上映プログラム 6月】
6月6日(土) 学校がなくなるとき
11:00〜
「てっぽんかっぽんの咲く分校」1981年 40分 日本海テレビジョン放送
鳥取県にある町の小学校。分校の生徒、2年生は一人だけ。「てっぽんかっぽん」はフキノトウのこと。豪雪に耐えて生きる姿をたとえています。小さな学校の春、3年ぶりの新入生を迎えました。
「てっぽんかっぽんの詩 大谷分校の春」1984年45分 日本海テレビジョン放送
生徒2人、4年生と6年生。過疎化する村で老人世帯ばかりですが、22歳の新しい先生が赴任してきます。明るく強くなるのが目標という6年生の女の子と男性教師の一対一での分校生活が始まります。
14:00〜
「てっぽんかっぽん物語 サヨナラ大谷分校」1986年55分 日本海テレビジョン放送取材
10年、50時間近く記録してきたテープをもとに、少女の成長が伝わってきます。村には子どもはいません。最後の卒業生、分校のお別れ、楽しかった小学校の記憶は忘れることはないでしょう。
「学校がなくなる 山形県温海小巌川分室」1984年 30分 NHK仙台放送局
東北の農村は過疎化し、教育行政の効率化をはかった学校統廃合が推進されました。温海小巌川分室も廃止が決定されましたが、児童63名の父母は同盟休校という手段で、存続を訴えました。
「さよなら山瀬分校」1991年 40分 ケーブルステーション北九州
佐賀県唐津市浜玉町山瀬は人口が26人(平成3年当時)。分校は児童数0で休校となりました。取材は1983年〜1991年まで、そのシリーズの第7作で、学校とは何かを考えさせます。
6月7日(日) やすらかな死をもとめて
11:00〜
「老いてひとり」1984年 47分 東海テレビ放送
三重県四日市、古い市営住宅で、生活保護と年金生活で一人暮らしの老人たちに密着しました。体が不自由になって施設に入った老人たち、日常生活の中で、高齢社会の問題がみえてきます。
「老いの村 伊那谷からの報告」1986年 48分 信越放送
長野県下伊那郡阿南町和合の日吉・心川・鈴ケ沢の3地区は、65歳以上が人口の32.8%を占めます。しかし、明るく元気で、寝たきりや痴呆性の老人はいません。山で生きる老人の行く末をみつめます。
14:00〜
「生きる 聖隷三方原病院 ホスピス病棟」1983年 50分 テレビ静岡
末期がん患者の苦痛を和らげ、精神的な援助で残された日々を充実に生きられるように、日本のホスピス第1号は、静岡県浜松市の聖隷三方原病院です。生きる意味とは何か、人間の強さを感じます。
「しんぼう 死をみすえて川口武久」1986年 54分 南海放送
病院を転々とせざるをえなかった筋萎縮性側側索硬化症の患者が、愛媛県松山市の松山ベルテ病院を安住の地にします。死をみすえた難病患者の記録。できないこともありますが、できることもあります。
「ここに家族あり」1987年 53分 石川テレビ放送
「若い人の家」は、障害のある人たちが自立して生活できる家です。この家をつくったご夫婦の献身的な援助と、それぞれが懸命に生きる姿は、ともに生きるということを教えてくれます。
6月13日(土) 生きていくために大切なもの
11:00〜
「産声が聞きたい」1982年 48分 テレビ静岡
2人とも、重度の脳性マヒで言語障害をもつ夫婦が恋愛し結婚。妊娠、子どもを育てる。障害者でも前向きに生きる2人に世間の荒波がふりかかります。出産から半年後、2人は幸せに子育てをしていきます。
「鈴のあしおと」1982年 49分 NHK松山放送局
四国お遍路。白装束に身をつつんで四国八十八ケ所の札所を巡ります。盲目の遍路を演じた、女優の原田美枝子さんが、出会った人からお遍路の目的は何か、人それぞれの人生の思いを探っていきます。
14:00〜
「終の家 託老施設 アタゴ学園日記」1989年 45分 信越放送
長野県で初めて私立の託老施設ができました。ここに介護を要する30人が暮らしています。家族の介護が望ましいかもしれませんが、それはどこまで可能なのか、老人と終末の家について考えます。
「明日への道 遥かなるベーテル」1981年 55分 静岡放送
ドイツの首都ボンから約300キロにある街ベーテル。人口8,000人の半数が障害者。人口が増え、障害者が地域社会に当たり前のように生活しています。静岡県天竜市も総合福祉施設があります。市営体育館、温水プールと施設ができようとしています。
6月14日(日) たすけあう社会
11:00〜
「‘81国際障害者年によせて ともに生きる 2人の中学生」1981年24分 関西テレビ放送
脳性麻痺の中学生、登下校は同じクラスの友人が車いすで送り迎えしています。夜間中学にも障害の重い人が再び学校に通うことが認められました。この2人の中学生の日常を紹介します。
「かるたの青春 ろう教育への挑戦」1982年 50分 テレビ山口
6年連続、百人一首クィーン戦の優勝者が、山口県立ろう学校の教師となり、耳の不自由な子どもたちに、かるた指導をはじめます。難聴の子には無理という声があっても、唇の動きを読んで挑戦していきます。
14:00〜
「鐘の音よ響け」1981年 54分 高知放送
高知県のろう学校出身の2人は、それぞれ地元で就職。高校時代から卓球に打ち込み、世界ろうあ者競技大会で団体優勝。彼女たちは優勝よりも、世界各国の耳の不自由な人が、たくましく生きることに喜びを感じ、自分で生きること、たすけあう大切さを知ります。
「くちびるの詩」1982年 26分 宮崎放送
両眼失明、両手首切断という重症を負っても、3年かけて唇で点字を読むことができるようになり、障害を乗り越えていった生き方、多彩な趣味をもって音の本づくりというライフワークに取り組みます。
「のぞみ5歳 手さぐりの子育て日記」1986年 45分 NHK金沢放送局
夫婦ともに全盲で子育て、子どもを頼りにするのではなく、しつけには厳しく、明るい家庭で幸せな親子の生活があります。ほんとうの家族の絆と喜びにつつまれて感動します。
6月20日(土) 生きるちから
11:00〜
「姉妹 六歳 春」1982年 55分 関西テレビ放送
6歳になる双子の姉妹は、2人とも未熟児で生まれ、妹は未熟児網膜症で失明してしまいました。2年間、幼稚園生活を取材。ピアノを習得して、いたわりあい、励ましあう姉妹は大きく成長していきます。
14:00〜
「良司君の一年 光なき障害をこえて」1983年 30分 NHK松山放送局
視力を失うと盲学校で学ぶのがいいと思われています。しかし、5歳で視力を失って、地域の友達と一緒に学びたいという強い気持ちで、それを親子で実現しようという家族もいます。
「テレビあかるいまち 脳性マヒ文恵の熱い夏」1983年 30分 高知放送
生後まもなく脳性麻痺で歩けない女子高生が恋をし、文通がはじまります。彼女にとって希望にあふれた日々、しかし、彼が筋ジストロフィーという難病で、23歳の若さで亡くなります。2人の交際は、「てがみ一生・愛・死」という手記となり、それは彼女が彼のために残したものでした。
「直宏くんの挑戦」1988年 50分 日本海テレビジョン放送
障害にめげることなく希望をもって生きる母と子がいます。6歳から先天性腎不全で人工透析を続けても、地元の学校に通いたいと考えます。長くなる闘病生活、臓器提供者がなければ移植もできないという現実があります。それでも負けません。
6月21日(日) 信頼の喪失
11:00〜
「その時 老人は買った 高知市でのSF商法」1985年 30分 高知放送
催眠商法とも呼ばれ、短期間に一つの会場に大勢の人を集めて、布団や健康食品などを売る商売です。販売会場には、老人が多く、なぜ、老人たちは買ってしまうのか。この商法を取材しました。
「そして山は荒廃した 山林切り売り商法を追う」1986年 45分 NHK函館放送局
購入した土地を確かめにやって来て、はじめて騙されたことを知ります。投機目的と土地への憧れから、北海道の長万部町では、民有林の80%が都会の人に売られ、転売され、山は荒れていきました。
14:00〜
「信頼 一枚の診療明細書から」1983年 54分 富山テレビ放送
富山市医師会報に、診療内容や保険点数を明記した診療明細書を患者に手渡そうという提案が掲載されました。しかし、日本医師会、県内の医師会は絶対反対を表明します。それは、なぜなのでしょうか。
「おっちゃんの裁判 身振り手振りの11年」1992年 45分 山陽放送
岡山で、ろうあ者が窃盗容疑で逮捕されました。600円を盗んだ容疑。国選弁護人が、逮捕までの警察に疑問を抱きます。身振り手振りの裁判、1審は弁護側の勝訴、2審は逆転敗訴。ろうあ者は信頼されず、地域でも厄介ものにあつかわれます。人と人の対話が困難なことを思い知らされます。
6月27日(土) 故郷へのつよい想い
11:00〜
「君は故郷が好きか 今 一村一品運動は」1986年 54分 北海道放送
北海道、新千歳空港から車で1時間30分、留寿都村(るすつむら)は過疎化をくい止めようと、一村一品運動がすすめられ、ハム・ソーセージづくりのために帰郷した人がいます。若者たちの情熱と課題を探ります。
「当世 里の味 ある山間の町と村から」1986年 53分 青森放送
青森・岩手・秋田の県境にある山間部では、粟とソバなどの雑穀と山菜を中心に、旬の山の幸が豊富で、郷土食を継承したいと、地元の食材で料理をつくる人、お土産ではない、村の味事情がわかります。
14:00〜
「尋ねまほしき 県歌・信濃の国」1984年 47分 長野放送
長野県人であれば誰でも知っている「信濃の国」という歌があります。なぜ、この歌が故郷を偲んで、同じ思いを胸に浮かべるのでしょうか。
「清ら島や奄美 関西・望郷の島唄」1986年 44分 NHK鹿児島放送局
大阪、高見町は奄美村と呼ばれるほど、奄美島の人が多いことから、関西・島唄祭が企画されます。島は美しい、しかし過疎化がすすんでいます。島に帰ることなく島を想い続けて唄います。
6月28日(日) 外国人といわれる住民
11:00〜
「国際化って何だ」1988年 26分 豊島区
平成元年、豊島区は区民18人に1人が外国人となりました。庁舎に外国語の表示板を掲げ、英語と中国語で随時、相談に応じます。懇談会、日常生活から、小さな誤解や言葉の壁による摩擦を減らすように、町ぐるみで国際化とは何か、人と人の交流を考えはじました。
「閉ざされた海 再入国不許可の帰国」1988年 59分 九州朝日放送
日本出国で指紋押捺拒否を理由に、再入国不許可処分を受けた在日韓国人3世がいました。9歳の時に、取得した協定永住資格を失い、永住資格を奪われていることを不当として提訴。日本出国後、成田に到着して、入国審理官に7時間を超える口頭審理で、180日の特別在留が認められ、再入国不許可処分のまま出入国した初めてのケースでした。永住資格の制度的な不平等を問題視しました。
14:00〜
「ゴーさん一家の春 カンボジア難民定住記」1982年 42分 日本海テレビジョン放送
昭和56年(1981)にカンボジアの内戦から逃れ、鳥取県にやって来た一家は、銃声の聞こえない日本を天国のように思います。雪を知らない家族にとって、寒い冬は生まれて初めての体験でした。
「三年目の旅立ち ゴーさん一家のニッポン」1983年 45分 日本海テレビジョン放送
カンボジアから日本に定住して3年間、子どもたちは友達もできましたが、おとな達は、生活習慣の違いから町に溶け込めません。衣食住は足りても、日本では難民の自立への道は難しいのでしょうか。
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