【News】5/30(土)映画一揆外伝「破れかぶれ」〜井土紀州『LEFT ALONE』連続上映@space&cafe ポレポレ坐

2014年5月にスタートした連続上映・映画一揆外伝「破れかぶれ」は新年度に突入し、第2期が開幕する。シーズン2の先陣を切るのは『LEFT ALONE』一挙上映。
1968年の思想を探る異色ドキュメンタリー映画『LEFT ALONE』は第一部93分/第二部109分の二部構成。2005年の劇場公開からちょうど10年を迎える本作だが、これまで連続で上映されたことがほとんどないため今回の一挙上映は貴重な機会となるであろう。

【会場】Space&Cafe ポレポレ坐
東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル1階
TEL :03-3227-1405

【日時】2015 年5月30日(土)

 17:30  開場 
 18:00 ~「LEFT ALONE1」
 19:45 ~「LEFT ALONE2」

上映後トーク「10年目のレフトアローン 今、絓 秀実は何を考えているのか?」
ゲスト絓 秀実(文芸評論家・本作出演)

【料金】1,500円(当日券のみ)
【お問い合わせ】
090-4395-4852(担当:高橋)
Email:spiritualmovies@hotmail.co.jp

一揆外伝公式ブログ→http://ikkigaiden.exblog.jp


 

【映画情報】

LEFT ALONE 1
 (2005年/93分/DVCAM/カラー)

監督 井土紀州 
出演 絓秀実 ・松田政男・西部邁・柄谷行人・鎌田哲哉
ナレーション 伊藤清美 製作 吉岡文平 撮影 伊藤学 高橋和博 
音楽 太陽肛門スパパーン 整音 臼井勝 
企画・製作 スピリチュアル・ムービーズ

LEFT ALONE 2
(2005年/109分/DVCAM/カラー) 

監督 井土紀州 
出演 絓秀実・松田政男・柄谷行人・津村喬・花咲政之輔 
ナレーション 伊藤清美 製作 吉岡文平 撮影 伊藤学 高橋和博 
音楽 太陽肛門スパパーン 整音 臼井勝 
企画・製作 スピリチュアル・ムービーズ 

【解説】
1968年生まれのひとりの映画監督が、68年を探る映画を撮る。学生たちの政治運動。革命。そして、68年を境に政治運動はカウンター・カルチャーと結びつき、80年代にはサブカルチャーとして脱色化されていく…。68年は、ニューレフト運動にとって決定的な転回点であった。映画は、2001年に早稲田大学で勃発したサークルスペース移転阻止闘争において非常勤講師でありながら学生達と共に大学当局と闘う批評家、すが秀実の姿を捉えることから始まり、松田政男、柄谷行人、西部邁、津村喬にいたる60年代の学生活動家たちと対話を重ねていく。『レフト・アローン1』では、ニューレフトの誕生から、花田清輝と吉本隆明の論争、68年の安保闘争に至る過程をすが秀実、松田政男、鎌田哲哉、柄谷行人、西部邁とともに様々な角度から検証し、『レフト・アローン2』では、68年革命の思想と暴力という問題、1970年7月7日の華僑青年闘争委員会に始まる在日朝鮮人・中国人等に対する反差別闘争の衝撃、毛沢東主義の新たな可能性から、現在の大学再編と自治空間の解体をめぐって、ニューレフトの行方が、すが秀実、松田政男、柄谷行人、津村喬、花咲政之輔によって語られていく。体制への反逆。60年安保という激動期。思想と暴力。それぞれの闘争と転機。悲劇から喜劇へ。そして、今なお左側を歩き続けていくことの孤独。早稲田の路地を歩くすがの後姿に、彼方に向かって糞を転がしつづけるスカラベサクレ(糞転がし)の姿が重ねられる…。


【監督コメント】
もうひとつの映画/井土紀州(2005年公開時のコメント)

私たちは映画を作る。
何かについて考えながら作る。
では、いったい何について考えているのか。
テーマ? 物語? それとも映画そのもの?
当然、それらすべてについて考えなければならないが、
さらにその先に私たちを考えさせてやまない何かがある。
それはあくまでも未知のものであり、いつもぼんやりとした靄につつまれている。
それはいずれ私たちが作った映画を差し出すべき観客という存在だ。
この不特定多数の漠然とした存在について思考を巡らせたとたん、
私たちの映画作りに臆病風が吹き始める。
それって面白いの? 退屈じゃない? 分かりにくくない?
彼らは時に素朴に、時には目尻を吊りあげて私たちを詰問する。
彼らの問いに頭を悩ませ、逡巡したあげく、私たちはひとつの結論に達する。
私たちが映画を作るために何かを考えるのは、
映画を見る彼らに何も考えなくさせるためでは決してないのだ。
「観客を作られた世界に引き込み、そこで興奮と陶酔のひと時を味わせるのではなく、
むしろ現実に対する思考を促し、観客の活動力を鼓舞する」
ブレヒトの演劇に対するこの態度を、私たちは私たちのもうひとつの映画のために、
もう一度検討する必要がある。