【Review】 変化し続けるテーマ———日本映画大学・第1期生卒業制作から text 細見葉介

日本映画大学の第1期生の卒業制作上映会が2月14、15日、同大学に近い川崎市麻生区のイオンシネマ新百合ケ丘で開かれた。ショッピングセンターに入りエスカレーターを上った先の、カーペット敷きのシネコンという会場で、従来と比べるとあか抜けていることにまず驚く。ただ受付や誘導の学生の応対はぎこちなく、文化祭のような手作り感と高級感が入り混じっていた。200席以上ある大スクリーンだったが、冒頭から満席だった。

前身である日本映画学校はこれまで、ドキュメンタリー界に多くの作家を輩出してきた映画教育の最前線だ。中心的な影響力を持ってきた原一男が教壇を離れ、4年制大学へ変わるという環境のもと、どんな作品が産み出されているのか。鑑賞した卒業制作映画から、ドキュメンタリー作品4本についてのレビューをまとめる。


 ■原佑基監督『Still Just a Dream』

イベント運営と飲食店経営を手掛ける22歳の学生起業家・木元俊之介の日々をとらえた『Still Just a Dream』は、ポップなノリの中に現代の若者の願望が詰まっていて見どころが多く、一番面白かった。東京での大学在学中にアイデアと勢いでイベントを成功させ、企画力に自信を持った木元は、出身地の福岡へ帰り起業、地元に新しい風を吹き込もうともくろむ。その発想はひときわ強い個性を放って独走している。彼の幼なじみの磯山貴大は取締役として、木元の弱点を補う立ち位置だったが、第一子の誕生とともに、この仕事を続けるべきか葛藤が始まっていた。

オフィスでのとりとめのない会話、肌身離さないスマートフォン、タバコ。同社の顧問の司法書士のインタビューは彼らを冷静に見つめる「大人」の姿として興味深い。若い起業家が何を考え、どう行動しているのかを知ろうとするとき、最適なポイントをおさえていて、光り輝く華やかなクラブイベントの舞台の一方、ごく普通に生きる等身大の彼らの姿が映っている。既存の働き方にとらわれない起業が若い世代の間で流行する中、夢を全て実現したかのような、時代の最先端の象徴的な一企業の貴重な記録だった。

原佑基監督『Still Just a Dream』

■黒澤分監督『高沢折々』

『高沢折々』で描かれたのは、『Still Just a Dream』とは好対照をなす世界といえよう。人口103人、39世帯の熊本県の山間部にある集落が舞台で、この集落の暮らしとともに信仰もまた核のテーマである。この高沢集落には隠れ念仏が伝えられているが、今ではそれを受け継ぐのは一人だけになってしまった。高齢化が進み、後継者はいない。人口減少により失われた祭礼行事は、色あせた写真の中で忘却に沈もうとしていた。閉校になった元小学校の校長室では、地元の青年部のメンバーたちが夏祭りの計画を立てている。祭の当日、会場の体育館にはくまもんが登場。未来への明るい兆しを示すようでありながら、この祭もまた、映像の中にのみ残るのではないかという寂しさを持たずにはいられなかった。スタッフ3人は集落の中に家を借り、暮らしながら取材したからこその、距離の近さは随所に感じられる。監督自身の飾らないナレーションもいい。スタッフがタケノコ堀りについて行き、急斜面を上って息切れする映像には会場からも笑いが起こっていた。

山間部の集落を穏やかな視点でとらえた作品としては、東京造形大卒の大野隆介が、静岡県の集落を舞台に撮ったドキュメンタリー『ちいさな、あかり』(2014)の世界と良く似ている。キーショットとして、山林を背景に抱いた俯瞰の映像はそっくりだし、ファーストカットの、この土地の人々との出会いも似ていた。そこへ民俗的テーマを加えて、さらに濃縮したような作品だ。さらに長く滞在したならば、それに比例してもっと良い物がおのずと撮れてゆくだろう。

黒澤分監督『高沢折々』

■大引勇人監督『交差』

良い意味で、最も従来からの「日本映画学校」らしさを感じた作品が『交差』だった。2008年の秋葉原連続殺傷事件で負傷した被害者の湯浅洋に密着したドキュメンタリーである。湯浅はタクシー運転手としての日々を送りつつ、事件の被害者の中で唯一、メディアの取材に応じ続けていた。加藤智大被告からの手紙に対し返事をするため、初めて母親や恋人以外に手紙を書いたという。湯浅・加藤被告の手紙での対話と、この映画にはもう一つの軸がある。青森へ、岐阜へ、仙台へと、加藤被告の手記に書かれた、人に「痛みを与えて分からせる」主義を形成していく生い立ちをたどる旅だ。

事件現場の背景にある極彩色の看板あふれる秋葉原の繁華街と、この映画は、まるで切り離されている。映画のコマのように流れる、センターラインのアップ。センセーショナルな報道が終わった後の世間からの死角、そこに残る感情の断絶に、粘り強く正面から向き合い、果たして氷解するときは来るのかと目が離せなかった。この映画製作が新聞に取り上げられ、スタッフたちの姿が世に報道されると、世間との感情の断絶を味わうこととなる。スタッフたちが新聞記者に取材されている姿は劇中劇を見ているようだ。44分という短い時間にも拘わらず、巨大なテーマと向き合う姿勢は、かつての日本映画学校卒業製作でハンセン病療養所をテーマとした今田哲史監督『熊笹の遺言』(2002)を彷彿とさせる。社会性と批評性に富んだ秀作だった。

大引勇人監督『交差』

■大竹紀郎監督『うまがたり。』

『うまがたり。』は、前述の3作品と比べるとインパクトは薄い。しかしシンプルな中に監督の愛情が見いだせる。群馬県の牧場、ホースパラダイスを舞台に、引退した競走馬たちの余生を見守る栗原修を一年がかりで取材している。人間側の主人公である栗原はかつて厩務員で、退職後は社交ダンスを楽しみつつここの牧場長を務めている。かつて競走馬だった、人間なしでは生きられないサラブレッドのトーヨーロータスが馬側の主人公だ。この栗原と、トーヨーロータスそれぞれの生き様が交錯し、商業的価値観から外れた「余生」の姿を見つめる。とにかく馬の世界、という点では、日本映画学校の卒業生である松林要樹の『祭の馬』(2013)を思い出させる。

大竹紀郎監督『うまがたり。』

■映画学校時代からの変化

7本の卒業製作映画のうち、じつに4本がドキュメンタリーという多さは、日本映画学校の時代と比べると意外である。フィクション部門の作品がいずれも中学・高校生の青春をテーマとしていたのは、10年前に私が初めて同校の卒業製作上映会を観た時と変わっていない。それとは対照的に、ノンフィクションは大きくテーマと手法を変えていて、一世を風靡した「セルフドキュメンタリー」はなかった。かつての松林要樹監督『拝啓人間様』(2004)や小野さやか監督『アヒルの子』(2005)に見られたような、対象への監督の積極的関与もない。だがスタッフたちは完全に姿を消す訳ではなく、その目線と息づかいが画面から伝わってくるのは共通している。格別に斬新ではないが、4作品とも一歩一歩を着実に踏みしめていた。

中でも、『高沢折々』のような民俗的なテーマを深く追う作品が現れたのは、目立った変化と言えよう。このジャンルは特に後継者を育てることが難しい。日本映画学校の卒業製作では、海女を取材しようと試みたものの、ついにコミュニティに入ることができず映画が完成しなかったことがあった(上映の代わりにウェブサイトに詳細な経緯がレポートとして掲載された)。日本映画大学では民俗学の授業を開講し、民族文化映像研究所の映像作家である故姫田忠義が特任教授として授業を受け持っていたこともあった。教育が直ちに作品に結実するものではないが、同大学の作品にはこれからも注目を続けていきたい。
(文中敬称略)

※日本映画大学 第1回 卒業制作上映会
2015年2月14日,15日 イオンシネマ新百合ケ丘にて開催
HP→http://www.eiga.ac.jp/sotsusei/

日本映画大学
1975年、故・今村昌平(映画監督)が、撮影所に代わり映画製作を志す若者を養成するために、2年制の「横浜放送映画専門学院」を開設。1985年、3年制の専門学校「日本映画学校」に装いを改め、新百合ケ丘(川崎市麻生区)に移転。とりわけドキュメンタリーを専門的に学ぶ「映像ジャーナルゼミ」(現・ドキュメンタリーコース)は、寺田靖範、松江哲明、松林要樹、小野さやかなど、数多くの映像作家・プロデューサー・ライターなどを輩出してきた。2011年より4年制の大学へと移行し、2015年3月、初の卒業生を輩出。現在の校長は佐藤忠男。

公式HP http://www.eiga.ac.jp
上映会お問合せ窓口:070-5077-3424 (平日10時-17時)

写真は全て© 2015 Japan Institute of the Moving Image All Rights Reserved.

【執筆者プロフィール】

細見葉介(ほそみ ようすけ)
1983年生まれ。インディーズ映画製作の傍ら、ドキュメンタリー映画鑑賞に各地を歩き批評を執筆。連載に『写真の印象と新しい世代』(「neoneo」、2004)。共著に『希望』(旬報社、2011)。

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