【Review】120%の生きた証/内田英恵監督『あした生きるという旅』 text 佐藤奈緒子 川口SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にて上映

『あした生きるという旅』より ⒸHanae Uchida

昨年から今年にかけて、これほどALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病が人口に膾炙したことはなかったのではないだろうか。氷水をかぶりALS団体への寄付を募る「アイスバケツチャレンジ」や天才物理学者スティーヴン・ホーキング博士の伝記映画『博士と彼女のセオリー』(2014年)が大きな話題となり、この11月にはヒラリー・スワンクがALS患者を演じる『サヨナラの代わりに』(2014年)も公開される。こうしていつになく世間一般の認知度が高まっているかに思えるALSについて、私はほとんど何も知らなかった。

ALSは、脳からの命令を伝える運動ニューロンが侵されて全身の筋肉が徐々に萎縮する病気だ。発症から数年で呼吸困難になり人工呼吸器が必要になる。原因不明で治療法もない。パーキンソン病と混同している人もいるだろうが(私だけだろうか)、こちらはドーパミンの減少で手足のふるえや筋肉強硬が起こる、比較的ポピュラーな病気と言える。ALSが特徴的なのは意思表示の手段が奪われていくにもかかわらず、意識は明瞭であり続けることだ。

内田英恵監督が自らナレーションで「ヒロシ」「キミコ」と呼ぶ塚田夫妻は結婚してもうすぐ50年、夫の宏さんがALSを発症してからの約30年は妻の公子さんが支えながら病気と共に歩んできた。宏さんは眼球の動きでしか意思表示ができない。指の感覚は15年かけて1本ずつ失われていった。目だけで意思を伝えるために使うのは五十音が書かれた透明の文字盤。それを宏さんの顔の前で動かしながら公子さんが目線の先の文字を1つ1つ探る。気の遠くなるような作業だ。しかしそこでつむがれる言葉は生存するための最小限の意思疎通ではない。「あ・い・し・て・い・ま・す」と妻を見つめる感動的な場面があるかと思えば、「離婚する」「新しいパートナーと出会いたい」などと悪態をつくエピソードも語られる。愛情から冗談まで驚くほど自在に表現するのだ。

夫妻の軌跡は全編にちりばめられた写真からも窺い知ることができる。色あせた古い写真によってかつての宏さんが色鮮やかによみがえり、「ALS患者」という記号から解放されていく。結婚前の白黒写真、幼い息子とソリに乗る楽しげな一枚、おめかししたディナー風景。発症前の夫を忘れまいとするかのようにこれらの写真は自宅の壁に貼りめぐらされている。一見すると表情ひとつ動かさない寝たきりの宏さんだが、妻や医師の言葉によると、ジャズが好きでダンディーな刺激のある人なのだとか。

「生きるって人をハラハラさせること」という公子さんの言葉は忘れがたい。作品全体に流れる幸福な空気はゆったりしたナレーションや音楽だけでなく公子さんの笑顔によるところが大きい。マウスピースを「おしゃれガード」と名付け、乾杯の際には夫の管にシャンパンを流し込む。頼りがいのある母でありチャーミングな妻であり饒舌なコメディエンヌでもある彼女は、見ているこちらを飽きさせない。同時にその生命力あふれるポジティブな言動は、決して見せない涙の裏返しにも思える。弱音を吐いたが最後、堰を切ったようにあふれ出る不安で押しつぶされないよう、自らを守っているのかもしれない。

カメラは時に間近で、時に部屋の片隅から彼らを見つめ続ける。異質な存在でもなければ単なる空気でもない、まるで家族の一員のような距離感。監督が時間をかけて被写体の中にとけ込んだ証だろう。特に印象的なのは目のクロースアップ。澄んだ瞳が雄弁に語りかけてくる日もあれば、濁った瞳がただ虚空を見つめ、まぶたの陰に隠れてしまう日もある。見ている我々は介護者たちが覗き込むのと同様の視点を得ることで「心の窓」がいかに表情豊かなものかを知る。公子さんは目の洗浄を毎朝の行事として大事にしている。しかし、目の筋肉の衰えは、ゆっくりと着実に進行していた。夫の目の動きが悪くなるにつれ、妻は苛立ちを隠せなくなる。

いつもは朗らかな彼女が「ちゃんと目を動かしなさい!」と病人に詰めよる場面の迫力。お互いに分かっている。目を動かしたくても動かせないこと。分かっていても受け入れたくないこと。彼らが恐れているのはトータルロックトインシンドローム(Total Locked-in Syndrome)という、意思疎通の手段を完全に失った状態だ。そうなったら、宏さんの意識は誰の手も届かない奥深くに閉じ込められてしまう。この想像を絶する恐怖を前に、宏さんはただ「話し相手がいなくなる」と寂しがった。

旅は常に新鮮な驚きをもたらすが、宏さんの旅自体も我々には新鮮な光景として映る。スイスのアルプスで、フランスの民家で、宮古島の海辺で、人工呼吸器をつけた寝たきりの宏さんがそこに「いる」という奇跡。スイスで出会ったあるALS患者は宏さんを見て言葉を詰まらせた。宮古島のある患者は嗚咽した。彼らは「生きる」という決断がいかに過酷か身をもって知っている。はるばる訪ねてくるための多大な労力を知っている。

おしゃれな宏さんがきちんとシャツをズボンに入れスニーカーを履くために必要な着替え、また毎日の排泄や入浴、唾液の吸引という絶え間ない介護労働。階段は大人4、5人がかりで担ぎ上げなくてはならない。飛行機の離着陸では人工呼吸器の電気が使えないため手動のポンプで空気を送り込まなくてはならない。移動車両や宿泊施設にも大きな制約がある。それでも旅を続け、行く先々で可能性の扉を開き、後に道を作ってきた宏さんと公子さんをある医師は「ラッセル隊」と呼んだ。

『あした生きるという旅』より ⒸHanae Uchida

この作品で初めて、ALS患者が残酷な決断を迫られることを知った。一度目は人工呼吸器を装着するかどうかの決断。しなければ数年で呼吸筋が萎縮し命を落とす。装着を選べばその後の長い年月、24時間態勢の介護を覚悟しなくてはならない。日本で装着を選択する患者は約3割だそうだ。諸外国ではもっと低い。海外で出会うALS患者のほとんどが自力で呼吸できるステージの患者だったのは印象的だ。そこには各国の医療費負担の問題が大きく関係している。24時間介護の莫大な費用を個人で賄うことは到底できないのだ。二度目の決断は人工呼吸器をつけて生きながらえた最後に訪れる。トータルロックトインシンドロームになる前に、その後の延命について決断しなくてはならない。お二人の決断はぜひ映画で見ていただきたい。

見終えた後、私は予想に反して清々しい気持ちになった。それは体の動かないALS患者が活動的に世界を飛び回るという矛盾のような事実に、素直に拍手喝采したくなったから。また人生の後半を介護に捧げた妻がそれを生き甲斐として輝く姿に、高齢化社会へのわずかな希望の光を見いだしたから。それは誰よりもまず監督自身が感じていたことでもあるだろう。短編を撮り終えた後、再び彼らの旅に同行すると決めたのは、すべてを見届ける覚悟を決めたからではないか。彼女もまた、各地で夫妻が出会う人々同様、被写体に大きく影響を受けて人生を変えられた一人でもあると言える。眼球や指先を動かすにも全力の力をふりしぼり常に120%で生きることを強いられるALS患者が、まさに120%で「生きた証」。それは見る者を引きつけてやまない。

【作品情報】

『あした生きるという旅』
(2014年/日本/83分/ドキュメンタリー)

監督:内田英恵
出演:塚田宏、塚田公子、塚田学

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてワールドプレミア上映!
7/22(水)17:00~ (SKIPシティ 映像ホール)
7/25(土)11:00~ (SKIPシティ 多目的ホール)

※ともに内田監督+ゲスト(塚田公子さん、塚田学さん)によるトークあり
https://www.facebook.com/DOC.OF.HIROSHI


SKIPシティ国際Dシネマ映画祭とは

21世紀の映画のスタンダードである、デジタルで撮影・制作された作品のみフォーカスした映画祭。
今年(2015年)で第12回目の開催。
「コンペティション」は、長編、短編、アニメーションの計3部門で構成され、若手映画作家の登竜門として『雪の轍』(14)のヌリ・ビルゲ・ジェイラン(07年『うつろいの季節(とき)』で長編部門最優秀作品賞を受賞)や、『凶悪』(13)の白石和彌(09年『ロストパラダイス・イン・トーキョー』SKIPシティアワード受賞)、『チチを撮りに』(12)の中野量太(12年長編部門監督賞・SKIPシティアワードを受賞)など、さまざまな才能を輩出している。

7/18(土)-26(日)川口SKIPシティにて開催
(期間中、川口駅より無料臨時バスを運行します)
http://www.skipcity-dcf.jp/index.html

【執筆者プロフィール】

佐藤奈緒子

香川県生まれ。早稲田大学文学部卒業。映画、ドラマ、ドキュメンタリーの字幕制作にたずさわる。
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