【Interview】祈りと抵抗、チベットの手ざわりをもとめて――池谷薫監督が語る『ルンタ』 取材・文=萩野亮

2008年、北京オリンピック開催前夜のチベット。世界へアピールする好機として全土で平和デモが行なわれると、中国当局は容赦なくこれを弾圧、亡命政府の発表によれば、ラサだけでも200名以上のチベット人が亡くなったとされる。チベット人の反中国政府感情はいっそうの高まりを見せ、焼身抗議の誘因のひとつとなった。

チベットの広大な風景には、いつも「ルンタ」がなびいている。ルンタとは、「風の馬」を意味し、天を駆け、人びとの願いを仏や神々のもとに届けると信じられ、祈祷旗や紙などに刻印されている。本作の主人公・中原一博氏が代表をつとめるNGOもまた「ルンタ・プロジェクト」と名付けられ、中原氏はダラムサラからチベットの現状をいまも伝えつづけている http://blog.livedoor.jp/rftibet/

『延安の娘』(2002)、『蟻の兵隊』(2005)、『先祖になる』(2012)といった作品で何よりも「人間」を撮ってきた池谷薫監督の新作『ルンタ』は、中原一博氏とともにダラムサラとチベット本土を旅し、生命をかけた抗議の背後にあるものを、その風景のなかに探ろうとする111分のフィルムである。

これまでの作品歴をふまえながら、池谷薫監督に聞いた。

[取材・文=萩野亮●撮影=大塚将寿]

© Ren Universe 2015

  |チベットをずっと撮りたいと思っていた

――作品の成り立ちからお伺いします。出演者の中原一博さんとは、テレビの仕事でご一緒されたことがあったそうですね。

池谷 一番初めにチベット人に会ったのが1984年なんです。そのころ僕はテレビの番組会社に勤めていたんだけど、辞めて、はじめての海外旅行でインドに行ったんです。26歳のころかな。デリーに着いて、3日後に当時のインディラ・ガンディー首相が暗殺されて暴動に巻き込まれたんです。3軒先のホテルが燃えていたりしてね。それでほとぼりを冷まそうと思ってガイドブックを見たら、インドの北の方にラダックというチベット人が住んでいるところがあって、「天上の楽園」とある。ここだ、と思って行ったら高山病になっちゃって。それを助けてくれたのが現地のチベット人だったんです。

見ず知らずの旅人を、彼らは家族のように介抱してくれた。チベットのことは、それからずっと気になっていたんです。その5年後、天安門事件のあった1989年にダライ・ラマがノーベル平和賞を受賞したので、TBSの報道特集で取材しました(『ダライ・ラマは語る 亡命チベットの30年』)。その番組にも中原さんがちらっと登場するんです。そのころは「ダライ・ラマの建築家」と呼ばれていたんですね。

――世代としては中原さんのほうが年上ですか。

池谷 中原さんは6つ上。僕にも兄貴がいるんだけど、これが6つ上で建築家なんですよ。だからなんとなく近しい感じがあった。共通項はほかにもあって、中原さんは広島出身で、お父さんはシベリア抑留を経験し、お母さんは被爆者。僕も被爆2世で、親父が広島で被爆しています。だから根っこのところの価値観は似ているなという思いはありました。

ただ、その後ずっと交流があったわけではないんですよ。僕もとにかくチベットをずっと撮りたくて、『蟻の兵隊』(2005)以降は3年くらいつづけて通う時期もあった。でもやっぱりうまくいかない。どうしてかというと、僕らがある政治的なメッセージをもった映画を作ると、それに関わったチベット人たちが重い処罰を受ける可能性があるからです。そこをなんとかうまくやる方法はないだろうかと、一時はシナリオを入れて劇映画としてやろうとしていた時期もあったんです。それでもうまくいかない。その一方でチベットの情況はどんどん悪くなっていく。

大きな転機は2008年。チベットでは3月に大きな騒乱があって、チベット人たちが自由を求めて立ち上がった。あの年の抗議行動は重要な意味があるんです。それまでのデモというのは、たいていラサのお坊さんがやっていたんだけど、ネットの時代になったこともあって、チベット全土に飛び火していった。北京オリンピックの年だから、チベット人たちはいまこそ世界にアピールできるという思いがあったんでしょうね。僕も今度こそチベットを撮ると決意して、まず会いに行ったのが中原さんなんですよ。建築家だったのがブロガーになっていて、チベットのために活動していた。「中原さん、まだダラムサラにいたんだ!」。そんな驚きがありました。

――中原さんのプロフィールは映画でほとんど描かれません。彼のいまのすがたを撮ることに終始していますね。

谷 僕はやっぱりドキュメンタリーはいまを撮るものだと思っています。中原さんのことをもっと知りたいと思う人もいるかもしれないけど、映画『ルンタ』の真の主役は中原一博ではなく、チベット人なんです。でも、中原さんを魅力的に描かなければ映画は面白くなっていかない。そうでしょう? 彼は、建築家、NGO代表として30年以上もチベットを支援し続けている人です。その彼が今度はブロガーとなってチベット問題を世界に発信し続けている。僕らは、中原一博みたいな日本人がいるということをもっと誇りに思っていいと思うんですよ。

|焼身抗議の良し悪しを問うつもりはない

――チベットでの映画撮影がきわめて困難な状況だということですが、中国当局からの圧力は目に見えてわかるものなのですか。

池谷 わかりません。でもチベット問題と向き合う映画だと分かれば、間違いなく拘束されます。そういうリスクは絶対にある。ただそんなのは、当然覚悟してやるわけです。それよりも、もし僕らが拘束されて、その取材テープが押収されたら、協力してくれたチベット人たちが重い処罰を受ける可能性があるわけです。それだけは絶対に避けたかった。だからロケに入る前にこう決めたんです。チベット本土に入ったら政治的な話は聞かない、と。もちろん聞いてみたい話なんだけど、それがなくても映画はできると思った。だから前半はダラムサラで元政治犯の証言を聞くということを重ねていったわけです。

そしたら、いい意味で裏切られたんですよ。つらく重い話を延々聞くことになると覚悟していたら、逆に清々しい気持ちになったんです。デモをして捕まり拷問を受けた元尼僧は、「後悔なんてしていない」と笑顔さえ浮かべている。誰に言われたわけでもなく自分でやったことなんだからってね。「看守たちと互角に闘えたと思っている」とも言いました。これを聞いて、僕は「すごいな」と思った。そして、彼らが生命をかけて守ろうとしているものがチベットにはある。それを撮りに行くんだ、と思ったんです。
それは、チベット人としてのアイデンティティだったり、文化だったり、生活だったり……、もうひとつ「故郷」のようなものかもしれません。彼らが生命をかけて守ろうとする、そのかけがえのないものを、映像に刻み込むんだという思いでしたね。

――チベット人たちの焼身抗議には、チベット独自の文化的宗教的な想像力が強烈に加担しているということをこの映画で強く思いました。

谷 僕は『ルンタ』という映画で、焼身抗議の是非を問うつもりはありません。当たり前のことですが、焼身なんて一日も早くなくなってほしい。それは誰よりも焼身者自身が望んでいることです。自分のあとに誰もつづかないようにってね。ただ、この同じ地球上に住む人びとの中に、そういう手段でしか抵抗の意思を表せない人たちがいるという事実を知ってほしいんです。知らないことは罪だと思う。彼らはやっぱり世界に知ってほしいわけでしょう。だったら、誰かが伝えるべきことだと思います。残念ながら日本ではチベットのことはなかなか報道されません。焼身抗議だって小さい記事でたまに出るくらいです。

焼身抗議をした方は現時点(7月15日現在)で147名になりました。でも焼身は数じゃない。一人ひとりの人生に思いを馳せなければ理解することはできないと思うんです。焼身者は圧倒的に若い人が多いのですが、その若い人生をかけた抵抗であるわけだから、彼らがどんなところで生まれ育ち、何を考え、何を思って自らに火を放ったのか、それを考えなければいけないと思うんです。焼身抗議を単なる情報として伝えてはいけない。非常に奥の深い現実であり、チベットらしい特徴をもった宗教的、また文化的な側面もあると思う。輪廻転生という考え方もそのひとつ。彼らは来世を信じているわけだから、そのために現世で功徳をたくさん積んでいく。生けとし生けるものの幸せを願う、という「利他」の考えのなかに焼身という行為はあるんだと思います。

――亡くなられた方の写真がとても印象的に使われています。彼らの存在が映画に刻みつけられているように感じました。

池谷 今回は中原さんを「水先案内人」としているけれど、真の主役はチベット人。焼身抗議を遂げた人たちであり、非暴力の抵抗運動を続けている多くの人々です。そういった人たちの人生にふれていくためには、写真……、顔と言ってもいいですが、それはとても大事なものです。あの写真自体が、命がけでスマホか何かで撮られたものだったりするわけです。その写真を送ったことが見つかるだけで2、3年の刑を受けたりする。それを大事に使わせていただいたわけです。

――焼身抗議は映像の時代の抗議のありかたでもあると思います。ベトナム戦争以来、世界に発信し伝播させるための強烈なイメージとして自身を燃やすということがあるのかもしれません。

池谷 それはあると思います。ただ底流にあるのは、「他者を傷つけない」という教えです。チベット人たちは、平和的にデモをやっても捕まって拷問されて殺されたりすることがある。どうせ死ぬのであれば、民族同胞のために他者を傷つけない焼身抗議を選択する。そんな思いがあるのかもしれません。デモというのは官憲ともみ合っているうちに相手を傷つけるということがあり得るわけでしょう? チベット人は、それも暴力だと考えています。なんとも切ないことです。

© Ren Universe 2015

 |信念をもっている「個」に惹かれる

――大きな政治的社会的情況があるなかで、それに直接カメラを向けるのではなくて、ひとりの人間を通じてその情況をとらえてゆく。そうした方法がこれまでの作品と一貫していますね。

池谷 僕はやっぱり人間に興味があるんですよ。人間が好きなんです。とくに信念をもって生きている「個」に惹かれる。それは僕の習性みたいなものだけどね。中原さんもその一人です。中原さんを最終的に口説き落としたのは、『先祖になる』(2012)を公開した翌日なんです。彼に見に来てもらって、そのあと劇場のすぐそばの飲み屋で出演のお願いをしたら、中原さんは「俺はあんな爺さんみたいにはなれないよ」って断られました。でも僕が「焼身というテーマからは逃げないよ」と言ったら、「そう言われると断る理由がない」と言ってくれたんです。彼は焼身を伝えるために活動をしていたわけですからね。

『蟻の兵隊』で奥村(和一)さんに少年兵教育の殺人訓練の現場に行かないか、と言ったら「行かなければならないところだ」と言ったのをちょっと思い出しましたね。僕はそういう風に信念をもった生き方をする人が好きなんです。

――『ルンタ』の終盤で、中原さんと焼身の現場になった仏塔へ向かうシーンは、まさに『蟻の兵隊』のあの場面を重ねました。中原さんに現場へ行こうともちかけたのは池谷監督のほうからですか。

池谷 違います。中原さんが行くと言った。彼は、ひとつでも多く焼身が起きた現場を訪れたいという思いを強く持っていましたからね。彼はどこで起きたかを熟知しているわけですから、そこへ僕らがついて行ったんです。

――カメラがあったからこそ、中原さんも映画のなかでの自分の「役」を引きうけたのではないでしょうか。

池谷 今回はそういう(撮影者と対象者の)「共犯関係」が撮影に入る前からあったと思う。中原さんには作品が完成したあと、「僕を使ってくれてありがとう」と言ってもらいました。こっちからすると畏れ多いことだけど、そういうふうに言ってもらえて、ありがたかったですね。

ある人が面白い言い方をしてくれました。「ルンタ」の後半は、中原さんや僕や焼身さえも置き去りにして、映画そのものが自立していく、と。僕もそういう感じがしているんです。映画の後半では、チベットの大草原のなかにあるかけがえのない何かを、思想や信条がこもった風景を、撮りに行ったわけです。そういったものは監督も出演者もみんな超越したものとしてそこにある、そしてただそこにチベットの風が吹いている。確かにそういうものを撮っていたのかもしれないな、といまは思いますね。

――池谷監督の映画を見ていると、この映画の主人公はこの人以外にはありえないと思わせる強烈な何かがあります。彼らとの運命的とも思えるその「出会い方」について聞かせてください。

池谷 「運命的」と言われれば、確かにその通りなのかもしれません。でももうひとつ大事なことがあるんです。それは「浮気をしない」ということ。「この人だ」と決めたら、とことん惚れぬく。それができるかどうか。これって意外と難しいんですよ。

「この人だ」と思うのは直感だけれど、たとえば陸前高田で佐藤直志さんと会ったあと、僕は目移りして他へ行くようなことはしなかった。奥村さんのときもそうです。出会った瞬間に「ああ、この人だな」と思った。だっていい顔をしてるじゃない。主役の顔です。奥村さんは普段は本当に温和な人で、それが中国に残留させられた話になると突然怒りだすわけです。そのギャップがすごく魅力的だった。よほどのことがこの人にはあるんだな、と。一方、直志さんは天性の役者。カメラがまわったら何かしないと気がすまない人です。こっちからは何も言わなくていい。ラストショットを撮るときに、「ズボンをはいてくれ」って言ったくらいですからね(笑)。

『ルンタ』の中原さんの場合も、もうこの人だと決めていました。ときどき大丈夫かなと思うことはあったけど、その都度「この人は本物だ」とちゃんと思わせてくれる瞬間があった。彼は、建築家、NGO代表、ブロガーという肩書の他に、真剣に仏教を学んだ人でもあるんです。映画で何カ所か中原さんが胸をつまらせるシーンがあります。馬鹿話をしていていて、ふとそういう瞬間がおとずれるときがあるでしょ? チベット仏教には「トンレン」という行があり、相手の抱えている苦しみを自分に取り込んで、自分が持っている徳や心の平和を相手に与えることをイメージするんだそうです。中原さんは仏教と真剣に向き合っている人だから、一瞬にして人の痛みや苦しみを自分に取り込むところがある。撮影中に何度もそんな瞬間がありました。

 

▼Page2 「チベットの風景にすべてを閉じ込める」へつづく