【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第14話 text 中野理惠

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして
 <前回(第13話)はこちら>

第14話 猫のはなし

いのち拾い

猫の銀河(ぎんが)に命を救われたのである。入浴の際、いつも浴槽の脇についているガス釜の上に、私と向き合うように座り、顔を見ながら、時には浴槽のお湯が波打つのを追いかけたり、お湯の中で動かす指に、前足でじゃれるのが習慣になっていた。私が何も動かないことに不安になったのか、遊んでほしかったのか、お湯に前足を入れて、膝をつついた。何度目かの時になるのだろう、銀河がかなり強く掻いたのだと思う。爪が膝にあたり、痛くて目があいたのだった。翌日、現代書館でそれを言うと

「チュウビョウ(忠猫と思う)だあア」

と営業部長の金岩さんが叫んだのを覚えている。

入浴中、このようにして猫(この写真は雨)と遊んでいた。

正座姿の銀河

 パンドラのロゴマーク

銀河は、現在、パンドラのロゴマークになっている。ロゴマークは、この一件の前に、イラストレーターの貝原浩(故人)さんが、締め切りを守ってくれないので、事務所に押し掛けて、描きあがるのを待っていた時に、さらさらっと描いてくれたものである。岩波書店のロゴ<種まく人>をもじって<種まく猫>だ。

 

銀河は雌のシャムだった。生来、腎臓が悪く、人間の医師だが動物好きで獣医になったと、紹介された獣医師の経営する玉川の犬猫病院まで、当時、暮していた板橋から、何度通ったことか。入院も一回ではない。見舞いに行くと、起き上がり、賑やかに鳴き、ケージを歩き回る。獣医師によると、私が行く時だけ元気になるとのことだった。だが、治療の甲斐もなく3年と短命だった。肉が落ち、骨が浮き出るほど痩せて、硬く冷たくなった銀河の亡骸を抱いた時の悲しさが、甦る。

もう一匹の(そら)は血統書つきのシャムだったので、もっと短命で僅か2年しか生きられなかった。宙は犬のような習性があり、人間を恐れず、綱をつけずに散歩できた。木々の間で虫を追いかけていても、「ソラさん、もう行くよ」と呼びかけると、すぐに戻り、並んで歩く。ただし、鳴き声は「ぐえー」だった。

手前が宙 奥は銀河

 猫好き一族

この二匹を相次いで失った後、生命力のある雑種の猫しか飼わないと決めた。亡くなられるのはほんとうに悲しい。ならば、飼わなければいいだろう、と言われるが、犬猫からイタチやウサギ、フクロウに至るまで、伊豆の山の中で動物のいるのが当たり前の生活だったためだろうか、動物のいない暮らしは考えられない。

昨年、亡くなった尼僧で住職だった父方の伯母は、お墓一基ごとに一匹ずつの猫がいる、というほどであり、冬にはそれぞれにアンカを与える。一匹の老猫と暮していた母方の伯母の死後、従姉は、その猫の面倒を見るために、毎日、主のいなくなった家に通っていた。別の母方の従妹の一人は、数十匹の猫と暮らし、今年90歳になる父方の叔母はある時「子供のころからいつも猫がいた」と言っていた。父の僧衣からは常に猫の毛が舞う。葬儀や年会で親戚が集まると、猫の話で持ちきりだ、というか話題は猫だけである。しかも、その席上で、別々の従姉の娘が獣医になっていると分ったりしているのだ。


らくだのハミ皮

命拾いしても翻訳作業がなくなるわけではない。夕方になると現代書館に缶詰めになる地獄のような日々は、以後も続いた。ある兵士の書いた詩に<らくだのハミ皮>という単語があり、前後のつながりを考えても、どうしても意味を理解できず、数日間、考え続けていたところ、アシスタントだった柳川さん(第2話参照)が叫んだ。

 


左:「ペットへの感謝状」(1995年4月1日 現代書館)右:「ペットへの感謝状」内中野の文章
猫好きが知られ、一文を寄せた(クリックで拡大します)

(つづく。次は8月15日に掲載します。)

 中野理恵 近況
猫話題ついでに、下北沢にある素敵な本を揃えている、オシャレな古書店July Booksさんhttps://twitter.com/julybooks7で、9月か10月あたりに猫ブック特集を開催予定とのこと。
パンドラは、8月1日から『ソ満国境15歳の夏』を(新宿)K’S cinema、(名古屋)シネマスコーレ、(大阪)シネヌーヴォXにて公開します!

http://15歳の夏.com/ 
neoneo_icon2