【Review】生きとし生ける生命と地球への贈り物―ヴィム・ヴェンダース&ジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』 text 成宮秋仁

©Sebastião Salgado ©Donata Wenders ©Sara Rangel ©Juliano Ribeiro Salgado
©Decia films-Amazonas Images-2014

本作は、写真家(フォトグラファー)の人生の記録映画である。では、写真家とはいったい何であろうか。映画の冒頭、スクリーンから語りかけてくる声が、その言葉の意味を私たちに教える。ギリシャ語で、フォトは「光」を、グラフィンは「書く」「描く」を意味する。写真家(フォトグラファー)とは、「光で描く人」のことを指す。

本作の主人公は、セバスチャン・サルガド。彼の職業は写真家だ。光と影を用いて世界の姿を描き続けた人だ。彼は、ブラジル・アマゾンの金鉱セラ・ペラーダの採掘者たちの様子を撮影した頃の話を始める。セラ・ペラーダでは採掘者たちと共に日々を過ごし、撮影を行ったという。

スクリーンに映し出されたその当時の光景を捉えた写真には圧倒される。土を掘り起こされ裸にされた大地の上を埋め尽くす夥しい採掘者の群れが、すぐにも崩れ落ちそうな木梯子を血管が脈打つようにうねうねと上り下りして一心不乱に作業に精を出していた。命綱一つない決死の採掘作業の緊迫した有様に、私たちは言葉を失ってしまう。切り替わる写真の中には、争いを起こす人も、威勢を張る人もいた。そして子供もいた。セラ・ペラーダの様子を撮影した写真にはどれも息苦しい「狂気」が充満していた。

1970年に金鉱が発見されてから、セラ・ペラーダには大量の採掘者が押し寄せ、瞬く間に大地を掘り起こしてしまった。1985年の1年だけでも50トンもの金が掘り出されたという。セバスチャンはセラ・ペラーダとその土地を埋め尽くす採掘者の様子にピラミッド建設の歴史やバベルの塔、ソロモン王の洞窟など、古代や伝説の遺跡の建設過程を想起した。しかしセラ・ペラーダの採掘者たちは権力者の奴隷ではない。言うなれば、彼らは自分たちが抱くそれぞれの欲望の奴隷なのだと、彼は語る。人々の欲望がセラ・ペラーダの大地を貪り食うように剥ぎ取ってしまったのだ。

1973年から、報道写真家として活動するセバスチャンは、このように人々の尽きない欲望によって引き起こされる人間の狂気の様子と、人間の地球の大地への暴力の瞬間を見事な構図で捉え、一枚の詩的な絵画のように写真に収め、人々へ問題提起を続けていた。

本作を手掛けたヴィム・ヴェンダース監督は、セバスチャンが撮った一枚の写真に強く心を動かされたことが、彼に興味を持ったきっかけだと言う。難民となったトゥアレグ族の盲目の女性を写した写真にヴェンダース監督は涙を流したという。写真が持つ底知れないパワーに惹かれたのだ。写真を通じてあらゆる角度から人間を描こうとするセバスチャンの行動姿勢に、映画監督として同じようにあらゆる角度から人間を見つめてきたヴェンダース監督は共感した。そして、彼は人間を愛していたと、ヴェンダース監督は語った。

報道写真家セバスチャン・サルガドの人間への愛とは何なのか。その謎を追いかけるようにヴェンダース監督は、彼の過去を解きほぐしていく。

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セバスチャン・サルガドは、1944年2月、中央ブラジルの小さな町アイモレスに生まれた。彼の父親が語るには、彼は旅が好きで根っからの放浪者だという。父親の薦めで経済学を学んで青年期を迎えた彼は、列車で田舎を飛び出し、街の高校で自身の伴侶となるレリアと出会い、恋に落ちる。やがて結婚した二人は、1960年代から左翼の政治活動に傾倒した。当時のブラジルは軍事独裁政権のため、逮捕や国外追放、拷問の危険がつきまとった。そのため二人は、1969年に船でフランスに渡った。レリアが仕事用で買ったカメラに、セバスチャンは夢中になったという。その後、二人は世界銀行の依頼で開発調査のためアフリカを何度も訪れた。調査用に大量の写真を撮影したセバスチャンは、次第に写真に生きがいを感じるようになった。そして1973年、セバスチャンは報道写真家となった。

セバスチャンが幼少期から青年期を過ごしたブラジルの様子や、報道写真家になるまでの彼の生活風景を写した写真や記録映像には、列車や船、車が何度も写っている。そのことから彼の人生が旅によって形作られていることがうかがえる。

本作の共同監督を務めたジュリアーノ・リベイロ・サルガドは、セバスチャンの長男である。彼は、セバスチャンが報道写真家としてラテン・アメリカを取材していた時期に幼少期を過ごす。父親不在で育った彼は、たまに家に帰って写真を編集する父親を偉大な冒険家として称賛していた。大人になったジュリアーノは、記録映像を撮りながら父親に付き添い、その仕事ぶりに密着した。父親の冒険家としての顔を探るために。

ジュリアーノは、1979年の頃の話をセバスチャンに聞いた。彼はダウン症を抱えた次男ロドリゴの生い立ちを語り始める。障がいが原因でロドリゴと一生分かり合えないという苦しみが彼を襲ったという。しかし表面的な会話による意思疎通ではなく、ロドリゴが心の中で示している感情や気持ちを汲み取ることで少しずつコミュニケーションがとれるようになった。コミュニケーションの視点を変えて寄り添うことで互いに分かり合えた。セバスチャンはそう語る。その大きな体験は、後の彼の写真家としての生き方に大いに影響を与えたように思えた。

ロドリゴとの生活に希望を見出したセバスチャンは一家と共に軍事独裁政権が終わった故郷ブラジルに10数年ぶりに帰国した。しかし生まれ育った田舎の風景が著しく変わり果てていたことに彼は愕然としたという。干ばつが原因で周囲の土地が枯れて砂漠化し、人々は飢餓に苦しんでいた。土地を出る者も後を絶たなかったらしい。

この頃よりセバスチャンは、飢餓や貧困、難民問題に関心を深めることになった。自身の写真家としての役割に新しい意味を発見したからだ。そして1984年、彼はアフリカのサヘル地域の紛争に巻き込まれた飢餓や貧困に苦しむ難民の生活の様子に密着した。そこで彼が目の当たりにした光景はあまりにも過酷なものだった。飢えや病気に苦しむ痩せ細った人々やそれを看病する弱りきった人々の姿だ。そして餓死をした子供たちやお年寄りたちを看取る家族らの悲しみに写真という手段を用いて彼は静かに寄り添うことになる。

スクリーンに映し出された、食料と水を求めてひたすら歩き続ける難民たちの後ろ姿を撮った写真が一際印象に残る。それでも彼らは自分たちの神を信じ生きようとしていると、セバスチャンは伝えたかったのかもしれない。

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その後も彼は、現在の産業社会を築いた労働者たちの仕事の有様を取材し、そこに社会の発展の裏側で多大な環境破壊が起こっているという実態を世界に訴えた。そうした取り組みを通じてセバスチャンは、戦争や飢饉、市場のグローバル化に伴いある問題が深刻化することに気づいた。難民の増加である。世界が彼らに背を向ける中で、セバスチャンは何とか彼らに光を灯すために奔走した。

しかしセバスチャンが目の当たりにしたのは、驚くべき地獄の光景だった。1994年にアフリカ・ルワンダで発生した大量虐殺だった。犠牲者は土地を追われた難民である。悲劇はそれだけでは終わらなかった。ヨーロッパの中のユーゴスラビアでも難民の虐殺が起きていた(ユーゴスラビアはヨーロッパ中でも最大の難民集中地帯として知られている)。世界の各地で起きた虐殺が憎しみの連鎖を生みだし、被害者たちは互いに猜疑心や恐怖心を募らせていった。やがて暴力が一般化され、彼らの心は荒廃していった。

セバスチャンは、そのような凄惨な出来事が今まさに起きているという事実を、カメラに収め、世界中に知らせ続けた。並大抵の精神力では成し遂げられない強い意志が彼にはあったのだ。それでも彼もまた人間の欲望や暴力がもたらした憎しみの連鎖に深い悲しみを隠せずにいた。人間を愛するが故に、その地獄絵図を写した彼の記録写真には心が泣いているような深い悲しみが込められているように感じられた。

人間の闇の核心を知ったセバスチャンは絶望に苛まれた。何度もカメラを置こうと苦悩し、毎日のように涙を流していたという。その彼を救ったのは妻レリアの「森を作り直そう」という奇抜なアイデアだった。彼は故郷のブラジルに植林活動を始めた。長い年月を経て枯れた大地に森林が再生する様子を目撃したセバスチャンは、自分の写真に新しい意味を見出した。彼の絶望を癒した地球の大地へオマージュを捧げようと決意したのだ。

地球の生きとし生ける生物の躍動の瞬間や、大地と自然の確かな共存のひと時、環境が再生して生まれ変わっていくその有様を、セバスチャンは写真に記録し続けた。新しい被写体や新しいテーマを得た彼の写真には、あらゆる生命は地球と共に生き続けて光り輝いているという清澄なメッセージが感じられた。

彼が辿った人生の軌跡は、本作を手掛けたヴィム・ヴェンダース監督の多くの映画と共通した部分が見受けられる。彼の人生は移動の連続であり、旅や冒険によってその人間性が形作られている。ヴェンダース監督の「ロード・ムービー三部作(『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』)」で例えると、これらも苦悩する表現者の旅や冒険の物語であり、作中で描かれる事柄は自分の生き方に右往左往する主人公の魂の喪失と再生である。

回想シーンをモノクロで撮り、現在の活動の様子をカラーで撮る手法は、これもヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』(1987年)を連想させる。天使を主役に据えたこの映画は、天使の視点をモノクロで、人間の視点をカラーで描いている。もしかすると本作のモノクロ映像の中で自らの人生を回想するその偉大な報道写真家を、ヴェンダース監督は天使として描こうとしたのかもしれない。

このモノクロ映像とカラー映像が交錯する表現手法は、撮影者の違いによる偶然の産物だが、それでもその偶然性によって生まれた映像美には、ヴェンダース監督の過去の名作群を連想せずにはいられない。

本作のカラーの撮影を担当したのは、共同監督を務めたセバスチャンの長男ジュリアーノだ。彼は本作の演出に協力する事で、実父セバスチャンの人間性や心の内側を鮮やかに色づけした。映画と写真を通じて父と子の絆が見事に証明されたように思える。

写真家セバスチャン・サルガドという天使の魂を持った一人の人間の地球へのオマージュ、ひいては人間への深い愛情の気持ちを、ヴェンダース監督は自身の映画製作で培ってきた叙情的にしてあらゆる角度から人間を見つめていく映像表現で寄り添い、格調高い映画の詩として綴った。世界の生きとし生ける生命と地球への贈り物として。

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©Decia films-Amazonas Images-2014

 【映画情報】

セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター
(2014/フランス・ブラジル・イタリア/110分/DCP/カラー)

監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド 
撮影::ヒューゴ・バルビエ、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド 
音楽:ローレント・ピティガント

原題:The Salt of The Earth/
配給:RESPECT(レスペ)×トランスフォーマー
特別協力:TASCHEN(「GENESIS」) 
 河出書房新社(『わたしの大地から、大地へ―セバスチャン・サルガド自伝(仮)』7月刊行予定)

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http://salgado-movie.com/

8/1(土)、Bunakamuraル・シネマ他全国ロードショー

【執筆者プロフィール】

成宮秋仁 Akihito Narimiya
1989年、東京都出身。介護福祉士&心理カウンセラー。専門学校卒業後、介護士として都内の福祉施設に勤める。職場の同僚が心の病を患った事をきっかけに心理学に関心を持つ。心の病に対して実践的な効果が期待できるNLP(神経言語プログラミング)を勉強。その後、心理学やNLPをより実践的に学べる椎名ストレスケア研究所の門戸を叩く。その人が元気になる心理カウンセラーを目指し、勉学に励む毎日。映画は5歳の頃から観始め、10歳の頃から映画漬けの日々を送る。
これまでに観た映画の総本数は5000本以上。文筆活動にも関心があり、キネマ旬報「読者の映画評」に映画評が何度か掲載される。将来の夢、映画監督になる。
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