【Review】「ボケ」と生きる〜田中幸夫監督『徘徊 ママリン87歳の夏』text 佐藤奈緒子

窓からの光がほのかに差し込む落ち着いた室内。ソファに座る老女は不安げに、所在なげに周りを見回しながら「ここ誰の家? 刑務所?」とつぶやく。娘は笑いながら「ちゃうちゃう。あっこちゃん(娘)の家や」と答える。そして慣れた様子で食事の準備を始める。年老いた母でも食べやすいソーメンだ。しかしアンパンを食べてお腹がすいてない母は気乗りしない様子。めんつゆを飲もうとしたり、ソーメンを口から1本垂らしたまましゃべったり、食が進まない。娘はあきらめておかずの卵だけでも食べさせようとする。母はまだ心配事があるようだ。「やっぱ刑務所やんな?」「なんで?」「あんた誰?」「あっこちゃん」 こうして年老いた母娘の食事はとりとめのないカオスの中で過ぎていく。

「ボケ老人」という言葉は最近耳にしなくなったが、この作品を見るとママリン(娘は母をこう呼ぶ)のためにある言葉のように思えてくる。この場合の「ボケ」は認知症だけでなく漫才の「ボケ」の意味も兼ねる。母娘の掛け合いは図らずも上方漫才のごとく絶妙の間とリズムで見る者を笑かす。娘は母がとぼけたことを言うや否や「なんで」と鮮やかなツッコミを入れる。ママリンこと、アサヨさんは87歳、55歳の娘、章子さんの大阪のマンションで二人は一緒に暮らしている。アサヨさんは夫が亡くなってから奈良で一人暮らしをしていたが、数年で認知症を発症。近所に迷惑をかけるようになり、章子さんが大阪の自宅に引き取った。二人で暮らすようになって6年がたつ。

ママリンはタイトルどおり「徘徊」が趣味だ。1日に何度も外を歩き回る。夜を徹して歩いたこともあるそうだ。黄色の丈長ワンピースで闊歩するその姿はタイの托鉢僧を彷彿とさせる。章子さんによると1日のうちでも徘徊の回を重ねるごとに、ママリンの気性は激しくなっていくそうだ。体があったまるらしい。娘は無理して引き止めない。しかし母の徘徊をそっと尾行する。見たことのある光景だなと思ったら、これは老人版「はじめてのおつかい」だと気づいた。娘は毎回、偶然を装って「何やってんの?」と声をかけ、疲れてきた母を家に誘導する。ママリンの徘徊は近所でも有名だ。迷子になると人に道を聞いてなんとか交番に向かうが、顔見知りのご近所さんが声をかけて話し相手になったり、お茶を出してくれることも多い。家の近くの喫茶店やレストランは彼女の休憩所と化す。

「泣かんでよろし」「ねんねこしーや」など、章子さんはママリンを幼い子供のように扱う。ママリンも章子さんを「あっこ姉ちゃん」と呼ぶ。母と娘はその立場を逆転させながら、幼い子と母の親密さに逆戻りしていく。章子さんは母を引き取ってからの半年、怒って暴れて人殺しとののしられる毎日に正気を失いかけた。しかしある時、徘徊した母を保護してくれたお巡りさんが「すぐ見つけたるから」と言ってくれたことで肩の力が抜け、気が楽になったのだそうだ。徘徊は危ない。かといって介護者が一日中見張っていることもできない。ならば、多少のリスクはあっても、行きたいところに行かせてあげよう。お互いの心の平安のためにもそのほうがいい。そう発想を変えたとたん、近所の人も事情を察して手を差し伸べてくれるようになった。ちぐはぐな会話を笑って楽しめる境地に至ったのは、その後のことだという。

冒頭で触れたようなリビングでの会話は、この映画の肝ともいえる重要な場面だ。だがどれもかなり長い。カメラはその一部始終をおさめる。いつ終わるとも知れない、どこに着地するかも分からない二人の掛け合いは、まるでママリンの徘徊のように無軌道で予測不能。終わりの見えない果てしない時間、これが二人にとっての日常なのだろう。カメラは、ドアを祭り囃子のように叩くママリンを大胆にローアングルでとらえ、徘徊中、電信柱や植木と雑談するママリンを背後からそっと見守る。その視線は同じ家に住む猫たちの視線とも重なる。しかし「動物が大好き」と自称するママリンはなぜか猫よりもぬいぐるみを可愛がる。犬のぬいぐるみにニャーと話しかけ、くまのプーさんの後頭部にチューをあびせる。細かいことは気にしない。彼女は生死すら関係ない超現実の中を生きているのかもしれない。電信柱と植木とぬいぐるみと会話できるママリンの徘徊は、「オズの魔法使い」のドロシーの冒険ようにファンタジックでシュールだ。

監督はこの母娘と出会った瞬間、まず目が点になり、「断ち切れない関係性の中で一方が壊れた時、人はどう覚悟するのか」というテーマが突き刺さったそうだ。身近な人が正気を失うこと、その介護がのしかかることを笑える人はいない。暗い灰色の毎日に誰もが絶望するだろう。でも章子さんは「覚悟」を決めて変わることができた。その事実が示すのは、自分なりの覚悟を決めた人だけが、絶望の先にある世界を見ることができる、ということかもしれない。そこは思った以上に色鮮やかで面白い世界なのだ、と。映画を見ながら、ズレた掛け合いを笑いつつも、ママリンが自分の母親と重なって涙があふれた。私の親もじきボケるだろう。そして私を人殺しとののしるだろう。その時、自分なりの覚悟を決められるだろうか。すべてを「普通」として受け入れることにした章子さんのスタンスが、今は救いだ。

「人間が生きていくっていうのは大変ですねぇ」「親は死んだ方がいいんですねぇ」 長生きした己を憐み、生活費を心配するママリン。認知症であっても、娘の世話になることに申し訳なさを感じるのだろう。娘は邪魔くさくなって「天に任せなさい」と一蹴する。するとママリンがぽつりと言った。「政府がちゃんとしてくれはるとか言うてたけど、あれ嘘なんやなぁ」 認知症、侮るなかれ。

【映画情報】

『徘徊 ママリン87歳の夏』
(2015年/日本/77分/風楽創作事務所 )

監督/撮影/編集/製作 田中幸夫(『未来世紀ニシナリ』『凍蝶図鑑』)
助監督 北川のん
音効 吉田一郎・石川泰三

写真はすべて©風楽創作事務所

新宿・K’sシネマ、横浜・シネマジャック&ベティ、大阪・シアターセブン
仙台・桜井薬局セントラルホールほかにて好評上映中

公式HP http://hai-kai.com

【執筆者プロフィール】

佐藤奈緒子(さとう・なおこ)
香川県生まれ。早稲田大学文学部卒業。映画、ドラマ、ドキュメンタリーの字幕制作にたずさわる。
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