【Review】「天皇」を描く意味とは――渡辺謙一監督『天皇と軍隊』text 若林良



『天皇と軍隊』©英王立戦争博物館



日本の125代におよぶ歴代天皇のなかで、その「代表格」のアンケートをとるとしよう。おそらく上位に姿を見せるのは、天武天皇や聖武天皇、また後白河天皇といった、みずからが政治の中心にたった、「傑物」と呼ぶべき存在であるかもしれない。しかしながら、「制度」としての天皇を考えるうえでは、彼らよりも身近な、際立った異彩をはなつ人物がひとり存在する。いわずと知れた先帝、昭和天皇裕仁である。

裕仁の特異性については、少なくとも3つの分類が可能となる。まずは言うまでもないが、日本史上で唯一「現人神」から「人間」への移行を経験した天皇であること。また、歴代天皇の中で在位期間が最長に及び、それだけ多くの歴史的変遷を経験した天皇であること。さらには、映画史的にはこれがもっとも重要なことではあるが、自身の映像や肉声を私たちの目に見えるかたちではっきりと残した、最初の天皇ということである。「敗者は映像を持たない」とは大島渚の有名な弁であるが、たとえばアーカイブとして、現在youtubeなどでもその姿を見ることができる裕仁は、歴史的な「勝者」であると形容することもできるだろう。

本作『天皇と軍隊』は、おそらくは裕仁が残した視覚的な衝撃から、インスピレーションを得て制作されたドキュメンタリーである。「衝撃」とはまず、彼とGHQの最高司令官・マッカーサーが並んで撮影された写真について言及できる。米国軍占領下における日本の民主化をたどった、『敗北を抱きしめて』の著者であるジョン・ダワーは、作中でこの写真について以下のように語る。

「2人は並んで立っています。マッカーサーは“味方”だと言いますが、彼の方が背が高く年も上でリラックスしている。天皇は硬直しており、どちらが支配者かは誰の目にも明らかです。」


亀井文夫『日本の悲劇』より


身長の差と撮影に臨む態度、また裕仁がきっちりとした正装であるのに対し、マッカーサーは略式の軍服であるなど、写真におけるふたりのあり方は見事な対照をみせる。この写真に関しては、明らかにマッカーサー=アメリカの優位性をしめしたものとして、一度は新聞への掲載が見送られたものの、GHQの要請によってはじめて大衆の目に触れたというエピソードも有名で、文字通り、大日本帝国の終焉をしめす象徴的な一枚となった。

こうした「時代の移り変わり」を説明するうえでは、裕仁の姿は映画史においても大きな役割を占めている。たとえば、亀井文夫の『日本の悲劇』(1946)においては、ラストに軍服姿の裕仁が背広姿へとオーバーラップして変わっていくシーンが挿入され、戦前と戦後の断絶を決定づける強い訴求力をもたらしていた。また今年リメイクされた『日本のいちばん長い日』(1967)や、『大日本帝国』(1982)などの戦争大作においては、終戦に際しての裕仁の決断が大きくクローズアップされ、いわば「終戦のアイコン」としての彼の存在が焦点化される形となった。天皇という存在が戦前の日本における「核」となっていたことを考えると、これは恐らく、歴史的な必然と言うことができるだろう。

このようなことを踏まえると、本作『天皇と軍隊』が作られた理由も私たちには自然と見えてくる。監督の渡辺謙一はフランス在住で、欧州にとって「遠い存在」である、フクシマやヒロシマの理解を深めるためのテレビ番組制作に取り組んできた人物である。『天皇と軍隊』もまたフランスでの放送を前提に制作され、作品にはフランスの聴衆向けに、一見すると過剰なまでのナレーションや、裕仁の多彩な映像が挿入されている。つまり本作は、観客が日本の終戦を「知らない」ことを前提に作られた作品であり、「終戦」への理解を円滑化させる手段として、「天皇」という物語を中心に据えたのだと言える。私たち日本人がドイツの終戦を考えるとき、ヒトラーの姿をおぼろげに想像するように、番組に興味を持たせる手段としても、これは有効なものであったと言えよう。

ただ、できあがった本作に関して言えば、正直なところうまくまとまることなく、全体として散漫な印象を受けてしまう。今は亡き田英夫や中川昭一など、識者へのインタビューはそれぞれ興味深くはあるものの、天皇制以外にも、靖国の参拝問題、東京裁判、日米安保など話があまりにも広がりすぎ、90分という枠にしては少し欲張り過ぎた感じが否めない(テレビとはそもそも、「情報を詰め込む」ものと言われればそうなのだが)。もちろん、語られるトピックそれぞれに相関性があることは指摘できるものの、たとえば三島由紀夫の自決を前にした演説のシーンなどは、いかんせん単体としてのインパクトが強すぎて、全体の中での不調和感、ぎこちなさを払拭することが困難となっている。

本作においては、前述のインタビューのほかに、裕仁による戦後はじめての国民との交流や、東京裁判における木戸幸一の証言などいくつもの貴重な映像が紹介されるが、それらは画面をあっという間に通り過ぎてしまい、ひとつのくっきりとした像を結ばないままとなっている。「複合的な解釈が可能な作品である」などと言われればそれまでだが、少なくとも日本人にとってもほとんど目にする機会のない、戦前・戦後まもなくの裕仁をうつした貴重な映像が多く見られるだけに、それらをもう少し有効利用できなかったのか、と「知られざる昭和天皇像」を期待した側としてはやや不満が生まれてくる。資料としての価値は多大であるものの、「それ以上の何か」がこの映画からはなかなか見えてこないのである。 


『天皇と軍隊』より



ただ、こうした感想を抱くのはやはり私が日本人であるからであって、本作を語る上では、いわば「戦後日本を問う」本作が、逆輸入というかたちで日本に紹介された意義をこそ問うべきかもしれない。本作で私自身が意義を覚えたのは、たとえばロラン・バルトの『表微の帝国』がナレーションとして紹介されるファースト・シーンがある。「私が語る都市は逆説をはらんでいる、この都市には中心がある、だがその中心は空虚だ」――この“中心”が指すのは天皇という存在、またそこから派生した「神国日本」という幻想であろうが、「天皇」という日本的な文脈から外れては考えにくい概念を、このように西洋の哲学と結びつけたことによって、その意味合いはひとつの再構築をされたようにも感じる。西洋人からみれば、自分たちとはかけ離れた東洋の国の皇帝を、自分たちの概念で問いなおすことはむしろ当然でもあろうが、日本人からすると、「天皇」という存在は自分たちの、ひとつの精神的な支柱であるがゆえに、なかなか相対的に考えることが難しいものなのである。そうしたこともあって、これは今後の「天皇」との向き合い方を探るうえでも、ひとつの重要なエッセンスになりうるように感じられた。 (もっとも、バルト×天皇制に対する指摘は刊行以来さまざまな知識人、たとえば渡部直己の『不敬文学論序説』などにも見られる、発想としては決して新しくはないものである。ただ本作が一般の大衆を想定して作られたこと、またそれが『表微の帝国』から歳月を経てあらたに日本で公開されたことを考えると、やはりこれは特筆に価するのではないか)

また、ラストにおける哲学者・高橋哲哉の「最高責任者である天皇が責任をとらなかったということが、日本人の“責任”についての観念に影響しなかったことはあり得ないと思う」という発言や、それに続いての裕仁の1975年の記者会見、すなわち「原爆投下を遺憾には思うが、戦争中であるから致しかたなかった」という発言、そして映画の総括として、1947年の広島を訪問した裕仁が、民衆からの歓声をあびる一連のシークエンスは、大仰な言いかたとなるが、私たち日本人の“民族性”を問い直す上で興味深いものがある。

なぜ、2年前の悲劇に間接的であれ、当事者としての責任を負う裕仁を、広島市民は当然のように受け入れたのか。「喉元すぎれば」ではないが、結局は戦争責任の所在があやふやになったことにより、日本人は戦時中に自分たちが虐げられた「被害」の歴史、また南京大虐殺や占領地での暴力行為をはじめとした、「加害」の歴史を忘れてしまったのではないか。そしてややもすれば、その結果こそが現在の日本の「再軍備化」にも作用してきたのではないか――。『天皇と軍隊』の制作は2009年ではあるが、意図せずして本作は戦後70年、2015年を撃つ意味合いも強まっている。

「天皇」という存在について改めて映像でしめすだけでなく、「天皇を描く」ことの意味について迫れなかったという恨みはあるものの、現在こうした映画が作られた意義は大きい。

願わくば、この映画を嚆矢として、「天皇」を軸に歴史を問い直す作品が次々に生まれることを期待したいと思う。それは言いかえれば、私たち日本人の意識の尖鋭化、また歴史に対する主体性の強化を、新たに反映した結果とも言えるからである。


『天皇と軍隊』より



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http://upsoftware.com.ar/status/ Clomid online 『天皇と軍隊』
(2009年/フランス/HDV/90分)
原題:Le Japon, l’Empereur et l’Armee

監督:渡辺 謙一
プロデューサー:オリヴィエ・ミル、渡辺クリスティーヌ
撮影:エマニュエル・ヴァレット 編集:ファブリス・タブリエ 音楽:ジェローム・クレ
録音:ステファン・ララ ナレーション:フェオドール・アトキン
制作:KAMI Productions, ARTLINE Films, ARTE France
制作協力:TBS 宣伝美術:追川 恵子 配給:きろくびと

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〜10/23  18:00
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詳しくは下記サイトをご覧下さい
http://www.kiroku-bito.com/article1&9/screening.html

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若林良 (わかばやし・りょう)
1990年生まれ。映画批評・現代日本文学批評。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程在籍。太平洋戦争を題材とした日本映画に特に強い関心を持つ。

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