【Interview】この映画は芸術作品ではない。原発推進派に勝つための訴状です~『日本と原発 4年後』 河合弘之監督インタビュー



去年(2014年)の秋、『日本と原発』というドキュメンタリー映画が有料上映会を都内から始め、多くの観客を動員した。

脱原発弁護団全国連絡会の共同代表であり、原発訴訟を多く手掛けるベテラン弁護士・河合弘之の初監督作品。自ら顔を出して、原発推進派のロジックの不備や矛盾を次々と論破してみせる作りが、話題を呼んだ。
この『日本と原発』に新撮部分を加え、再構成して生まれたのが10月10日より渋谷ユーロスペースで公開の『日本と原発 4年後』だ。

 


ドキュメンタリー映画の場合、一方の主張から事象を論じるものは、批評の俎上には載せづらいところがある。両論併記の原則論に照らす以前にまず―率直に言ってしまうと―作品の線が細いことが少なくないからだ。

市民の生活・意識を豊かにするためのメッセージを誠実に、真摯に伝えてくれるのだが、見るひとの義憤や情緒に訴える語りくちが強引だったり、浅かったり。そういう映画はどう捉えるべきか、常にジレンマがある。

脱原発の主張に貫かれた『日本と原発 4年後』は、まさにそれ、いわゆる〈社会派ドキュメンタリー〉の典型と、いったんは思える。しかし、監督自ら「推進派に反論できるツールを持ってもらうことが、製作の第一の動機だった。芸術的評価には興味が無い」と公言するような映画にまでは、なかなかお目にかかれない。
いつか日本から原発が無くなる日の実現に勝算を持っている、〈弁護士が作った映画〉。振り切り方が突出しているのだ。他にはあまり無い風貌を宿した映画だ。

経済事件専門の辣腕だった河合弘之が、原発訴訟に参加して20年余。
東京電力福島第一原発の事故以前は連戦連敗だったという経験と、「司法は生きていた」の垂れ幕が記憶に新しい、関西電力大飯原発3・4号機運転差し止め判決(2014年5月21日)を勝ち取った弁護団リーダーとしての蓄積・ノウハウ。これを惜しむことなく映画に注ぎ込んでいる。
題材への理解、リサーチといったものの厚みが自ずと違う、異色中の異色監督の出現である。
(取材・構成:若木康輔)



『日本と原発 4年後』は、『日本と原発』の続編であり拡充版です

― このサイトで僕はなるたけ意識して、新人監督のインタビューをとってきました。そのなかでも河合さんは、断トツで最年長です。

河合
 アハハ、僕も映画の世界では新人だからね!



― まず映画の基本情報について確認させてください。『日本と原発』をベースに、新撮部分を加えて再構成されている『日本と原発 4年後』は、続編なのか、それとも改訂版なのか。どちらと考えればよいでしょうか?

河合
 両方です。僕は常に原発問題の初心者、それほど知識を持たない人が見ても分かる映画にしたいので、『日本と原発』を見ていない人が理解できない、置いていかれることは無いようにしたいと考えました。

なので『日本と原発 4年後』では、原発について語る時にどうしても欠かせない基幹部分を残しつつ、新しい要素を可能な限り盛り込んだ。比率でいうと6:4ぐらいかな。続編であると同時に、拡充版ということです。

― 『日本と原発』をすでに見ている観客は、戸惑いを覚えるかもしれません。

河合
 でも僕は、そこは大丈夫、繰り返しになる部分もちゃんと見てもらえると思っています。
『日本と原発』の有料上映会ではね、リピーターが凄く多かったんですよ。3回、5回見た人は、ざら。「3回以上見た人には脱原発検定修了証を出します」と言って、実際に僕の名刺に書いて、ハイって渡してた(笑)。


『日本と原発』は1度見ただけでは覚えきれない、ギュウギュウ詰めの幕の内弁当です。説明要素が30位あるんですよ。シーンの数は42。一度見ただけだとあそこが抜けていた、あそこをまた見たいとなる。だから何回見ても飽きないし、見る人の学習意欲、向上意欲をかきたてるものになっていると自負を持っています。

『日本と原発 4年後』はもっと詰め込んでいるから、〈原発の原理〉〈地震と津波〉〈国富の流出〉〈停電の問題〉などの要素は35以上、シーンの数は53、4になっています。
『日本と原発』と同じ部分は再確認、見る人の認識の固定化につながるし、それで、新しい部分をさらに新鮮に見てもらえるんじゃないかな。


『日本と原発 4年後』で加えた要素で一番、これは前作に無かったと印象に残る要素は〈原発とテロ〉でしょうね。
海岸線に建つ各地の原発は、テロリストやミサイルの攻撃に対して無防備に近い。自国の安全保障を本気で考えるならば、原発が防衛における最大のアキレス腱になっている点を無視するのは矛盾ではないか。アニメーションを使ってそう説く場面。


〈原発とテロ〉を盛り込むことが、『日本と原発 4年後』を作った大きな動因のひとつです。実は『日本と原発』でも要素として考えていたんですが、尺の問題で、最後の最後に落としたんです。
ところが完成させた後、2014年12月に、アメリカのソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが映画の公開を中止する騒動が起きました。北朝鮮の金正恩第一書記を暗殺するというストーリーの映画を公開したため、サイバー攻撃を受けて。あれで、原発に対するサイバーテロも現実味を帯びてきた、この問題を取り上げなければダメだと。泣く泣く落としたのがますます心残りになってきて。

それに今年の4月14日、福井地方裁判所で、関西電力高浜原発3・4号機の運転禁止仮処分命令が出ました。
7月31日には、東京検察審査会によって、東京電力の旧経営陣3人(勝俣恒久元会長・武藤栄、武黒一郎元副社長)の強制起訴が決まり、福島第一原発事故の刑事責任がようやく裁判の場で争われることになりました。

こうした重要なトピックも、ぜひ入れたくなったんです。


僕の映画は〈訴状〉なんですよ。脱原発の戦いに勝つために作ったんだ

― 原発は解決していない問題。だから映画も、完結はしない。拡充という考え方はよく理解できました。それに新たな要素だなと思ったひとつは、推進派の人も登場することですね。これは『日本と原発』には無かった。

河合
 『日本と原発』を批判した、中立的な立場の男がいたんですよ。「河合さんの一方的な言い分だけ。推進派の意見がどこにも無いから、この映画はワンサイド・ゲームだ」と。それに対して僕は「こっちの映画なんだ。こっちの見解だけで成り立っているのは当たり前じゃないか」と言いました。


僕の映画は〈訴状〉なんですよ。訴状は、勝つために書くんだから。

でも、推進派の意見を入れた方が確かに厚みと信頼感は出るかな、と思うようになってね。それで、評論家の木元教子さんに出てもらいました。
どうして彼女に当たりをつけたかというと、なんといっても元原子力委員会の委員ですし、個人的に仲が良いから(笑)。ロータリークラブで一緒なんですよ。原発については水と油でしょっちゅうやりあっているんだけど、友達なんだ。


― 木元さんと話す場面は、窓が二面の部屋でしたけど……、

河合
 そうそう、ここ(所長をつとめる法律事務所の一室)で撮ったの。ただ、彼女は見てもらえれば分かる通り、生活者目線からの推進論の典型でね。それはそれで必要で、とても有り難かったんだけど、推進派でもっとゴリッとした存在が必要になった。それで木元さんに紹介してもらったのが、近藤駿介さんです。


― 『日本と原発 4年後』の重要要素のひとつである、福島第一原発事故直後に作成された「最悪シナリオ」(正式名称:福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描)。それを作った科学者の方ですね。

河合
 当然、断られると思っていました。原子力委員会の委員長を長年つとめていた、言ってみれば原子力ムラ・学術部のトップですからね。
でも僕は、人をおちょくるのは嫌いだから、正面から堂々と取材依頼をしました。そしたら、いいですよとメールで返事が来て、これは事だぞ、となりましたね。僕の方が逆にやりこめられちゃったら、映画にならないしさ(笑)。といって、折角応じてくださったのに敵対的な態度をとってはいけない。


近藤さんには丁重に丁重にお話を聞きましたし、結果、とても真摯に答えていただきました。
被災者についてどう思いますかと聞いたら「原発は絶対に安全、安心と説いてきた立場として、申し訳ないと思っている」と。


「最悪シナリオ」を映画に取り入れられたことは、大きいんです。あれは知性的な人に原発の恐ろしさを伝えるための、凄く効果的な資料なんですよ。

福島第一原発4号機の使用済み核燃料プールが崩落し、核燃料が破壊されたら、住民の移転に国が応じなければならない任意移転レベルの放射能汚染に晒される地域は、東京都ほぼ全域を含むまでに広がる……国の存亡に関わる可能性が大きかったことを、しかるべき立場の人が科学的根拠を持って想定している文書ですから。
取り入れたこの映画自体が、裁判官を説得する有効な材料になる。知識人というのはこういう文書に弱いんですよ。


― 権威を利用する相手と戦うために、その権威を逆手にとる。河合さんは原発訴訟に関わる前は数々の経済事件を手掛け、ビジネス弁護士として名を馳せてきました。そこで鍛え上げられたしたたかさでしょうか。

河合
 まあ、そうかも分からない。ある交渉の場で僕が誘導尋問に近いことをしたら、横にいた映画のスタッフに後で「河合さんってワルだよね……」って、呆れたように言われたね(笑)。


それに、『日本と原発 4年後』では飯館村に焦点を当てています。村から避難した菅野栄子さんという女性が凄く心に残ることを言っていたでしょう。
「何十年もかけて、かき集めた落ち葉や、草を刈って牛に食べさせたフンでできた有機肥料の入った土がフレコンバッグの中に入って。放射能と心中するんだろうけど、どこへ行くんだべか……」と。


この痛みは、ふつうの人はすぐには分からないんですよ。除染で表面5cmの土をかき取るということは、畑の一番肥えた黒土を奪うことだから。
時間をかけて作った宝の山が、一瞬にして毒にされてしまった。菅野さんの嘆きも、ちゃんと見せておきたかった。


こうして、あれもこれも、と欲が出て、前作よりなおギュウギュウ詰めの映画になったんです。

 


監督をするつもりは一切無かったけど、僕がやるより無かった

― 9月に刊行された『原発訴訟が社会を変える』(集英社新書)の中で、河合さんは「原発推進派との論争に打ち勝つためのツールとして活用してもらいたくて、この映画を製作しました」と書かれています。つまり、河合さんにとってこの映画は、作品というよりも、脱原発のための武器でしょうか。

河合
 そうです。そういう考えで作っているから、芸術家にとっては邪道かも分からない。『日本と原発』はどこの映画祭に出しても当選させてくれなかったんだよな(笑)。


― しかし意図が理解できると、この映画には作品として語るにふさわしい、独特の個性があることが分かってきます。推進派の主張にひとつひとつ反駁し一蹴していく展開からは、一種ハードボイルドな興趣が生まれていますし、監督が映画の中にどんどん出てくるのも、日本では珍しい。

河合
 僕がマイクを持って出てくるのは、あれはマイケル・ムーアですよ。それにホワイトボードで講義するのは、元副大統領のアル・ゴアの講演を映画にした『不都合な真実』。この両方の手法を取り入れたの。僕のことは「マイケル・ムーア・カワイ」と呼んでください(笑)。


― 脚本・編集・監督補の拝身風太郎さんとは、そういうアイデアを出し合いながら進めていったのですか?

河合
 まず僕が大筋を、こういうことだ、こういうことなんだ、と一所懸命に彼に話し、書いて渡す。それを彼の映像上のテクニックやノウハウでもって具現化してもらう、というやり方です。


彼はCMディレクターです。拝身風太郎という名前はペンネーム。本名でこの映画に関わったら、コマーシャルを作れなくなるから。
映画もドキュメンタリーも、全くやってこなかった人なんですよ。だけど非常に考え抜くタイプ。これから先、映画でデビューする機会があったら、ひとかどの存在になれるんじゃないかな。

― 一緒に組むことになったのは?

河合
 当初の話に遡ると、僕は監督をするつもりは一切無かったんです。出来るとも思っていなかったし。製作を決意した2012年に、劇映画では有名なAという監督に依頼したら「主旨は大賛成だけれど、他の映画が作れなくなる。勘弁してくれ」と言われてね。無名だけど原発は絶対反対というB監督を紹介してもらったんです。


B監督にはある程度の部分を撮影してもらったんだけど、手に余ったのか、途中で「ギブアップです」と言われてね。しばらく中断してしまった。
A監督にそれを話して相談したら、「あなたが監督をおやりなさい。結局それが一番いい」(笑)。そして、僕だけじゃ無理だろうからと付けてくれたのが、拝身風太郎だったというわけです。

拝身さんの特徴は、映像からじゃなく、文章から入っていくことです。コマーシャルの世界で訓練されているんでしょうね。この商品の何を訴えたら良いのか、まず文章で考えて本質を掴み、それから映像を考える順番。だから非常に文章が上手い。ナレーションも、基本は彼が書いています。
「コマーシャルの仕事には、短い尺のなかでスポンサーの注文を全て聞きながら自分の色を出す、その面白さはあるけれど、創作の喜びは味わったことが無い」と、いつか言っていましたけど。この映画に関わって、創作の喜びに目覚めたのかもしれない。そう思う程、熱心に関わってくれました。

それに、秒単位のものを長年作ってきたからか、編集がギュッとしていますね。撮ったものをダラダラと見せない。
考え抜いて考え抜いて、3秒でも5秒でも絞れるところは絞る。その上で、ここには論理的な内容とは離れた場面が必要だ、などと提案してくるんです。