【特集 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015】名作たちとの出会いの「追憶」〜倉田剛著『山形映画祭を味わう——ドキュメンタリーが激突する街』text 細見葉介

いま参加している人々は、巨大なタイムテーブルと映画紹介を見比べ、作品を観る順を決めて胸躍らせている頃ではないだろうか。———今年も10月8日より、第14回山形国際ドキュメンタリー映画祭が開催されている。

私は2003年の第8回が初の参加だったが、複数会場で上映される全作品を観ることは映画祭関係者でもない限り不可能であるし、さらに初参加以前の伝説的な各回への興味は尽きない。映画祭初期、とりわけ小川紳介が関わっていた1989年の第1回、ともなると、遥かギリシャ・ローマ時代のような遠い世界に思える。

そうした、各回の名作品との出会いをもう一度私たちの前へ再現してくれるのがこの本である。筆者である倉田剛は、初回から13回まで、全てに参加してきた大ファンだ。大阪在住で高校勤務の傍ら、最大限の休暇を活かして山形へ来ていたという。250ページに満たない本書ではこの13回を、映画祭に行った者として共有可能な期待、興奮の感覚とともに駆け足で回想していく。映画祭についてファンの立場から本が書かれること自体が山形の別格さを表している。

山形国際ドキュメンタリー映画祭については、翻訳者として関わってきた山之内悦子の著書『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』(2013、大月書店)も詳しい。翻訳、日刊ニュースレター「デイリー・ニュース」発行などスタッフたちの走り回る舞台裏や、参加した東北芸術工科大の学生たちに与えた影響など、初期からの映画祭の成り立ちを知るには不可欠だ。同書が、作品選考や運営も含めた概説書だとすれば、『山形映画祭を味わう』はファン目線を徹底した、作品と監督が軸の入門書と言えよう。

映画祭が小川紳介の圧倒的な存在感のもと初回から濃密な構成であり、そして日本の、世界のドキュメンタリー映画のど真ん中に在り続けてきたことが分かる。意外な事実もあった。第一回のコンペティションには、アジア作品は一本も出品されていなかった。フィリピンの映画作家キドラット・タヒミックは「我々ここに出席したアジアのフィルムメイカーは、この山形国際ドキュメンタリー映画祭にアジアの作品が1つも出品されていないことを遺憾に思う」から始まる声明を起草した。5時間にわたる日本、韓国、台湾、タイなどの映画作家たちを集めたシンポジウムでは、白熱した議論が交わされた。やがて、その思いは第一回の「アジア・プログラム」などを経て、第5回以降の「アジア千波万波」につながっていく。

この年に行っておきたかった/これを観ておきたかった、という回はいくつも見つかる。小川紳介追悼上映のあった第3回(1993年)。河瀬直美『杣人物語』やインドのニリタ・ヴァチャニ『母がクリスマスに帰るとき…』など、女性監督の活躍がとりわけ目立った第5回(1997年)。映画祭が始まる前に世を去ったヨリス・イヴェンスの特集が行われた第6回(1999年)。そして王兵の『鉄西区』(第8回/2003年)、『鳳鳴』(第10回/2007年)の衝撃。『鉄西区』については、佐藤真が『ドキュメンタリーの修辞学』(みすず書房)で書いているのと別の角度からの視点があり、映画を観ていない人にも伝わる筆力がある。

中でもうらやましいかったのは、1~5回まで、安井喜雄(現・神戸映画資料館館長)のコーディネートで行われてきた特集上映「日本ドキュメンタリー映画の回顧」シリーズである。第1回「日本ドキュメンタリー映画の黎明」特集では、早稲田の学生がブルジョアスポーツを批判したプロキノ作品、映画法施行下での文化映画、教育映画や「日本ニュース」が上映された。なかなか他では一同に会することのない重厚なラインナップだ。中央公民館4階の畳敷きの上で亀井文夫の『小林一茶』が上映されたというエピソードが山形らしい。第3回「日本ドキュメンタリー映画の躍動の60年代」では、団塊の世代である倉田は新宿西口フォークゲリラを記録した『地下広場』に、当時新宿を歩いていた自らの経験を重ね合わせる。広い世界の出来事と、自分史とが交錯する。

小川紳介が第1回プログラムのインタビューで、映画祭へ向けた山形各地の自発的な動きを評して「自分たちが行動すれば、直接、世界は、自分たちのところへやって来る。今、彼らは誰に命令されることなく、自分たちの世界の可能性を拡げようとして、自分の中に抑えがたく起こって来る気持ちで動いているのです」と述べているのは、筆者の倉田にもあてはまる。倉田は2011年に教員を定年退職し、1週間の全日程への参加が可能となる。「大阪の心斎橋から仙台までの深夜高速バスに乗り込んだ。格安のバスゆえ、しんどいことこの上ないが、全日ヤマガタに参加できる喜びで苦痛など感じず」と、興奮が伝わってくる。一人の映画ファンが、山形に恋した記録なのである。

「映画祭の出発は見届けたが、ここまでの発展は知ることがなかった小川紳介はじめ土本典昭、佐藤真といった人たちは、この映画祭とともにいつまでも名を思い出すだろう」と倉田は書く。山形は新しい監督たちの登場の舞台でありつつ、同時に世を去った監督たちの作品を追憶する場でもあった。2013年の酒井耕/濱口竜介監督の『なみのこえ』を紹介したあと「この映画祭の体験は、仕事や人間関係を豊かにしてくれたと思う。長いヤマガタへの旅はまだ続くだろう」とまとめて筆を措いている。

いっときも無駄にできない映画祭としての山形国際ドキュメンタリー映画祭の「追憶」の書を、今年の訪問前に読むことができたのは幸いだった。そして私はいま改めてタイムテーブルと向き合い、順路を熟考している次第である。(文中敬称略)

今年も盛り上がる山形国際ドキュメンタリー映画祭

【書誌情報】

倉田剛著『山形映画祭を味わう ——ドキュメンタリーが激突する街』
現代書館 ISBN978-4-7684-7654-3

http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-7654-3.htm

2015年7月発売 四六判 248ページ 本体:2000円

【参考書誌情報】

山之内悦子著『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々
大月書店 ISBN 978-4-2726-1229-1

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b122120.html

2013年9月発売 四六判 288ページ 本体:2000円

【リンク】
【Interview】『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』著者 山之内悦子さんインタビュー

【執筆者プロフィール】

細見葉介(ほそみ ようすけ)
1983年生まれ。インディーズ映画製作の傍ら、ドキュメンタリー映画鑑賞に各地を歩き批評を執筆。連載に『写真の印象と新しい世代』(「neoneo」、2004)。共著に『希望』(旬報社、2011)。
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