【Report】たくさんの「手のひら」~3.11映画祭 初日レポート(2016年3月11日)  text 大久保 渉

3.11映画祭の会場:アーツ千代田3331

3.11映画祭。それはたとえていうならば、「パー」のような映画祭だと思った。「グー」でもなく「チョキ」でもなく、「パー」。それはあまりに突拍子のない説明になっているかもしれないが、しかしその会場に行ってみて感じたことは、映画祭が皆に猛々しくこぶしを振り上げさせようとしているのでもなく、さりとてただ賑やかに盛り上がろうとしているのでもなく、何か、優しく、しっかりと、色々な思いを受け止められるように指を開いているような。あるいは、何かを掴もうと、一生懸命に、すっと手を前に差し出しているような。日本に住むすべての人たちに3.11という出来事を改めて考えるきっかけを創出している、そんな映画祭だと思った。

この3.11映画祭は、2014年3月から始まって今年で第3回を迎える映画祭である。主催は「わわプロジェクト」。会場は、東京都千代田にある「アーツ千代田3331」。

映画祭の初日、3月11日(金)は朝から小雨が降りしきる肌寒い一日だった。その前の週は気温が17度まで上がった日もあったというのに、その日の最高気温は6度。冬物のコートを羽織る人々が町中で多く散見された。

「あの日もこのくらい寒かった」。別に、ここでそういった感傷に浸りたいというわけではない。ただ、この悪天候の中、しかも平日に、このアーツ千代田3331に足を運んだ観客たちがたくさんいたということに、改めて少し驚いてしまったのである。

その日、テレビでは一日中、東日本大震災関連の特集番組が組まれていた。震災以降の今日の現状、問題、その情報量は圧倒的にテレビ媒体が多かったと思う。しかし、観客はその日家から出て、映画祭の会場まで来たのである。何かを求めて。何かを感じに。それは、震災が個人的体験ではなく、あの日、日本全土が一斉に衝撃を受けた、ある種の連帯的体験とでも言えようか。あの日のことを振り返るのに、決して一人ではいられない。誰かと一緒に考えたい。そうした思いが蒸気のようにして、3.11映画祭の会場に来ている観客たちから立ち上っているように、感じられたのである。

上映会後、アフタートークの様子(座席数:50)

「観客を誘導するようなことはしたくない」。

今年の上映プログラムについて、当映画祭のディレクターを務めた高村陽子氏が穏やかに、かつ力強い口調でそう話していたことも、とても印象に残った。

今年は3月11日(金)から14日(月)まで、4日間の開催で述べ16本の劇映画、ドキュメンタリー映画がアーツ千代田 3331にて上映された。私が訪れた初日は、『春よこい ~熊と蜂蜜とアキオさん~』『広河隆一 人間の戦場』『人の望みの喜びよ』『さようなら』の4作品が上映されていた。

この日の最終プログラム、『さようなら』上映後の平田オリザ氏、深田晃司監督(テレビ電話)によるトークショーでは、「なぜ放射能に侵された近未来の日本を舞台に選んだのか?」「何か原発に対するメッセージが込められていたのか?」という質問が観客席から沸き起こっていた。これに対して、深田監督は「反原発のメッセージ自体を込めているわけではない」と答えていた。「観客が映画を見て考える」「そこを促すような作品をつくっている」……。

もちろん、これらの言葉は深田監督の作家としての在り方にも依るものなのではあるけれども、しかし、そうしたお話の数々が、「映画」の力を、そして、3.11映画祭が開催される「意義」を物語っているように感じられた。

同じ作品を見ても、場所によって、時間によって、人によって見え方が異なる。感想が違ってくる。個人的でありながらも、複数人で同時にひとつのものを分かち合うことができる、「映画」という体験。この会場で、それぞれが今自分の心の中で沸き起こった感情について、そしてこれから行く先の未来について、様々な意見をその場で口々に発している、お互いに共有し合っている人たちの姿を見て、この映画祭が掲げる「意識や問いの共有」「身近な人たちと話すキッカケ」が確かに生まれているということを、肌で感じたのである。観客席から立ち上がるいくつもの手のひらが、繰り返される挙手の上げ下げが、映画祭のロゴにも描かれているような、社会を動かす「波」のうねりのように、見えてきたのである。

                                                                                      映画『さようなら』上映後の平田オリザ氏・深田晃司氏によるアフタートークの様子

そして、この波のうねりは、つながっていく。広がっていく。第3回3.11映画祭では、アーツ千代田3331のメイン会場の他に、全国30か所で有志による自主上映会がサテライト会場として同時開催された。そこでは当映画祭に連携参加する個人、団体、企業、様々な層の人たちが主体となって、それぞれに3.11と向き合い、各々で選定した作品を上映。各団体が自主的に企画立案から運営まで行っていたのである。

映画祭初日の上映終了後、その日開催されたオープニングセレモニー&レセプションに参加するために来場していた各サテライト会場の運営担当者たちは、実際に震災当時東北地方にいた人、復興支援に行っていた人、それぞれに東日本大震災に対して想いを持っている人たちであった。

「あれから5年」。皆が一様に口にするのは、「今、自分に何ができるのか」ということであった。

「オペラのように全国をまわって、(3.11という出来事を)強制的に忘れさせない。それが、芸術家にできること」。

『さようなら』の原作者である平田オリザ氏は、レセプションの挨拶でそう述べていた。

「映画を観て、観客にも何か一歩を進んでほしいと思っている」「(フォトジャーナリストである広河氏は)悲惨さを伝えているだけじゃなく、「生きる」、そこの輝きを確認するために、活動しているんじゃないのかな」。

『広河隆一 人間の戦場』を監督した長谷川三郎氏は、上映後のQ&Aにてそのように語っていた。

「映画のもっている力を信じて、少しでも心を開き、語り合えるきっかけになればいいと思っている」。

レセプションで挨拶を述べた運営担当者の一人は、そう力強く語っていた。

一人一人が考え、行動していく。そして周りを巻き込んで、社会へのアクションを起こしていく。

昨年14箇所だったサテライト会場が今年は倍以上に広がり、また来年以降へと活動が続いていく。レセプションの会場で手と手を組み交わし、それぞれが各々の方法で「3.11以後」の世界と向き合っていこうとしている人たちの集まりを見て、私は「わわプロジェクト」の「わ」の音がもつ「和」「輪」「環」「我」「倭」の文字を、そこに重ねて見てしまったのである。

サテライト会場『3.11映画祭in東京大田区』での上映風景

「今、自分に何ができるのか」。それはおそらく、一人ひとり個人によって異なるものなのだと思う。だからこそ、震災から5年の歳月が過ぎた今、その「考える」きっかけを改めてつくることが、これまで以上に重要なことになってきているのだと思う。

あの日、あの時、あの場所で。私たちはそれぞれの3.11を経験し、今日まで歩んできた。そして、明日からの一歩を、どう歩んでいくのか。

「えらべ未来」。今年の3.11映画祭のポスターに掲げられた文字を見ながら、考える。3.11と向き合い行動を起こす人たちの「手のひら」を見つめながら、考える。自分自身の「手のひら」を見つめながら、考える。考える。考える。未来を、えらぶ。

 

©2016 WA WA PROJECT

【「3.11映画祭」 開催概要】

催事名: 第3回 3.11映画祭
会 期: 2016.3.11(金)〜14(月)
会 場: アーツ千代田 3331 ほか全国のサテライト会場
主 催: ソーシャル・クリエイティブ・プラットフォームわわプロジェクト(一般社団法人非営利芸術活動団体コマンドN)
共 催: 日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合

公式HP:http://311movie.wawa.or.jp/

【「ソーシャル・クリエイティブ・プラットフォーム わわプロジェクト」概要】

東日本大震災を受け、2011年4月に立ち上がった、アーツ千代田 3331およびコマンドN(一般社団法人)による共同プロジェクト。創造力をもって活動する人々を支えるソーシャル・クリエイティブ・プラットフォームとして、映画祭、展覧会、シンポジウム、復興新聞の発行などの活動を行う。困難の中にあってもなお創造的に活動する人々・団体をつなげ、非常時に生きるネットワーク・コミュニティが日常に構築されることを目指す。

公式HP:http://wawa.or.jp/

【執筆者プロフィール】

大久保渉 (おおくぼ・わたる)
1984年生まれ。専修大学文学部英語英米文学科卒業。2015年1月~4月にかけて、第二期「シネマ・キャンプ」映画批評・ライター講座を受講。現在、『ことばの映画館』ほかにて執筆中。

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