【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第27話 text 中野理惠

開拓者(フロンティア)たちの肖像
中野理惠 すきな映画を仕事にして 

<前回 第26話はこちら>

第27話 『ビヨンド・サイレンス』


『ビヨンド・サイレンス』

「素晴らしい映画じゃない」

と、快く時間を割いて見てくれたそのプロデューサーは、スクリーンを出るなり言った。

映画は『ビヨンド・サイレンス』(1996年/原題Jenseits der Stille/英題Beyond Silence)、見てくれたのは、<あいち国際女性映画祭>のプロデューサーで、名古屋シネマスコーレの木全純治支配人であった。

権利取得交渉もスムースに進み、帰国してすぐに、今はもう閉館した京橋の<テアトル西友>の編成担当の有吉さんにサンプルビデオを渡し、ロードショー公開をお願いした。暫く後、テアトルのエレベーターでばったり会うと、

「ナカノさん、意外とまともじゃないの」

知らない人たちも大勢乗っているところで、エレベーターを降り際に、有吉さんが言う。有吉さんが<テアトル西友>で、『ビヨンド・サイレンス』のロードショー公開を引き受けてくれたのは、言うまでもない。

 

キャプション:『ビヨンド・サイレンス』チラシ表裏

東京国際映画祭グランプリ/アカデミー賞候補

東京国際映画祭からコンペ部門に出品してほしい、と連絡を受け取った。ふたりのドイツ人プロデューサーに知らせると、監督のカロリーヌ・リンクと一緒に来日する、と大喜びをしている。『ビヨンド・サイレンス』は彼女のデビュー作だった。1997年の第10回東京国際映画祭のコンペ部門でグランプリを授与され、翌年の米国アカデミー賞外国語映画部門で最終選考の5本に残り、受賞こそ逸したが国際的に高く評価された。


東京公開は
199852日/ウィキペディアの間違い

邦題決定から公開まで、さまざまに起きた出来事の中でも、公開日が当初より大幅にずれ込んだことは、忘れられない。ウィキペディアには、日本公開は1998年3月2日と書かれているが間違いである。当時は、パンドラでオリジナル健康手帳「月日ノオト」(※第9~10話参照)を発行していたので、この文章を書くに当たり、自分で使っていた1998年版の月日ノオトを確認したところ、公開は5月2日(土)であった。第一、1998年3月2日は月曜日である。私が映画業界で仕事をするようになって<月曜初日>は、一度もない。この数年、劇場によると<金曜初日>を実施している例もあるが、日本では<土曜初日>が通例である。

ゴールデン・ウィーク中の公開を覚えていたのには、はっきりとした理由があった。

 上映に携わったスタッフと。筆者は前列最も右側に座っている。着ているのは映画のキャンペーンTシャツ。服装を見ただけで、3月公開ではないとわかる

公開初日決定の攻防戦

1997年の秋だったと思うのだが、初日(通例、公開日の事を<初日>と呼称しているので今後は初日とだけ書く)は翌年3月初旬でどうか、とテアトルさんから告げられたので、了解した。アドは村山さん(※第20話参照)とそのスタッフが全面的に取り組んでくれ、3月初め公開に向けてマスコミ試写を開始した。翌年1月だったと思うのだが、アカデミー賞外国語映画賞候補になったことで、宣伝にも弾みがつく。


当初より
2カ月遅れの初日

その頃、テアトル西友では邦画を上映していた記憶がある。『HANA-BI』(1998年/北野武監督)だったのではないかと思う。その動員が落ちないために、『ビヨンド・サイレンス』の初日が遅れ始めた。一方、マスコミ試写は好評で、雑誌などの紹介記事の掲載日が次々と決まってゆく。記事は、初日に間にあうように掲載される。当初は、初日が多少ずれ込むのは、常にあることなので仕方がないと思っていた。だが、3月末を越えた。大幅にずれ込むと記事との連動もずれてしまい、いざ、公開となった時期には、<終わった映画>になりかねない。つまり、コケテしまうのだ。連絡を受け取るたびごとに「いいよ」と軽く了解していた。劇場まで様子を見に行くスタッフもいた。

「あんまり映画館に来ないような感じの人も多いみたいです」

「すごい行列でした」

 雲行きが怪しくなってきたので、当時のヘラルド映画の大西営業部長に相談したところ、

「ゴールデン・ウィークの後半だけでもとりなさい。ゴールデン・ウィークを明けると、ぐっと落ちるから」

との助言だった。


興行会社と大ゲンカ

それから焦った。初日がゴールデン・ウィーク明けになりそうだったからだ。劇場公開を諦めて自主上映にする案を思いつき、スタッフに都心のホールのアキ状況を調べるよう指示した。今考えると、とんでもないことであるが、それをテアトルさんに伝え、大ゲンカになり、結果として、ゴールデン・ウィーク中の公開にまで強引に漕ぎつけた。当初に告げられた予定より2カ月遅れである。


穴があったら入りたい

この大ゲンカにつき、つい昨年、テアトルの現在の編成責任者から、

「あの時はこわかった」

と言われた。穴があったら入りたい気分になった。

さて、このよう攻防戦でやっと手に入れたとはいえ、予定より大幅に遅れた初日の観客動員は、果たしてどうだったか。

(つづく。次は5月15日に掲載します。)

 

中野理恵 近況
偶然、BSで放映していた『鷹は舞い降りた』で、大好きなドナルド・サザーランドに久々にお目にかかれて嬉しかったが、それは別として、ドイツ人役の台詞が英語。ドイツ人のセリフはドイツ語でないと。

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