“笑い”とは、もともと場の秩序を破壊するマトモじゃない行為に対して引き起こされる現象である。常識や予定調和から逸脱した時に笑いは発生する。だとすれば、本質的にギャグとは実験的、あるいは前衛的なものである。代表作『天才バカボン』(以下、『バカボン』)をはじめ、『ひみつのアッコちゃん』『おそ松くん』『レッツラゴン』など、多数のマンガを描いてきた赤塚不二夫は、その中でも、意味がなく不条理で特にオチもないスラップスティック(ドタバタ)・コメディを志向した漫画家であった。ナンセンスで破壊的なドタバタが生み出す笑いは、まだ思慮分別のついていない小さな子どもから年齢を問わず、あるいは言葉や文化、時代をも超えても楽しむことができるものであるだろう。2015年、『ローリング』がキネマ旬報誌で邦画部門年間10位に選定されるなど話題を集めた冨永昌敬によるアニメーション・ドキュメンタリー『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』(以下、『マンガをはみだした男』)は、彼の親族や関係者など近しい人々によるインタビューを中心に、漫画家・赤塚不二夫の人物像に迫っていく。またそれと並行して、人間・赤塚藤雄の幼少期からの半生を『レッツラゴン』のキャラクターたちを案内役としたアニメーションで追っていく。
ところで、近年、何か国際的な事件や政治的な問題が起こった際に、たとえギャグ・アニメであっても「事件のパロディ」と思われることを懸念し放送を見合わせるケースが、顕著となりつつある。たしかに神経過敏的に不寛容な風潮はいま日本で生きていてひしひしと感じることがあるのは事実であり、スポンサーは常に責任やクレームに怯え、情勢に配慮という形を取ることにしか目が向いていないように思わされることが多々あるだろう。先日、タレントの矢口真里や新垣隆らが自身のスキャンダルを自虐的にネタにして演じているように連想させるカップヌードルのCMが、一部のクレームにより即放送を取りやめてしまったことも記憶に新しい。「いまだ!バカやろう!」と謳ったそのCMでは、ビートたけしが「バカになる。それは自分をさらけ出すことだ。しがらみなんか取っ払って、常識とか忘れたフリして、アンタ自身の生き方を貫くってことなんだよ。世間の声とかどうでもいい。大切なのは自分の声を聞くってことだろう? お利口さんじゃ時代なんか変えられねぇよ」というナレーションが入る。その言葉に沿って考えるならば、赤塚不二夫はたしかに“お利口さん”じゃなかったからこそ、日本におけるマンガ、ひいては笑いの新たな地平を拓いた。
1935年9月14日満州(現・中国東北部)古北口に生まれた赤塚の物語は、11歳頃に手塚治虫のSFマンガ『ロストワールド』に感銘を受け、マンガというものの表現の可能性を知ったことからはじまっていく。奈良で悪ガキ仲間と野山を駆け回った思い出──後にそれは『おそ松くん』着想の土台へと発展していった──、父親の故郷である新潟で映画看板描きの手伝いをしていたこと(この頃にバスター・キートンやチャーリー・チャップリンの喜劇映画にも大いに感化されたと思われる)、上京後は、昼は化学薬品工場、夜は漫画修行していたこと……シンガーソングライター青葉市子による抑揚をおさえたナレーションが彼のモノローグとなって、その時代ごとの彼の心境を代弁するような形で、幼い頃から元気いっぱいで駆け回り、マンガに夢中になっていた赤塚少年~青年の記憶が、アニメーションとなって描かれていく。1956年に少女マンガ『嵐をこえて』でデビューする前に出版社にマンガを持ち込んだ際には、「詰め込みすぎてテーマを見失っている」と指摘されたこともあったようだが、これは彼の資質──収まりよく小綺麗にまとまった作品を目指してはいなかったことを明らかにしている。本作を通して浮かび上がってくるのは、赤塚自身のハチャメチャで“詰め込みすぎ”なヴァイタリティあふれる生き方である。
今日、映画に限らず、アニメなど様々な表現において、道徳的な感情による“正しさ”ばかりが重視されている空気が強くあると思われる。しかし、何も視聴者や読者からのクレームはいまにはじまったことではないようだ。劇中で、残された赤塚本人の肉声が明かしているように、『バカボン』連載当初、読者から「ウチに知恵遅れの子がいる。バカを主人公にするとは何事だ!」と投書が来たことがあったという。ただ赤塚の場合は、確信犯的に“バカ”を主人公に選んだ。あるいは、『おそ松くん』で「主人公が2~3人のものはあるけど、6人はいない」という理由から6つ子を主人公にし、全員同じ顔にして読者を混乱させようと試みたことも近いものがあるかもしれない。思うに、赤塚は常識をわざと逸脱すること、ルールをあえて壊すことにこそ価値を見出した。『バカボン』では毎回、警察とニャロメが争うシーンが出てくる。くんずほぐれつの挙句、必ずニャロメが負ける。ここには、純粋な反権力の姿勢が見て取れる。ただし、そこに政治的な意図や何か声高に主張するメッセージはない。破壊的ナンセンスである。
そう、劇中、映画監督の足立正生が「赤塚さんは、”ルールを壊すことに関してはアンタらよりぼくは数段プロ”と言っていた」と証言するように、あるいは、ジャズ・ミュージシャンの坂田明が「赤塚不二夫はアヴァンギャルドだった」と認めるように、赤塚が目指した笑いは、ただただ実験的にして破壊的、無意味なものだった。加えて坂田は、赤塚を「ナンセンスのアヴァンギャルド」と称し、「ナンセンスこそアヴァンギャルド」と語っている。考えてみれば、本作と同体制で製作されたドキュメンタリー『アトムの足音が聞こえる』(2010)においても、冨永は、「この世ならざる音」──宇宙の音を創り出し、掴もうとした人物として『鉄腕アトム』の音響デザイナーである大野松雄の肖像に迫っていた。言ってみれば、冨永はどちらの作品においても誰もまだやっていないこと、未踏の境地に(遊びの延長線上で戯れながら)挑もうとするアヴァンギャルドな芸術家に、もしくはその側面に関心を寄せているように思われる。赤塚のアヴァンギャルドさはナンセンスな笑いの創造にとどまらず、たとえば『バカボン』執筆の際、あえて左手で描いてみたり、途中でタッチを劇画風に変えてみたり、絵をコマが進むにつれて消してみたり、様々な挑戦をしてみていたことからもその一端を伺い知ることができるだろう。物語という枠組みやマンガとはこう描くべしという文法を挑発し続けたことにこそ、赤塚のアナーキーさが滲み出ている。それはマンガ界を超えて、タモリなど多数の才能あふれる人物と交流し、芸能界やTVの世界に進出した姿勢とも通じているかもしれない。彼は、人々がそれまでに抱いていた“漫画家像”をもぶち壊したのである。
©小学館
しかし、赤塚は芸術家を気取ったり驕りたかぶるようなことはなかった。生前、日本ではじめてマンガ界にアシスタント制度を導入したことを誇らし気に語っている彼の肉声が、劇中で紹介される。浅野忠信が赤塚不二夫に扮した『これでいいのだ‼︎ 映画★赤塚不二夫』(2011)でも描かれていたが、彼はアシスタントたちと童心そのままに遊びながら笑いのアイディアをざっくばらんに出しあっては、それをまとめることで次々に新たなギャグを生み出していった。アシスタントがどんどん巣立っていくと、彼は幻覚や幻聴が出るほどのアル中に陥りながらも、芸人や芸術家たちと夜通し遊び回る中で次なる面白いアイディアを探し求めた。
赤塚不二夫はバカだったのではなく、終生バカであろうとした才人だった。
その朗らかでひょうきんに見える性格からは想像できないほどに、ポップなアニメーションで描かれる赤塚の半生には戦後の影が色濃く落ちている。10歳の頃に満州で終戦を迎えた赤塚は、母や弟妹とともに佐世保港へと引き揚げるが、母の実家のある奈良へと移る際に妹ふたりとの死別を経験している。帰国後は、シベリア抑留された父とはしばらく離れることになり、さらに経済的な理由で母のもとから新潟にいる父の姉一家宅へと移っている。終戦を経て一変した少年時代の状況、経験にこそ、彼が開き直って積極的にバカな人間を演じようとした理由のひとつがあるのではないかと思う。赤塚は、生まれ故郷を離れ居住地を移り変えてきたこと、満州生まれであることの疎外感、そして父母とともに団欒して過ごせなかったこと等へのコンプレックスを抱えていたのかもしれない。元アシスタントで漫画家の土田よしこは、「赤塚さんは根の方にコンプレックスを持っていたんじゃないかと思う。本当は恥ずかしがり屋で無口、引っ込み思案の人」と見解を述べている。思うに、家族や故郷と離れてしまった、もしくはかつてあったそれらを失ってしまったことに対するコンプレックスが彼の中にあったのではないか──。「バカボン」とは、サンスクリット語の「バガヴァット」を語源に持つとされ、悟りを開いた人、聖者を意味するという。あるいは、それは赤塚不二夫にこそふさわしい。赤塚不二夫という人間は、手がつけられないほど酒に溺れ、派手に遊び回り、自ら進んで深遠なるバカになろうとした。それはバカを振舞うことで内なる痛みを隠し、自分の言動に無責任になることで、傷つかずに済もうとしていたことのあらわれだったのかもしれない。
©荒木経惟
写真家の荒木経惟は、赤塚のことを「マジメすぎる人。バカにマジメ、エロにマジメ。そこが魅力」と語る。本作の様々なインタビューを経て、導き出されるようにして荒木の回答が響く。曰く、赤塚不二夫は「もう一人の自分を演じていたと思う」「自分自身がマンガになっていなくちゃいけないと考えていた。マンガの主人公になっちゃう。実物が仮で、マンガの方が生き物」である、と。あるいは、赤塚の実の娘りえ子は、鏡の前で父が百面相をやりながら自分自身に「バカボンのパパだ」と言っていた時のことを思い出して、その光景を振り返る──「父は鏡の中で自分を探していたのだと思う。その中にバカボンのパパを見ていたのかもしれない」。冨永は、赤塚を巡る旅を通して、赤塚不二夫自身こそが、悟りを開いた聖なるバカであると了解する。『マンガをはみだした男』は、巨大化したバカボンのパパやレレレのおじさんたちが3DCGアニメーションで蘇り、街中でアクションを繰り広げる場面からはじまり、次に、ウナギイヌの描かれた漫画のコマが揺れ動き出す。このようにしてマンガのキャラクターたちが新たに生命を吹き込まれたかのようにしてはじまる映画は、赤塚ユニバースが一枚の絵のようなアニメーションであらわされ終わりを迎える。赤塚の顔写真が貼り付けられた如来像が中央に、その脇にアニメ化されたタモリとニャロメ、そしてその周囲を円になって彼の生み出したキャラクターが囲んでゆらゆら踊る──この、天国も地獄も溶けあい混濁一体となった曼荼羅図に、盟友タモリがハナモゲラ語で歌う「ラーガ・バガヴァット」(「ラーガ」とはインド音楽の旋法の意)が陽気に彩る。そう、いわば、悩んだって別に成長なんかしないと悟った赤塚如来が鎮座する世界においては、生も死も何もかもがバカなのだ。そこでは何もかも笑い飛ばして、人間のマヌケさをまるごと肯定するだろう──「これでいいのだ!」と。
家族や故郷へのコンプレックスをどこかで引きずっていた赤塚不二夫は、母への強すぎる愛を抱えたまま、それらを隠すかのようにして、自らマンガそのものになろうとした。そして、人生自体を壮大なギャグに昇華させた。赤塚不二夫という存在自体が、生きたマンガだったのだ。
©國玉照雄
【映画情報】
赤塚不二夫 生誕80周年企画
『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』
(2016年/HD/96分)
監督:冨永昌敬
企画・プロデュース:坂本雅司 音楽:U-zhaan、蓮沼執太 ナレーション:青葉市子
2Dアニメーション:室井オレンジ 3Dアニメーション:アニマロイド 特別協力:フジオ・プロダクション 制作協力:タッドポール・ラボ
製作:グリオ 制作・宣伝・配給:シネグリーオ 配給協力:ポレポレ東中野 助成:文化庁文化芸術振興費補助金
4月30日よりポレポレ東中野・下北沢トリウッド・アップリンク・横浜シネマリンにて公開
他、全国順次公開
【執筆者プロフィール】
常川拓也 Takuya Tsunekawa
映画批評。「Nobody」「リアルサウンド映画部」などでも映画評を執筆させていただいています。「ことばの映画館」編集委員。Twitter:@tsunetaku