【Review】DDS2012特集 啓蒙から遠く離れて—『ある方法で』text 笠松勇輔  

本作は、キューバ革命政権が推進するハバナのスラム地区再生プロジェクトを通して、整備工・マリオと女教師・ヨランダという階級も学歴も異なる2人の出会いと、その行方を描いた物語、と要約できるだろうか。いや、正確に言えば、本作はそのような物語として要約できる作品ではない、一筋縄ではいかない魅力を放っている。何故なら主演のマリオもヨランダも実在の人物であり、ここでは自分が自分を演じることが要請されているからだ。

監督のサラ・ゴメスは1943年、ハバナに生まれ、ジャーナリストとして活動した後、アニエス・ヴァルダの映画では助監督も務めていた経歴を持つ人物である。遺作となった本作では、キューバ革命後10数年が経過した70年代のハバナで、革命の恩恵から零れ落ちたようなスラム街が舞台に選ばれ、ドキュメンタリーとフィクションを軽やかに横断する、大胆で実験的な手法が導入されている。

冒頭、ある労働評議会の様子が映し出される。1人の男に虚偽の理由で作業を休んだ疑いがかけられ、男は釈明に追われている。曰く「サンチアゴのお袋が危篤で俺は4日間ずっと看病していた。これは俺を陥れようとする誰かの策略だ」云々。しかし男がそう述べた後、別の男が興奮した様子でこう話し出す。「お袋の看病なんて嘘っぱちだ。お前は女としけ込んでいたのさ。お前は大嘘つきのクズだ」。どうやら1人の男が、1人の男を告発しているようだ。日本人には馴染み深い光景とは言えないが、社会主義革命政権下では前述したような光景は珍しいものではないのだろう。ここでは労働を放棄することは個人の単なる過失ではなく、仲間に対する重大な裏切りなのだ。男を糾弾していたのは、マリオである。糾弾されていたのはマリオの同僚だ。だがそもそも同僚を評議会に密告したのはマリオではなく、ここでの告発はあくまでも偶発的な出来事としてある。しかし意図か偶発かはさほど問題ではなく、重要なのは告発それ自体だ。

 本作において、主演2人の人物造形には対照的な設定がなされている。マリオは些か古い価値観に囚われた男として(革命以前の年少時代、学校をサボって仲間とホッケーに明け暮れていたことが郷愁を持って語られる)、ヨランダは革命思想を信奉し、なおかつ自立した(離婚暦もある)女として、である。階級も価値観も異なる2人がどう結ばれるのか(あるいは結ばれないのか)、それが本作の主題だ。マリオは友人でもある同僚を、(結果として)告発することで、ヨランダは慣れないスラムでの階級も価値観も異なる子供たちの教育に従事することで、それらが両者の解放の契機として描かれる。それはどういうことなのか?

冒頭のスラム街における建物の解体=破壊のイメージを想起しよう。この解体=破壊は老朽化したスラム街を新たな建造物として整備するために実行されるが、劇中マリオが様々な葛藤をする場面の次のショットとして何度も挿入されることから、ここではマリオの思想や生活・慣習を一新/切断させるイメージとしても機能する。端的に言えば、革命とは前時代との切断であり、断絶なのだ。

それ故に、革命以前では考えられなかったような異なる階級の者たちの交流が開始される。マリオとヨランダの関係も、その1つだ。そう、ここで登場人物たちが行うのは、専ら労働よりも対話であり、議論なのだ。そこでは異なる価値観を持つ者たちの交流があり、両者の弁証法的止揚が目指される。結果として、それはお互いが自らの立場を乗り越えることに繋がっていく。前述した冒頭の労働評議会の場面は後半に反復され、ここで初めて、見る者はマリオの告発の正しさと、それ故の葛藤を知ることになるはずだ。「あいつは確かにロクデナシだった。しかし一方で仲間だった。そもそも仲間を売るなんて男の仁義に反している」……。ナレーションでは古い価値観や風習、信仰、文化といったものは革命の妨げになる、と語られるが、マリオの葛藤の原因もそれに当たる。「お前の世界に別れを告げろ」とマリオの友人・ギエルモも歌っていたはずであり、そこには必然的にある種の痛みが伴うだろう(デュルケムの言うアノミー?)。繰り返しになるが、革命とはある種の切断であり、断絶である。ここで重要なのは、葛藤があって、告発があるのではない、ということだ。

 マリオの葛藤が、告発の先行の後にあることに注目したい。冒頭の労働評議会の場面は、それ自体が先行したひとつの断片(=切断されたイメージ)として、まずは提示され、マリオの告発は、物語の時間軸上では後半にあたる。つまり、本作においては、マリオの告発それ自体を革命として捉えることが可能なのだ。おそらく監督のメッセージでもある男女差別撤廃(男女平等)、階級差別撤廃、格差是正(教育機会の均等)といった啓蒙的なお題目(?)とは別個に、ここでの革命とは、あくまでも起こす(意図する)ものではなく、起きる(偶発的な)ものとしてある。無論、それ自体は肯定的な出来事である。革命は起きた。ならばそれらは野蛮に乗り越えなければならず、マリオとヨランダの終わりなき対話が続いていく……。

 このような記述をすると、未見の方には、なにやら深刻で真面目な作品なのではないか?という印象を与えるかもしれない。あるいは偏狭なイデオロギーを掲げるキューバ産のプロパガンダ映画……?

 しかし、そうではない。それどころか、本作鑑賞後の印象はとても鮮やかだ。例えば冒頭に書いた評議会の場面の後、老朽化した建造物が鉄球によって解体されるショットを始めとして、スラムの現状とそれらが抱える問題点がドキュメンタリー映像とナレーションによって語られる。カメラは貧困、教育格差、古い価値観、慣習等々といったスラムの問題を映し出していき、またここでは、キューバの18世紀から現代までの歴史が文化人類学的な視点から当時の貴重な資料と映像で簡潔に説明される。だが、被写体をクールに突き放したナレーションは、いわゆる「上から目線」や啓蒙的視点を軽やかに逸脱していく。事実、ここではスラムの住人への安易な同情や共感等は微塵も示されず、それどころか、その語り口はどこかユーモアすら漂うのだ。

 ユーモアに富んだ印象的な場面は他にもある。2人がデートで街中を歩いているとマリオの友人・ギエルモ(おそらく実在の人物だろう)に出会う場面だ。ヨランダはギエルモと初対面でありギエルモのことを知らないわけだが、そこですかさずヨランダと我々観客の思いを代弁するように、画面には「ギエルモって誰?」と字幕が入り、突如ギエルモの紹介場面(元ボクサーで現在は歌手という説明が簡潔になされる)が挿入される。この思いがけない視点転換と場面展開は新鮮である。

 最後に、ゴダールが好んで引用する警句「国家の夢はひとつになること。個人の夢は2人でいること」を引用したい。本作は2人でいることの困難を描いた作品でもある。マリオとヨランダの最初のデートでは、ヨランダの遅刻によって2人の間には口論が起きる。2人のデートには邪魔も入るだろう。そもそもマリオの告発は、マリオの友人が恋人とのバカンスのために虚偽の申告で作業を放棄したことに端を発する。だから本作において、マリオとヨランダの2人の未来は宙吊りにされたままだ。革命とは前進し続けることであり、その意味において終わりがないとするならば、あらゆる革命は永久革命と化すだろう……。もしかすると、これこそが本作における真の啓蒙のメッセージなのかもしれない。

【作品情報・上映情報】

ある方法で』One Way or Another
監督:サラ・ゴメス
キューバ/1974/スペイン語/モノクロ/DVCAM/82分

人種差別や男女差別、格差問題への批判を投げかけたドキュメンタリーとフィクションを大胆に融合。キューバ初女性監督ゴメスの初長編にして遺作。

※ 『ある方法で』は9月13日 (木) 12:30〜 ポレポレ東中野にて上映

【執筆者紹介】

笠松勇介 かさまつ・ゆうすけ

1987年生まれ。京都造形芸術大学映画学科プロデュースコース卒業。

★2011年「ヤマガタ映画批評ワークショップ」参加者