【Interview】 土に生きる夫婦の「日々」を積み重ねて 『ふたりの桃源郷』佐々木聰監督インタビュー

『ふたりの桃源郷』より©山口放送

「老い」を撮ろうとはしていない

——映画を見ていると、「老い」が避けがたく寅夫さんとフサコさんにも訪れることが見えてきます。お二人の元気な姿を見せたいのに、現実の映像はそうではない方向に行ってしまう。そこにジレンマがあると思うのですが、佐々木さんはどのようにお考えですか。

佐々木 僕自身は「老い」を撮っているという感覚は全くありませんでした。確かに話は時系列で進むので、お二人の老いを感じられたかもしれませんが、僕としては、老いに抗って生きようとする姿を撮りたかったんです。

認知症にしてもそう。例えば、フサコさんは周囲の人たちを少しずつ忘れていきました。スタッフも一人ずつ、最後は自分も忘れられていきました。もちろん寂しさはありましたが、認知症が進んでいく中に「老い」ではないものを見つめていました。フサコさんが山に行って、亡き夫を求めて「おじいちゃーん」と叫ぶ姿は、老いに抗って生きようとしているのだと思いました。

——最後は、月に一度家族で山に集まって、寅夫さんを山に連れていってあげたり、三女の恵子さんは、旦那の安政さんとともに故郷に帰り、農業を始めるに至ってしまいますよね。家族みんなが自然に手伝いたいと思ってしまう、寅夫さんとフサコさんの“磁場”の強さは、何が理由だと思いますか。

佐々木 ご家族も、お二人の生き方に共感していると思うんです。娘さんたちもそうだし、僕らもそうだし、テレビで放送した時の視聴者もそうだと思うんです。なんと言うんでしょう。「素朴」で、「まっすぐ」な生き方をしたいんだ思う人が多いのではないでしょうか。少なくとも僕はそう生きたいです。けどできない。どこかで濁っているんですよ。寅夫さんたちは無謀だと分かっていても、みんなから後ろ指をさされながらも、結局、山での生活をあきらめませんでした。その愚直さみたいなものに胸を打たれました。ご家族の方もそれは同じだったのではないでしょうか。
『ふたりの桃源郷』より©山口放送

——“愚直さ”ということですが、寅夫さんとフサコさんが山に帰りたがる理由は、映画の中ではっきりとは示されてはいませんよね。どうしてだと思いますか。

佐々木 僕は、寅夫さんとフサコさんは、農業中心の生き方をしたかったんだと思っています。

寅夫さんはいつも「食べてゆくだけのものは、自分たちで作らんと」、「土があれば何でもできる」と、口癖のようにおっしゃっていました。僕たちがお昼ご飯にコンビニ弁当やペットボトルのお茶を持っていくと、寅夫さんは笑いながら言うんです。「もったいないのぅ」って。そんな僕たちに、卵とエンドウ豆を炒めてくれたり、こんにゃくをつくってくれたり、そういうことが結構ありました。その時は「おいしい」ぐらいにしか思わなかったんですけど、寅夫さんが亡くなって、ある時、ふと気づいたんです。

寅夫さんは「あんたらのお役に立てるなら」と言って取材をさせて下さったのですが、「お役に立てる」って何だろう、とずっと思っていました。それは、農を中心に生きてきた自分の「生き方」を示すことだったのだろうと思い至ったんです。そこで僕は、寅さんが亡くなった直後から農家の取材を始めました。県内の若手農家を40人ぐらい巡って、取材をして放送をするという「日々」を繰り返すうちに、間違いないと思いました。自分は農業を知らないから、寅さんの気持ちを分からずにずっと会っていたんだなあと。

農家のみなさんは農を中心に据えた生き方をされていて、寅夫さんの場合はたまたま田畑が山の中だから、山でした。ところが高度経済成長で、多くの日本人はそう言う生き方を捨て、寅さんとフサコさんも一度大阪に出たわけです。でも、田畑を持って、土のある暮らしにもう一度チャレンジしたかったんですね。戻った時は電気も水道もなくてどこまでやれるか分からないけど、とにかくやれるところまでやったのだと思います。本当にすごいことだと思います。

『ふたりの桃源郷』より©山口放送

映画はみている人の顔が見える

——映画に編集する段階で、あらためて気づいたことはありますか。

佐々木 編集も、僕にとっては「日々」なんですよ。ひと月こもる人の話も聞くけど、僕は頑張って一週間です。ナレーションも2~3日で書き上げます。長尺にまとめる作業自体は放送でもやっていますから、映画化の段階で、制作の作業という点においては、あらためて気づいたことは、あまりないかもしれません。

普通は、ドキュメンタリーでも、起承転結も考えますし、山場やダレ場も作ります。しかし、この「ふたりの桃源郷」は、それを「やっていはいけない」って思うんです。このドキュメンタリーの特徴は、人それぞれ感じるところが違って、涙する場所も心震える場所も、印象に残るシーンも人それぞれなんです。感じ方も様々です。皆、それぞれの置かれている状況によるんでしょうね。親を重ねる人も、子どもを重ねる人も、離れて暮らす友人を重ねる人もいます。だからこそ編集も、ナレーションも、音効も、なるべくシンプルにして、僕たちが「山で感じたそのままを届けたい」って思ったんです。そんなお二人の姿を通じて、生きるってすごい、夫婦ってすごい、人間ってすごい、という人間讃歌を伝えたいのは、取材を始めた頃から、今も変わっていません。

——最後に「映画」を完成させて、何か心を新たにしたことありますか。

佐々木 映画ってすごいなと思ったのは、初めての試写会の時、上映後に挨拶に立って客席を見渡した時に、試写を見た皆さんが泣いていらっしゃったんですね。昔お世話になった先輩もいたんですけど、そういう人たちが皆泣いている。僕も思わずもらいして泣きして、ああ、まじめにやらなきゃいけないなと思いましたね。

取材した方々や視聴者から「ありがとう」と言われる事はテレビでもあるんですが、見終わった方の顔を直で見る経験は初めてだったんですよ。それはもう衝撃でしたね。もちろん好意的な感想を頂けるのも嬉しいですが、何より自分は、これだけの人々の心に波紋を与える事のできる仕事をしているんだ、と心底思えて、襟を正さなければいけないと思いました。「日々」の中にいても、決して手を抜いたらいけないんだなって。

【映画情報】

『ふたりの桃源郷』
(2016年/87分/カラー/HD)

山口放送 開局60周年記念作品

監督:佐々木聰
出演:田中寅夫 田中フサコ 矢田恵子 矢田安政 西川博江 西川保彦 大田悦子 
ナレーション:吉岡秀隆
取材:佐々木聰 藤田史博 高橋 裕
プロデューサー:久保和成
企画:赤尾嘉文
製作指揮:岩田幸雄
製作・著作 山口放送
協力 日本テレビ系列「NNNドキュメント」

公式サイト:http://www.kry.co.jp/movie/tougenkyou/
予告編はこちらから。

ポレポレ東中野ほか、全国で公開中 
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【監督プロフィール】

佐々木聰(ささき・あきら
1971年山口県出身。1995年山口放送入社後、制作ディレクター・報道記者を経て、2007年よりテレビ制作部配属。情報番組を担当する傍ら、ドキュメンタリーを制作する。『ふたりの桃源郷』シリーズは2002年より県内および「NNNドキュメント」(日本テレビ系列全国ネット)で放送され、2008年には日本放送文化大賞グランプリを受賞した。ほか、制作した主な番組に「奥底の悲しみ」シリーズ〈日本放送文化大賞グランプリ、民放連賞(報道)最優秀賞、文化庁芸術祭優秀賞〉、「笑って泣いて寄り添って」シリーズ〈文化庁芸術祭優秀賞、民放連賞(放送と公共性)最優秀賞、日本放送文化大賞グランプリ候補〉、「20ヘクタールの希望」シリーズ〈民放連賞(報道)優秀賞、ギャラクシー賞選奨〉など。

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