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母や弟と。前列着物姿は母、その横が筆者、母が抱いているのは弟
第36話 1999年の仕事(出版篇)
映画の製作は民主主義とは無縁な行為
小川プロをやめて数十年経っても、当時について思い出したくないほど、体験が強烈だっただろうと想像するのは、観客として知っていただけの私にとっても、さほど、難しいことではなかった。1本の映画を完成させるのは、生やさしいことではなく、<おともだち>感覚で関われる共同作業などとは程遠い、強力なリーダーシップの上に成立する民主主義とは無縁の行為なのだ。その上、小川さんの提唱した方法は、生活をともにしながらの製作である。
「異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に」
1999年5月に発行した「異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に」 の著者の石原郁子さんは、静かで控えめな人柄だが、映画の分析は新鮮で大胆だった。批評のテーマに同性愛の映画を取り上げることが多く、木下作品についての<弱い男>の視点に納得できたので、発行したのだが、残念なことに、本書発行から3年後の2002年、石原さんは病気のために48歳の若さで亡くなった。彼女が、「この本を書いて木下監督に叱られるのなら、喜んで叱られたい」と言っていたのを覚えている。日本の映画界は優秀な人材を失ったと思う。
「21世紀をめざすコリアンフィルム」
『八月のクリスマス』『ラン・ローラ・ラン』『こねこ』については既に書いたので省く。
「21世紀をめざすコリアンフィルム」は、韓国映画『八月のクリスマス』を配給することになり、韓国の映画事情の資料が必要だと思ったのが、発行の動機である。当時、韓国映画の配給を手掛けていたのは僅か数社であったが、『ナヌムの家』で、韓国の映画人との付き合いが始まると、その勢いをヒシと感じるようになった。「これっ」と目標を定めると一丸となり、わき目も振らずに集中し、凄まじい勢いで、まさに猪突猛進してコトを成し遂げてしまう。1990年代も終わりになると韓国映画界の勢いは増す一方で、さほど遠くない将来にこの勢いは大きく結実すると思った。寄稿だけではなく、自分でも取材したのだが、数年後、『冬のソナタ』に始まる社会現象と呼んでも相応しいほどの韓流ドラマブームにまで発展するとは、予想もしなかった。
「21世紀をめざすコリアンフィルム」の表紙と目次
大切に持っていた人がいた
発行から数年後、シネセゾン系のある映画館の支配人が、この本を、「バイブルのように大切にしている」と聴き、「えっ」と思ったのを記憶している。嬉しいというより、身近に読者がいたことと、「へええ、役に立っているのだ」というのが正直な感想だったからだ。発行は2千部か3千部だったと思う。すぐに売り切れ、販売してくれた現代書館から増刷を勧められたのだが、「東京ママおたすけ本」の時と同様、情報を新しくしなければ読者に申し訳ない、との理由で、増刷はしなかったと思う。
「処女懐胎の秘密」
出版を手掛けていると、時々、企画が持ち込まれる。テーマは映画、同性愛、女性問題だった。引き受けられなかった企画も多いが、実は、その頃、映画より書籍編集の方が自分には向いているのではないか、と考えるようになっていた時期でもあり、関心のある内容については、積極的に企画を検討した。本書もそのような一冊だった。訳者の伊藤明子さんを通して知った本書のテーマである単為生殖は、考えた事もないばかりか想像もできなかった。著者のマリアンネ・ヴェックスはドイツ人で、色彩とボディ・ランゲージが専門の大学の教師。
「処女懐胎の秘密」の表紙と目次
本書発行後、確か長崎大学だったと思うのだが、医学部教授の方から、単為生殖が絵空事ではなく事実としてある、というような長い手紙をいただいた。だが、事務所と自宅の移転で、その手紙を失くしてしまった。残念でならない。
「満映 国策映画の諸相」
満映付属の技師養成所出身の九州シネマエンタープライズの緒方用光社長(脚注を書くよりも、ご本人へのインタビューをサイトで読むことも、見ることもできます)と、映画史研究者の牧野守さんから、この本についての情報はもたらされたのだと記憶している。訳者(横地剛さんと間ふさ子さん)のお二人とも九州在住の方であった。
近親に満鉄の役員(勿論、戦後は公職追放である)がいたのが、発行を引き受けた第一の要因である。書影を紹介したいのだが、一冊も残ってないので、公式サイトを記しておく。
http://www.pan-dora.co.jp/wordpress/?page_id=2284
発行後、お世話になった方々に贈本したところ、カバー写真に使わせていただいた、山口淑子さん(李香蘭)の事務所から意外な電話を受け取った。
(つづく。次は10/15に掲載します。)
中野理恵 近況
9月の<あいち国際女性映画祭2016>で野上照代さんと久しぶりにお会いしました!
野上照代さん(右)と筆者(右)
野上さんは黒澤明監督の名スクリプターとして、日本映画の屋台骨を支えてきた。