【Review】「物語る瞬間」-奥間勝也監督『ギフト』&『ラダック それぞれの物語』text 長谷部友子

『ラダック それぞれの物語』 すっと吸う息。 語りはじめようと、吸いこむ息の音が聞こえる。 物語ろうとしはじめた者から、どうして人は目をそらせないのだろう。 ケサル物語。勇胆の王ケサルと彼が治めたという伝説の国家リン王国について語られるこの物語は、現存する世界最長の叙事詩であり、現在でも吟遊詩人によって口承されている。村の少年ジグメットとスタンジンの夏休みの宿題は、ラダックに伝わるケサル物語について調べてくること。川遊びをしたり、都会に出かけたりしながら、村の大人たちにケサル物語について聞いてまわる二人、というフィクション部分の導入が用意され、物語は平穏にスタートする。 この映画は標高3500mの山々に囲まれたインド北部・ラダック地方の村に、約2週間滞在しながら行なわれたアートプロジェクトに参加した奥間勝也監督によって制作されたものだ。世界一長い物語とも言われているケサル物語について、「ケサル物語の中でどのエピソードが印象に残っているか」を軸に村人に話を聞き、各々が歩んできた人生によって選択するエピソードに特徴が出ると面白いかもしれないと考えた監督が、ケサル物語を切り口に物語る人たちを描き出そうと試みたわけだが、監督の目論見は呆気なく崩れる。あまりに的外れな村人たちの話に、それはケサル物語ではないという通訳のかわいた声が響く。ケサル物語をきちんと知る人はほとんどいないという事実のみが示され、この先どうするのだろうかと心配になってくる。 ラダックにおいてすらケサル物語が語られなかったという事実は、少なからず私に衝撃を与え、それと同時に自分の内にある幻想をあらためて突き付けられた気がした。日本において、例えば古事記のエピソードを聞いてまわり、こたえられる人がいなくても、まあそうであろうと思えたかもしれない。しかしラダックであればケサル物語が語られるかもしれないという淡い期待が私の内にはあったように思われる。 日本ではとうの昔に滅び、ラダックであればまだ残っているかと思われた「物語る力」。かつて寝物語に子どもたちに語り聞かせた昔話やお伽噺。口承であったそれらは、絵本として文字化され、データとして情報化され格納されてしまった。いつでも誰でも参照できる形式になったそれは自発的に語られず、さびれた博物館のガラスケースに展示されたかのように誰にも顧みられない。 監督はケサル物語自体が知りたかったのではなく(もしケサル物語を知ること自体が目的であれば、学術的な文献を読み、専門家をあたればよいだろう)、語り手が自身の来歴と経験を、虚実取り混ぜながら物語るケサル物語が聞きたかったのであろう。 しかし情報化のみが口承を、物語る力を衰退させたわけではない。近代という時代は自我を確立させ内面を確保し、近代的物語はありのままの内面的真実を描き出そうと試み続けた。本当の私が存在し、本当の私を語らねばならないという圧力によって、自然で自由な、それはときに矛盾や偽りを含む語りは排撃され、息苦しいまでの厳格さに囚われた矮小な物語のみが残された。真実をありのままに描くという要請ほど、物語の精神からかけ離れたものはないというのに。 監督はケサル物語が語られなかったことに、物語の衰退を見ているわけではない。それどころかケサル物語を糸口に村人たちそれぞれが記憶する物語を聞くことができたと言っている。 物語ろうとする場所にあるものを、一体どのように形容したらよいのだろう。 カメラを向けられた人はどこかぎこちなく不自然だ。プロの役者ではないのだから、棒読みのように話し始め、やたらかくかくとぎこちない所作と、変な気負いと力みに見ている方が恥ずかしくなってしまう。普段通りでといったところで一張羅をひっぱりだしてきて、見られているという意識、また自分が意見を求められ大層なものになっているような、それでいながらもひどく緊張し、その只中にある混乱状態は、決して自然の状況などではない。ドキュメンタリーは自然なもの、あるがままを撮ったものというイメージがあるが、これほど不自然な状況もそうそうないだろう。 だが、その不自然な状況を乗り越え、あふれ出てしまう瞬間がある。語り出した人間は、自らを越えたものを語り出す。そこに私たちは物語るという営為を目撃する。 それは大層なものではない。他愛もないこと、長いこと思い出さなかった幼少期のこと、普段気にかけていながらも言語化することのなかった家族への思い、過去の災害の記憶、ぼんやりとした日々形にならない思いが言葉となり表れる。語り出した人間すら語る気がなかったような、憑依して出てきたように見える物語たちは、一体どこからやってくるのだろう。 人間は「物語る動物」である。あるいは、「物語る欲望」に取り憑かれた動物、と言った方が正確であろうか。自らの体験した出来事あるいは人から伝え聞いた出来事を「物語る」ことは、われわれの多様で複雑な経験を整序し、それを他者に伝達することによって共有するための最も原初的な言語行為の一つである。神ならぬ身の人間は、一定の時間-空間的秩序の中で物を見、音を聴き、物事を知るほかはない。見聞された事柄はやがて忘却の淵へと沈み、意識の下層に沈澱する。それを再び記憶の糸をたどって蘇らせようとするとき、われわれは知覚の現場で出会った出来事を残りなく再現することはできない。意識的であろうと無意識的であろうと、記憶それ自身が遠近法的秩序(パースペクティブ)の中で情報の取捨選択を行い、語り継がれるべき有意味な出来事のスクリーニングを行っているのである。われわれは記憶によって洗い出されたもろもろの出来事を一定のコンテクストの中に再配置し、さらにそれらを時間系列に従って再配列することによって、ようやく「世界」や「歴史」について語り始めることができる。 ——野家啓一『物語の哲学』 ケサル物語についての質問が契機となり、彼らは物語り始める。 その瞬間、過去は立ち上がり、胎動する多くの過去から、物語を取捨選択し、過去を編みなおす。それは自分自身の過去を語れと言われた時よりも、身構えることなく、自由な発想のもとに、矛盾や偽りを含みながらも、それゆえ鮮やかで自由で斬新な過去が、物語が立ち現れる。 ある老人は言う。みな忙しくケサル物語を聞く暇などないのだと。各々の物語に共通するケサル物語の不在は、伝統的な暮らしが息づくラダックにもグローバルな経済原理が急速に入り込み、生活が大きく変化したことを感じさせる。そして映像として映し出される町並みは、豊かな自然を活かした観光業や国境沿いにある軍事基地によって得られる外貨によって村人の生活が確実に変わっていくことを如実に表している。 『ラダック それぞれの物語』は村人たちが各々語り出した物語であったが、『ギフト』は離沖を控えた監督が、自らが生まれ育った沖縄について物語ろうと試みたものにも思われる。 祖父を亡くしたヨウスケは、ある日お墓に遊びに行くと亀ちゃんと呼ばれる初老の男に出会う。亀ちゃんは公園に住んでおり、ヨウスケに絵で金賞を獲れれば世界旅行に行けると嘘をつく。日常の延長にあるその物語は、変わりゆく沖縄を舞台に物語の虚構を解体する試みが繰り広げられる。何が起こるというわけではないが、いわゆるホームレスとされる亀ちゃんの生活、古い沖縄式の墓、開発が進みいたるところが工事現場となっている町並み。想起せずにはいられない数々の散らばりは、『ラダック それぞれの物語』におけるケサル物語のように、今まさに語り出され、物語になろうとしている。 慎ましやかなドキュメンタリーというのは奥間監督の持ち味だと思う。兎角、過剰に、過激に、鬱陶しくなりがちなドキュメンタリーという領域でこの慎ましやかさを持ち続けることに、感動と信頼を覚える。そこにあるのは暴露される開示ではなく、物語ろうとする瞬間に息を吸いこむ息の音に耳を傾けようとする誠実な態度だ。 『ギフト』 【作品情報】 『ギフト』 監督:奥間勝也 2011年/日本語/SD/40分 Vision du Reel国際映画祭2012(スイス)中篇部門ノミネート 山形国際ドキュメンタリー映画際2011 アジア千波万波ノミネート ヒロシマ平和映画祭2011 上映 杭州アジア青年国際映画祭2012 短編部門ノミネート 【作品あらすじ】 大好きなおじいちゃんを亡くしてしまったヨウスケ。ある日お墓に遊びに行ったヨウスケは、初老の男と出会い、彼の家に招かれることになる。亀ちゃんと呼ばれているその初老の男は公園に住んでいた。亀ちゃんがついた小さなウソを信じたヨウスケは絵を描く事に没頭し始めるが… 変わりゆく那覇を舞台に物語の虚構を解体する試みが繰り広げられる。 『ラダック それぞれの物語』 監督:奥間勝也 2015年/ラダック語/HD/40分 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015 アジア千波万波部門 奨励賞受賞 【作品あらすじ】 村の少年ジグメットとスタンジンの夏休みの宿題は、ラダック地方に古くから伝わる「ケサル物語」について調べてくること。世界一長い叙事詩とも言われる「ケサル物語」を聞いてまわる少年たちを通して、変わりゆくラダックに生きる人々を描いた作品。 10/7(金)12:30〜「ラダック それぞれの物語」新宿ケイズシネマで上映! http://cinematrix.jp/dds2016/ 【監督プロフィール】 奥間勝也(おくま・かつや) 1984年、沖縄生まれ。琉球大学で文学を学んだ後、2011年に上京。テレビドキュメンタリーなどをディレクションする傍ら、個人名義でも作品を制作している。 北インド・ラダック地方で撮影した『ラダック それぞれの物語』は山形国際ドキュメンタリー映画祭2015 アジア千波万波部門で奨励賞を受賞。テレビ番組『いま甦る幻の映画「ひろしま」〜受け継がれていく映画人の想い〜』では第32回ATP最優秀新人賞を受賞した。  【執筆者プロフィール】 長谷部友子 Tomoko Hasebe 何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。