【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第37話 text 中野理惠

1998年、第一回ソウル国際女性映画祭にて。右は通訳でパンドラのスタッフだった尹さん。 開拓者(フロンティア)たちの肖像〜 中野理惠 すきな映画を仕事にして <前回第36話はこちら> 第37話『コリン・マッケンジー/もうひとりのグリフィス』 山口淑子さんからの電話は、自分の写真がどうして表紙に使われているのか、というご本人からの問い合わせだった。許可をもらっていたことを説明したところ、以後は何もなかったのだが、どうしてこういう行き違いが起きたのかは不明のままである。 30年の時 今年の11月19日にパンドラは創立30周年を迎える。これまで配給を手がけた作品は100本を超えてしまった。劇映画、ドキュメンタリー、アニメーション、日本映画、外国映画、長編、中編、短編と領域や形式もさまざまであるが、常に「これはいい」と信じているのだが、『ハーヴェイ・ミルク』や『ナヌムの家』『レニ』、そして一連のソクーロフ作品のように、配給困難な作品が、どちらかと言うと多かった。また、一方で、1999年ころは、<頼まれたらイヤとは言えない>伊豆気質で、引き受けていた作品の割合が増えていたことも事実である。 『コリン・マッケンジー/もうひとりのグリフィス』

『コリン・マッケンジー/もうひとりのグリフィス』(1995年/ニュージーランド/原題:Forgotten Silver)は、個人的好みでは10本の指に入るくらい気に入っている作品だ。TV番組だったので、この作品を見ている人はかなり少ないと思うのだが、グリフィス監督(※1)の『イントレランス』(1916年/米国)の前に、スペクタクル映画をニュージーランドで作った監督がいた!という内容で、その撮影跡を探し出してもいるのである。あのピーター・ジャクソン監督(『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年/ニュージーランド・米国))が、楽しんで作ったことが伝わってきた。ナレーションは、やはり世界的俳優のサム・ニール(※2)。製作はニュージーランド・フィルム・コミッション、いわば国の組織である。 『コリン・マッケンジー/もうひとりのグリフィス』公開時のチラシ 映画を見て触発された映画青年が、 番組製作の企画書を書きたいと

当時、NHK番組などを制作していたフリーディレクターのコージさんが、試写を見て、感激して電話をしてきた。コージさんはエリート銀行員の職を投げ打って、映像の世界に飛び込んだ勇気ある、というか向こう見ずな青年であった。

「ぼく、感激しました。すっごい。NHKに番組制作の企画書を出します!」 と、早口で喋る。

「そうでしょう!知られてないのよ、あんなにすごい人が」 と、答えたのかどうかは記憶にないが、あまりに喜んでいるので、 「ねえ、コージィー、あれって、ぜぇーんぶウソなんだよ」 と言ったことは覚えている。 「えっ」 「モキュメンタリーって書いてあったでしょっ。フェイクドキュメンタリーなのよ」 「えっ」 「だから、全部ウソなの。ドキュメンタリーじゃなくてモキュメンタリー」 と今度は絶句だ。落胆の様子が伝わってきた。ちなみにコージさんは、2度目の転身で現在は、某県の地域おこし協力隊で汗を流している。 単行本「コリン・マッケンジー物語」発行

遊びの上乗りで、本作を題材に柳下毅一郎さんに「コリン・マッケンジー物語」(デレク・A・スミシー著)をお願いした。帯にコメントを寄せていただいたのは蓮實重彦先生である。本も勿論、モキュメンタリーである。 この原稿を書くために、モキュメンタリーをウィキで検索すると、この作品も掲載されているのに驚いた。なお、本作は後に松竹さんが『光と闇の伝説 コリン・マッケンジー』と題名を変えて、ビデオ化してくれた。

山形国際ドキュメンタリー映画祭1999

10月は山形国際ドキュメンタリー映画祭の<アジア映画千波万波>で、中国の林旭東さんという映画研究者と一緒に、小川紳介賞の審査員を務めた。審査員は辛い仕事だった。映画を見ている最中、眠るわけにいかない。これが何よりも辛い。長時間の作品などは、ついウトウトしそうになるのだが、ぐっとこらえる。その日の映画が終了して、深夜近くにトボトボと明りの落ちた山形市内をホテルに帰る途中、ひとり寂しく夜食を買っていると林さんと遭遇し、二人でニヤっと笑いあうこともあった。台湾の『ハイウエイで泳ぐ』が一番、という意見はふたりで一致。『あんにょんキムチ』(1999年)には才能を感じた。今や活躍する松江哲明監督の第一回監督作である。他の作品についても意見がさほどぶつからなかったので、審査会は早々に終了した記憶がある。

『フルスタリョフ、車を!』

さて、2000年になる。アレクセイ・ゲルマン監督の『フルスタリョフ、車を!』を配給した年だ。

※注1 グリフィス D.W.グリフィスDavid Wark Griffith(1875年~1848年)のこと。 <映画の父>とも呼ばれている。『イントレランス』以外にも『女の叫び』(1911年)『国民の創生』(1915年)など脚本家、監督として数多くの作品を残した。 ※注2 サム・ニール Sam Neill ニュージーランドを代表する俳優。出演作に『オーメン/最後の闘争』(1981年/  グレアム・ベイカー監督)『レッド・オクトーバーを追え』(1990年/ジョン・マクティアナン監督)『夢の果てまでも』(1991年/ヴィム・ヴェンダーズ監督)/『ピアノ・レッスン』(1993年/ジェーン・カンピオン監督)『ジュラシックパークⅢ』(2001年/ジョー・ジョンストン監督)『ガフールの伝説』(2010年/ザック・スナイダー監督)など多数。 (つづく。次は11/15に掲載します。)
中野理恵 近況

このところ、富山市を始め税金の遣われ方ついて、やっと論議され始めた。民主主義のスタートに立つ日本、だろうか。 1988年(発行は1989年)に税金の遣われ方をテーマに都内23区、26市を取材した本を発行したい、と提案したところ、当時、フリー編集者としてパンドラの書籍編集を任せていたKさんから「そんな本、売れないわよ」と一蹴された。が、諦めきれず、スタッフ数名と担当自治体を分担し、足を使って取材。「東京おんなおたすけ本PARTⅡ」の中に、「税金の遣われ方」の章を設けた。書名を「東京・税金の遣われ方」としたかったのだが、28年後だったら、集めた資料全てを駆使して、興味深い本が発行できた事だろう、と残念でならない。

東京おんなおたすけ本Ⅱ(1989年発行)の表紙と目次、奥付