【Review】人類の苦しみと困難の象徴としての「壁」『MERU/メルー』text 佐伯良介

インド北部のヒマラヤ山脈メルー中央峰。標高は約6500メートル。その最上部には450メートルもの花コウ岩の壁がそびえ立つ。その岩壁の通称は、シャークスフィン。1980年代頃からあらゆるクライマーがメルー中央峰に挑むも、シャークスフィンの直登ダイレクトルートを成し遂げた者は誰一人としていない。無謀な挑戦。リスクは死。しかし、だからこそ、価値がある。

本作『MERU/メルー』は、メルーに魅せられた一流クライマーであるコンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの3人が、リスクと見返りの狭間で葛藤しながらも、ヒマラヤ山脈メルー中央峰のダイレクトルートに挑む山岳ヒューマン・ドキュメンタリーである。

そう、これはヒューマン・ドキュメンタリーなのだ。およそ不可能と思えることに対して、失敗すれば死ぬかもしれないリスクをも抱えて、それでもなお、挑戦の意志を捨てられない人間の葛藤を描いている。だからこそ、映画として広く鑑賞される価値がある。超人・鉄人の偉業をただ傍観するのではない。美しく荘厳な自然の映像美にただ感嘆とするでもない。人間ならば誰しもが持っている問い。「人生のどの選択肢を選ぶべきなのか」、「もっと別の人生があるのではないか」。その問いに対する、おそらくもっとも過酷で苦悩に満ちた一つの回答の仕方を、私たちに示してくれている。

私たちはよく「壁を乗り越える」と言う。これまであらゆる苦しみや困難が「壁」に喩えられてきたし、いまも喩えられ続けている。なかには自身の実力以上を発揮し、運さえも味方につけなければ乗り越えられない「壁」もあっただろう。しかし、そういったものが全てちっぽけにみえてしまうほど、シャークスフィンは人類にとって越え難い「壁」として存在している。それは比喩でもなんでもない、文字通りの壁であるが、これまで喩えられてきたあらゆる苦しみと困難をまとめて象徴するような「壁」である。壮麗ですらあるその見た目とは裏腹に、壁は、乗り越えようとする者を徹底して追い返そうとする。その徹底ぶりは、まさに最高峰の「壁」というに値する。

言うまでもなく、メルー中央峰の自然的条件は過酷だ。標高6000メートル台のシャークスフィンでは平地の半分以上の空気の薄さになる。気温は常に氷点下。北東向きの岩壁に日が差すのは午前中だけ。もちろん山の天気は移ろい易く、何日も吹雪が続くこともある。実際、アンカー、チン、オズタークの3人も、もともと7日間の予定だった登山が吹雪のせいで足止めされ、20日間も山の上で過ごすことになってしまった。日が経つにつれて、彼らの生気が弱まっていく。この厳しい自然の中においては、立ち止まるにしても、歩き出すにしても、山中にいるというだけで、そのための強靭な肉体と精神力を要するのである。

その自然的条件に伴い増量を余儀なくされる装備の重量もまた、最高峰の「壁」たる所以だろう。最上部の壁は1日に60メートルしか進めないと言われており、それを登りきるには膨大な金属製のクライミングギアが必要となる。当然、登山が長期にわたるのであれば食料や燃料もそれなりに用意していかなければならない。シェルパを雇うこともできず、荷物は全て自分たちの力で運んでいかなければならないのである。

そして、もっとも重要なことは、死のリスクとどう向き合うかということである。彼らは確信を持って、メルー中央峰のダイレクトルートは「命を掛ける価値がある」と言う。しかし、だからといって、命はそうやすやすと掛けられるものではない。彼らは決して暴虎馮河な勇をふるう命知らずな男たちではないのである。それに、掛けるのは自分の命だけではない。仲間同士、互いの命に対しても責任を負っている。自分と仲間の命のまとまりを見つめ、覚悟を決めていかなければならい。そのことは「もっと別の人生があるのではないか」という問い自体が、仲間の人数分だけ増えて自分にのしかかることを意味する。


それだけではない。重みはさらに増していく。この映画には3人の家族や恋人が頻繁に登場する。死と隣り合わせだからこそ、登山は正当化できない。たとえ、死と隣り合わせだからこそ、価値があるのだとしても。気持ちの全てを応援に注ぎたくとも、登って欲しくない気持ちを消し去ることはできない。クライマーもそのことは重々承知している。登らなくとも掴める価値ある人生はきっと存在する。だからこそ葛藤する。3人には自分勝手に死ねない理由が、山の外側にもあるのだ。

自分、仲間、そして家族や恋人。そういった人々との関わりの中で育まれる「別の人生」への可能性の広がり。その広がりを塞き止めることができて初めて、決断は下される。「登るのだ」と。

しかし、最後に、避けては通れない疑問が残ってしまう。いったい何のために。「命を掛ける価値がある」と言うが、あるいは、「見返りは大きい」と言うが、「価値」とは何か、「見返り」とは何なのか。メンバーの一人が「山に登るのは景色(view)のためだ」と言う。しかし、これは回答としては不十分だ。なぜなら、シャークスフィンという壁は、あらゆる苦しみや困難を象徴する人類にとっての「壁」であるからだ。その見返りは、登った者を満たすに留まらず、それを見守る人々に波及していく。登った者にしか見ることのできない景色以上のものでなくてはならない。だからこそ、これは映画になったのだ。この映画を観ることは、その見返りを受け取ることに他ならないのである。

『MERU』
(2015/91分/アメリカ/カラー/英語・日本語字幕/ドキュメンタリー)

監督:ジミー・チン、エリザベス・チャイ・バサヒリィ
製作:エリザベス・チャイ・バサヒリィ、ジミー・チン、シャノン・アースリッジ
撮影:レナン・オズターク、ジミー・チン
編集:ボブ・アイゼンハード a.c.e
音楽:J・ラルフ
配給:ピクチャーズデプト

写真は全て© 2015 Meru Films LLC All Rights Reserved.

公式サイト https://www.meru-movie.jp

新宿ピカデリーほか、全国公開中

【執筆者プロフィール】

佐伯良介(さえき・りょうすけ)
1987年生まれ。明治大学大学院教養デザイン研究科博士前期課程修了。「ゲンロン批評再生塾」一期生有志による批評系同人雑誌『クライテリア』の編集員。主な関心領域はバングラデシュの先住民文化と芸術。国際NGOジュマ・ネットの会報でエッセイなどを執筆。