【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜 中野理惠 すきな映画を仕事にして 第41話

2000年頃の筆者

開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして

<前回第39話/40話はこちら>

第41話 ヘルツォーク作品との縁

ヘルツォーク作品の配給

時は前後するが、ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品の配給についても書いておきたい。

ヘルツォーク監督がクラウス・キンスキーをメインに据えたドキュメンタリー“Mein Liebster Feind”(1999年/ドイツ)を、ベルリン国際映画祭で見て、『キンスキー、我が最愛の敵』との邦題で2000年12月に公開した。BOX東中野(今のポレポレ東中野)の山崎陽一支配人(※①)が「面白かった」とのことで、公開劇場を引き受けてくれ、『小人の饗宴』(1970年/西ドイツ/原題:Auch Zwerge Haben Klein Angegangen)も上映しようとなり、権利を取得して、『キンスキー、我が最愛の敵』に続き、翌2001年1月に『小人の饗宴』も公開した。これがヘルツォークとの縁の始まりで、以後、現在に至るまで、何本も配給を続けることになる。

『キンスキー、我が最愛の敵』のチラシ(拡大画像はこちら
『小人の饗宴』のチラシ(拡大画像はこちら
デザインは、全て渡辺純さん。見事に映画のエッセンスを取り入れたチラシをデザインしていただいた。深く感謝している。

『ラ・スフリエール』   

今から40年ほど前だろうか、『ラ・スフリエール』(1977年/ ドイツ/原題:La Soufrière – Warten auf eine unausweichliche Katastrophe)という、フランスの火山を撮った30分の短編ドキュメンタリーを見て以来、ヘルツォークの作品は大のお気に入りで、以後、東京ドイツ文化センターの上映会で、主にドキュメンタリーを見ていた。手帳で確認すると『ラ・スフリエール』はドイツ文化センターで上映されるたびに見ている。


『問いかける焦土』
 

ヘルツォーク作品について書き始めると終わりそうもないので、もう1本だけ『問いかける焦土』(1992年/英・仏・独/原題: Lektionen in Finsternis英題:lessons of darkness)について触れておきたい。1991年の湾岸戦争を撮ったドキュメンタリーで、NHKでテレビ放映されたのを見たのだが、まさに<湾岸戦争オペラ>である。第一章の冒頭、戦火により黒煙をあげて燃え盛る油田地帯にカメラが近づいてゆく。それは地球上のものとは思えない、どこかの惑星での出来事のようだ。不謹慎にも惨事を想像できないのは勿論である。背景に流れるワグナーのオペラ曲(「ラインの黄金」ではないか、と思うのだが、持っているビデオがVHSなので確認できないのが残念だ)と、その映像が見事に調和している。ナレーションはヘルツォーク自身であった。

ヘルツォークの最高傑作

録画して何度も何度も見て、遂に、数年後、ヘルツォーク作品の特集上映をドイツ文化センターと一緒に企画した際、上映権取得の交渉を始めた。だが、その企画内での上映はできたのだが、正確な理由は忘れたのだが、残念なことに契約できなかったことだけは覚えている。

『問いかける焦土』はヘルツォークの最高傑作ではないか、と思う。

ヘルツォーク特集のチラシ

単行本「解凍!ヘルツォーク」(2000年、発行:現代書館)のチラシ

例年より短いベルリン滞在

2001年もベルリン映画祭に出席した。大抵1週間行くのだが、この年に限り、飛行機の切符がどうしても取れない。仕方ないので、一日短い滞在、5泊6日の予定で出発したのだが、ベルリンでもホテルのコンセルジュに便の変更を依頼し、自分でも暇をみては航空会社のカウンターで一日後の便のアキ状態を問い合わせていた。だが、どうしてもダメで、仕方なく一日短い滞在で帰国した。ところが、帰国した途端、とんでもないことが起きたのである。

※① 山崎陽一さん
残念ながら昨年12月に60歳の若さで急逝された。『ナヌムの家』『レニ』を始め数多くの上映困難なドキュメンタリーを、引き受けていただき、感謝している。

<つづく。次は2月15日に掲載します。>

中野理恵 近況
1月7日にウチで友人たちとの新年会。5時間もさんざん食べて飲んで笑った挙句、古着の数々が吊り下がっているのを発見した彼女たちが、たくさん引き取ってくれた。この方法で夏もやってみようかと。