【Review】人間としてのレオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』text 高橋雄太

ルネサンスの巨匠。万能の天才。最近ならば「ダ・ヴィンチ・コード」。レオナルド・ダ・ヴィンチについて語られる言葉である。数多くの賞賛と『モナ・リザ』などの傑作で知られている一方で、レオナルドには謎が多い。この映画は、レオナルドの作品、研究者らのインタビュー、さらに再現ドラマも交えて、彼の生涯と人物像に迫るものである。

多くの分野に取り組んだレオナルドであるが、多くの人にとってはおそらく芸術家としてのイメージが強いのではないだろうか。世界で最も有名な絵画である『最後の晩餐』と『モナ・リザ』の作者であるから、それも当然と言える。本作のオープニングも、レオナルド・ダ・ヴィンチ特別展Leonardo 1452-1519のために、ルーブル美術館からミラノへと、絵画『ラ・ベル・フェロニエール』を運搬するシーンである。本作には前述の絵画の他に『洗礼者ヨハネ』、『岩窟の聖母』などの映像も登場する。また、研究者たちは、肖像画の構図、人体の観察と解剖に基づく『最後の晩餐』などの人物描写の巧みさなど、彼の絵画の革新性を語る。しかしこの映画は、美術館をスクリーンに移植しただけの作品ではない。同時代人が再現ドラマに登場し、彼について語ることで、その人となりを探っていく。

まず、レオナルドと弟子達との関係について。再現ドラマには、手稿や絵画を相続したメルツィ、一説には『洗礼者ヨハネ』のモデルともされるカプロッティ(サライの呼び名で有名)が登場する。サライは素行の悪さで知られ、盗みなどをはたらいた記録も残っている。その一方で、美少年であり、レオナルドは彼を長く手元に置いていた。メルツィら周囲の者には理解不能だが、愛する者には理屈を超えた愛情を抱く。そんな人間としてのレオナルドが垣間見える。

また、レオナルドは自らを芸術家、軍事技術者として売り込み、ミラノの統治者ルドヴィコ・スフォルツァに招聘された。再現ドラマに登場するルドヴィコ、絵画のモデルとされる女性チェチリア、イザベッラたちは、カメラに向けて語る。曰く、レオナルドに仕事を依頼したが完成しなかった、もっと美しく描いてほしかった、などと不満も多い。就職のための必死の自己アピール、目上の者との関係、顧客の要求と不満。ここでのレオナルドは、天才や芸術家というより、現代の就活生やビジネスマンの姿に重なる。彼も現代人と同様に、人間関係や社会との関わり、経済の問題に悩んでいたのかもしれない。

さらに、この映画の中では、ローマ時代のレオナルドは不遇であったが、ラファエロに影響を与えたことが賛辞として語られる。だが、サン・ピエトロ大聖堂において、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描き、ラファエロが署名の間の『アテナイの学堂』に腕を振るう。そんなライバルたちの影でレオナルドは不遇をかこつ。芸術家や技術者として、自分を売り込むほどの自負を持っていた彼が、この状況に満足だったとも考えにくい。実際に彼はフランスに去り、そこで死去する。

すなわちレオナルド・ダ・ヴィンチは、天才であると同時に、多くの不運と失敗にまみれた人物でもあるのだ。芸術家としてのイメージが強いことは先に述べたが、実は完成した絵画は10点前後しかないことが知られている。また本作の中で語られているように『最後の晩餐』は制作直後から劣化しており、作品管理の点から考えれば彼はミスを犯したと言える。

技術者としての彼は、飛行機や戦車のアイデアを持っていたが、ライト兄弟のように空を飛ぶことはできず、自動車を発明することもできなかった。歯車や流体、天体の動きにも興味を抱いていたが、ニュートンのように運動の法則を体系化できたわけでもなかった。彼は時代を超えるアイデアを持っていたとも解釈できる。だが、見方を変えれば、彼も学術・技術などの面でその時代の制約を受け、多くのことがアイデアにとどまり、実現には至らなかったと言える。すなわち、「万能の天才」は決して全能だったわけではない。それどころか万能人らしく、完成を見なかった仕事も多岐にわたっているのだ。

ただ、それによって彼への賞賛が色あせることはなく、むしろ彼の魅力が増したと思える。興味を持ち、知りたいことを学び、上述のように決して幸福とは言えない状況にも置かれ、失敗も成功もする。それは、天才ならではのことではなく、人間の誰もが経験することであろう。確かにレオナルドの能力も情熱も人並みはずれたものだったかもしれないが、彼は神秘的な存在ではく、私たちにも共通する営みを行う人物だったのではないだろうか。「美と知の迷宮」に足を踏み入れて見えてくるのは、天才と神格化するだけではわからない、魅力的な人間レオナルド・ダ・ヴィンチの姿である。

【映画情報】
『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』

(2015年/イタリア映画/イタリア語/82分/カラー)

監督:ルカ・ルチーニ(『ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿』)
   ニコ・マラスピーナ
出演:ピエトロ・マラーニ(「最後の晩餐」修復主導)
   マリア・テレサ・フィオリオ(ダ・ヴィンチ研究第一人者)
提供:テレビ東京、コムストック・グループ
配給協力:東京テアトル
写真は全て© Rai Com – Codice Atlantico – Skira Editore 2016

1月28日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

【公式サイト】WWW.DAVINCI-IN-LABYRINTH.COM


【執筆者プロフィール】
高橋雄太(たかはし・ゆうた)

1980年北海道生。北海道大学大学院理学研究科物理学専攻修了。会社員であり、映画冊子『ことばの映画館』のライターとしても活動している。