今回の旅の舞台、ピャニオンのドウロ川
ポルトガル、食と映画の旅
第3回 ドウロ川とオリヴェイラ
二度目のポルトガルは、2004年の正月2日にエールフランスで出発した。ポルトガル初めての夫と一緒だけれど、10日間の短い旅程。北のドウロ川周辺を訪ねることに決めていた。ポルトガル第2の都市ポルトで生まれ育ったオリヴェイラ監督が、作品の舞台に何度も使っているドウロ川周辺にぜひ行ってみたいと思っていたのだ。
パリでの乗り継ぎが1時間少々、リスボン着が夕方という超ラッキーな、でもコワいようなフライトスケジュールだったが、成田のチェックインの際にすでに1便遅いフライトに変更されていた。それでも同日21時すぎにリスボン空港到着。両替して、トゥリスモ(観光案内所)でホテルに予約を入れてもらい、バスでロッシオ広場へ。
広場のそば、ロッシオ駅のそばという好位置にあるホテルアメリカーノは、前回につづいて二度目。建物は古いけれど、広くてツインでバスタブもついて50ユーロ。とても気に入っていたのでこの先しばらく常宿にしたけれど、どんどん人気が上がったのかいつも満室。いつのまにか値段も上昇して、いまでは高嶺の花となってしまっている。
1月3日、午前中にサン・ジョルジュ城へ向かう。坂がきつい。途中のパステラリアでパステイシュ・ドゥ・ナタ(カスタードパイ)とボロ・デ・ラランジャ(オレンジケーキ)を買って、城のベンチでほおばる。どこにでもあるようなさりげないお菓子がとてもおいしい。
よく晴れていて街がくっきり見えている。リスボンは、七つの丘の街と言われていて坂道だらけなので、あの急勾配の坂を昇る市電が発達したのだ。七つの丘のなかで、たぶん2番目に大きいこの丘一帯がアルファマ地区で、その頂上にサン・ジョルジュ城がある。ここからテージョ川方向に街を撮った写真が、観光用によく使われている。
それにしてもテージョ川の大きさに改めておどろく。海のように広い。対岸には当然のように船で渡る。リスボンの空港に着陸する飛行機(南からのフライト以外)は、テージョ川まで南下してここでUターンして空港に向けて北上する。初めてそれを体験したとき、海の上でターンしていると錯覚した。河口に近いとはいえ、テージョ川を海だと思ってしまう人は、わたしだけではないだろう。かつてここから世界を目指し、多くの小説や詩にも登場しているテージョ川は、リスボンの人々の「心の海」なのだと思う。今日もテージョ川の堤防の道には、たくさんの人がのんびり歩いている。
さて、夕食は決めていた。リスボンめぐりのバイブル、アントニオ・タブッキの「レクイエム」(92)に登場するアレンテージョ会館のレストランだ。観光客がひしめく、国立劇場裏手のサント・アンタオン通りに面してアレンテージョ会館はある。だが、その古い木造りのドアが閉まっていると、見逃してしまうほどに地味なたたずまい。「ビリヤードをする老紳士のボーイ長」が、今もいるにちがいないと思わせる気配がある。内部もしぶい造りで歴史を感じさせた。部屋はいくつもあり、「Casa de Alentejo」(アレンテージョの家)の名にふさわしく、ここにアレンテージョ地方の人々が集うことを想像させた。レストランとなっている部屋の前に、たくさんの人が行列して待っているのにおどろく。期待も高まる。二人だけだったことも幸いしたのか、さほど待つことなく入れた。
ところが、期待は裏切られた。アソルダ・デ・ガンバス(エビのパンリゾット)は味がしない、カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ(アレンテージョと言えばこの料理が有名で、豚肉とアサリの炒めもの)もこれまたボケた味で、豚肉もアサリもほんの少し入っているだけでポテトフライが器を占めていた。はっきり言って、お粗末だった。残念というか、やはり自分の鼻を効かさなければおいしいものとは出会えない、そう感じた。ワインはもちろんアレンテージョのもので、おいしかったのだけれど……。
いよいよ今回の目的の地への移動の日。まずはヴィゼウをめざす。ポルトガルは鉄道よりもバスの方が安いし発達しているのでバスを使う。バスは曜日によって発車時刻が変わるし、土日は便も減るので、日曜日の今日の便、ちゃんと予習しておいた。
バスターミナルのあるアルコ・ド・セゴまで地下鉄で行く。14時発シャーヴェス行きのバスは定刻に発車。2階建てのバスなのでかなり揺れた。北へ向かう外の景色は、アレンテージョのどこまでも広がる野とはまったく違っていて、丘あり川ありの起伏がある。そして町や村のあり方もずいぶんちがう。小さな国ポルトガルだが、南北に長い地形は、その変化が著しい。
17時30分、ヴィゼウに到着。ヴィゼウはベイラス地方の北部にあり、ポルトガルを代表するワイン、ダオン(Dão)の産地である。街のはずれにあるバスターミナルから旧市街まで歩くと、ヴィゼウの古き良き顔が見えてくる。
宿を決めて、町を歩く。カテドラルを中心につくられたカトリックの小さな町。こじんまりとまとまっていて、古い建物が修復されながら残っている。なかなかしぶい。ひとまわりすると急に空腹を感じて、友人に教えてもらった食堂を探す。小さな町の迷路のようになった狭い通りを歩いても歩いても見つけられず、結局郷土料理を出すという雰囲気のレストランに入った。ここがおいしかった!
ポルトガルのレストランは、客が席につくとすぐに「つきだし」的に、生ハムやオリーブやチーズを出してくる。これはサービスではなくちゃんと料金を取るのでいつもは手を付けないのだが、ここで出された生ハムと羊のチーズは見るからにおいしそうで、食べずにはいられなかった。実際、とてもいい味だった。メインは鴨ごはん(Arroz do Pato)とスペアリブの煮込み(Entrecosto cozido)。煮込みには血のソーセージやチョリッソも入っていて、じゃがいもと菜の花のような野菜(grelos)が添えられていた。なるほど郷土ベイラス自慢の料理という品々で、すばらしかった。とびきりおいしかったが、言うまでもなくすごい量だった。ワインはもちろんDão。大満足のヴィゼウの夜は、知らぬまに更けていった。
翌日、トゥリスモでドウロ地方の資料をもらいたかったのだが、置いてなかった。ポルトガルのトゥリスモでは、ほかの地方のものを置いてないということが多い。ここベイラスにはベイラスの情報だけ、ドウロ地方がどんなに近くても、ない。まるで行政区分のように観光情報までも区切られたのではかなわないなと思う。10年前は、いまのようなネット情報時代ではなかったから、現地調達、つまりは宿探しから地図に至るまで自分の足に頼ることがほとんどだった。でも、それこそが旅だと思ってもいた。便利なものになれてしまうと、小さな不便が大きくなってしまう。
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