次にめざすのは、ついにドウロ川沿いの町ペゾ・ダ・レグア。
15時発のバスは遅れて着いて、15時15分にヴィゼウを出発。リスボンからやってきたこのバスは、ヴィゼウのほぼ真北、スペイン国境近くのシャーヴェスまでの長距離バスだ。一日2便。15時の便を逃すと20時30分までない。
ドウロ(Douro)川は、イベリア半島で最大の流域面積をもつ全長925kmの川で、スペイン側ではドゥエロ(Duero)川と呼ばれる。スペイン北部の山に源を発し、南西に流れて、トラス・オス・モンテス地方ではこの川が国境となる。ポルトガル側に入ると、ほぼ西に流れてこの国の北の国土を横断して、ポルトに至り大西洋に注ぐ。リスボンのテージョ川とポルトのドウロ川。ポルトガルのこの二つの大きな川は、産業の要となり、歴史も民俗も文学も人々の心も、ここに拠っているものが多くある。
レグアに向かう景色はヴィゼウまでとはまた違って、高地を走る印象だ。左右に山脈が見え、遠くの町が見えている。だが、バスが走っている高速道路のまわりはかなり殺風景。途中に停車したラメーゴの町は、一気に谷へと下っていき、その底にある。川はたぶんドウロ川の支流なのだろう。バスはラメーゴで人をおろし、再び一気に谷から登って高速道路に戻る。行く方向にドウロ川が見え隠れしている。
この谷底の町ラメーゴは、山の中腹に、見上げるように建つりっぱな教会が有名で、バスが下っていく間にも、そそり立つその教会が見えていた。
オリヴェイラには、ドウロ川流域の町や村を舞台にした長篇作品が2本ある。『アブラハム渓谷』(1993『Vale Abrão』)と『家宝』(2002『O Princípio da Incerteza』)。
『アブラハム渓谷』の冒頭、レストランで父と食事をしている14歳のエマを(娘時代をセシル・サンス・ドゥ・アルバが、大人になってからをレオノール・シルヴェイラが演じた)、後に夫となるルイス・ミゲル・シントラ演じる男が見初めるシーンは印象的だ。少女の時にすでに持ち備えているエマの挑発的な美貌と、それに惹かれて人生を狂わせることになる年の離れた中年の男。このふたりの不条理な関係を、オリヴェイラは映画のはじまりから決定的に描いている。その舞台を、谷底の町ラメーゴの祭りの日のレストランに設定した。外には祭りを楽しむ人々があふれ、その向こうにはそそり立つ教会が見えている。
ずっとあとになって知ったことだが、この祭りの元々は「教会までの長く急な石の階段を膝で登る苦行の巡礼」なのだそうだ。オリヴェイラのことだから、夫の「苦行」のような人生を暗示させるものとして、ドウロ川近くの「苦行の巡礼」の町ラメーゴを選んだ、とみるのはあまりに深読みすぎるだろうか。
ラメーゴからペゾ・ダ・レグアまでは15分もかからなかった。この日はよく晴れていて、夕陽が一帯をくっきりと照らしだしていた。はるか下を流れるドウロ川に架かる大きな橋をバスは渡る。渡るのにわずか1分ほどの高い橋からの眺望は、いまも記憶にあざやかだ。そそりたつ二つの山の底をドウロ川が流れている。すぐ下流には古い橋があり、その橋の北側の付け根から山肌にへばりつくように細長くできたレグアの町が見えている。ゆるやかな流れの緑深いドウロ川をはさんで北と南。北の山(丘?)には外国資本の大きなキンタ(ワイン醸造所)とブドウ畑がいくつもあり、南の山の急斜面にはブドウ畑が一面に広がる。それにしてもこのドウロ川の深い緑の水面は、ほとんと波も立たずまるで湖のようだ。一瞬どちらに流れているのかわからなくなるほどの静かな沈黙がある。
バスは螺旋を描きながら一気に下って、16時40分、レグアの鉄道駅に到着した。ちょうど17時5分の上り列車があり、この町を素通りして上流のピニャオンに行くことも考えたが、この細長い町が気になってきて、ここで一泊することに決めた。
駅前にホテルとペンサオンがあったが、町なかに探しにいく。しかし人に聞くと駅前にしかないと言われたので、また引き返してビジネスホテルのような味気ないペンサオンに決めた。部屋は広くて熱いお湯が出る。40ユーロ。ここレグアはブドウの集荷地だからか、田舎のわりには高い。それにしてもここは寒い。
レグアの町が、オリヴェイラの『家宝』の冒頭シーンの舞台だったことを知ったのは、この旅を終えてからだった。『家宝』は、主人公のカミーラが、雨のなか傘をさして村の小さな聖堂にやってきて、中に入ってしばらくして出てくるフィックスのシーンで始まる。その次に、川の景色をとらえながら男二人の話し声がかぶり、それが交互に繰り返されるシーンがある。男たちが話している場所が、「ホテル・レグア・ドウロ」のカフェであり、二人はドウロ川を見るともなしに見ている。外はやはり雨が降っている。そこから見える向こう岸には、切り立った山ではなく平地があり、たぶんキンタと思える建物がいくつかある。上流に向かっている観光用クルーズ船が、カメラのフレーム(窓の枠)に入ってきて、ゆっくりと進みながら消えてゆく。甲板にも船内にも客の姿はほとんど見られず、船尾に付けられたポルトガルの旗が風にはためいている。その進む方向に、ズームでとらえた古い橋が映し出され、車が2、3台通り、寒そうに歩く人の姿も見える。
この静かでどこか寂れた印象の景色にかさねて、男二人が話題にしているのは、時代の移り変わりと、父のギャンブルが元で財産を失った家の娘カミーラをめぐる人間たちのことである。
物語のはじまりを、ダイアローグ的に二人の男に語らせるという、オリヴェイラの常套。『アブラハム渓谷』では、それをナレーションで語らせて、ドウロ川に沿って走る鉄道からの風景にかぶらせた。オリヴェイラは『アブラハム渓谷』と『家宝』で、ペゾ・ダ・レグアから上流のドウロ川に正面から向き合った。ドウロ川二部作。どちらも、心の奥に秘めた欲望に苦悩しながら数奇な運命を生きる女性を主人公にした。ドウロ川の、底の見えない深い緑は、まるでエマとカミーラの心の深淵だと言っているようにも思えてくる。
翌朝は、いまにも雨が降ってきそうな曇天で、いっそう寒かった。10時6分の列車に乗るまでの間に、古い橋を渡った。この橋でさえも川面からの高さはかなりあった。川の色はますます緑を増して見えて、橋の上から川面をのぞくと、吸い込まれそうでぶるっと体がふるえた。向こう側に着くと山につきあたり、舗装の傷んだ道が左右に分かれている。山の斜面にあるブドウ畑に行くための道だと思えた。戻る橋の上から、上流にかかる新しい橋、きのう私たちを乗せたバスが通った橋、を見上げて、そのあまりの高さにおどろく。
いよいよピニャオンに向かう。ポルトからレグアまでの列車の本数も多くはないが、レグアから上流に行く列車はガクンと減って一日片道4本ほどになる。おまけに列車はひどくオンボロで、窓も汚れていた。この曇天の空気と半透明のような窓を通して見るドウロ川は、傷んだ古い映画のなかの景色のようだった。対岸に立つ古い屋敷は、オリヴェイラの映画に出てくるあの富豪の家に見える。
ピニャオンのドウロ川
30分でピニャオンに着いた。ここはドウロ川がちょうど大きくVの字にカーブするところにある小さな村である。川の両側はレグアに比べるとなだらかな丘が広がる感じで、川幅もこちらの方が広い。両側のどちらの丘にも立派な建物のキンタがあり、オリーブとブドウの畑が見えている。
ピニャオンの小さな駅舎の壁はアズレージョ(藍色の模様を描いたタイル)でできていて、しぶくて美しい。駅を出ると斜め正面にペンサオンが二つ。ヴィゼウのトゥリスモで調べてもらった二つだった。だが一つは大工事中なので、必然的にもう一つの方に決まった。部屋は狭いが仕方ない。35ユーロ。
ピニャオンの駅前
すぐに村を歩き、ドウロ川にかかる橋を渡る。ここのドウロ川もまた湖のようにおだやかで、深い緑色の豊かな水をたたえていた。曇り空にもかかわらず、その水面は鏡のごとくまわりの山や家々をしずかに映しだしている。レグアの険しさとずいぶん印象が違う。それはきっと、川幅と両側の山の高さの違いからくるものだろう。
向こう岸には、「レアル・コンパニア・ヴェリャ」という大会社の事務所とキンタがあった。この事務所で了解をもらって、キンタへとつづく川沿いの道を延々と歩く。道の右側には急傾斜する丘があり、オリーブの樹がきれいに植えられている。どうやって収穫するのだろう。左側にはオレンジの木が並んでいる。やっとキンタに着いたが、人気がなく静まりかえっている。たが、機械のある作業所のようなところに3〜4人の人がいた。どうやらこのキンタは宿泊施設もレストランもあるようだ。プールまである。創設者らしき人の墓堂というのか小教会もりっぱなものがあった。
ここから見ると、村のある側の山にも大きなキンタが2つ3つ。名前からしてどれもイギリスの会社のようだ。季節はずれだから丘の畑に人の姿はほとんど見られず、閑散とした田舎の風景である。しかし、ここピニャオンはまちがいなく、ワインとポルト酒をつくる小さくて大きな村なのだ。「小作」としてブドウを育て収穫してワインを作る人、それを管理し国内外に売り出す仕事をする人、そしてその家族たち。そういう人たちが住んでいる村だ。『アブラハム渓谷』の、ブドウ畑の日焼けした男たちや洗濯場のエプロンの女たちが、きっとこの村にも生きているのだろう。
対岸のキンタから村に戻ってきて、小さなバルで軽いお昼。バルボ(barbo)というハヤを大きくしたような川魚を揚げたものの酢漬け。タラコロッケとポテトフライと米。そして地の赤ワイン。このワインは自家製と思えた。どれも小さな村でしか出会えない味で、心がとても満たされた。店のおじさんの風貌が、東京の心やさしい友人に似ていてそれもまた微笑ましかった。
ペンサオンでひと休みしてから、村をほぼひとまわりする。小さな村だから、あっという間に同じ場所に戻ってしまう。それにしても寒い。立ち寄ったカフェで夕食のためのレストランを教えてもらった。ATMでお金をおろす。夕方5時を過ぎるともうどんどん暗くなっていって、ドウロ川の両岸の丘が昼間の顔を変えて黒く迫ってきた。ドウロ渓谷の夜だ。
8時前、教えてもらったレストランに行く。その店はドウロ川がV字にカーブした先端に注ぐ支流の付け根にあるので、支流に架かる橋を渡って行った。ぽつんと一軒あるだけのその店。こんなところにレストランがあるなんて、人に教えられなければとてもわからない。そしてけっこう人が入っていて、それにもまたびっくりする。
寒いのでやはりスープから。野菜がたくさん入ったsopa de legumes。ポルトガルは全土通してスープがよく食される。どこで食べても、おふくろの味という風情で懐かしくておいしい。メインはサケと牛肉。どちらもメイア・ドーゼ(半分の量)で頼んだけれど、すごい量だった。サケはオリーブオイル焼き、それに茹でたじゃがいもと青菜が付く。牛肉はグリル焼きにポテトフライ。こういうシンプルな料理、これこそがポルトガルの味だが、これらの素材のなんというおいしさだろう。肉も魚も、本来の味がちゃんと生きている。いつもそう思う。酒はもちろんドウロの赤ワイン、たっぷり。昼間の小さなバルで飲んだ方が個性があっておいしかったが、これとてすばらしい赤だった。これに水とコーヒー、二人でなんと18ユーロ。当時のレートで2,000円! 大感激である。
ここの主人が、日本に3日間だけ行ったことがあると話してくれた。帰り道、橋のたもとですれ違った少年に、店はまだ開けているかとポルトガル語で尋ねられた。
ピニャオンのレストランでの夕食
ピニャオンが気に入ったのでもう一泊したい気持ちがつのった。決められた予定があるわけではないわたしたちの旅は、基本的には気ままに動けばいい。けれども、今回はそうはいかなかった。翌々日の正午に、遅れて日本を発つ「ポルトガルの友」とグアルダで待ち合わせしていたのだ。今だったらすぐにメールして、待ち合わせの町を変更することも可能だ。しかし当時、それは無理に等しかった。後ろ髪引かれるところなら、きっとまた来る。そう思うことで旅はまた何かと出会っていく。
翌朝、ピニャオンを10時35分の列車で終着駅のポーシーニョへ向かった。ずっとドウロ川を右に見ながら、上流へと走る。緑の水面と川岸から反り立つ山のぶどう畑を飽きずに眺めつづけた。ゴトンゴトンと音をたてて揺れる列車のなかで、わたしは『家宝』のカミーラになり『アブラハム渓谷』のエマになった。ドウロ川の深い落ちつきと静けさが、彼女たちの心の奥に潜んでいる欲望をじわじわと露わにさせるのではないか。あの川の底には、じつは魔物が住んでいるのではないか。ボート寄せの小さな桟橋の板が折れて、エマが足を踏みはずして川に沈むのは、ドウロ川に愛されたからだ。そんな妄想にとらえられながら、列車はポーシーニョに到着した。
鉄道はポーシーニョで終わるが、もちろんドウロ川はさらに上流へとつづいている。想像どおり、ポーシーニョの現実はまさに駅だけしかないところだった。それなのに、駅前(などというものではない。駅舎の裏の草むらだ)から出る唯一のバスは、わたしたちだけでなく他の何人かの客も乗せないで出てしまった。なんということ! とんでもない現実が待っているのが旅である。かくして乗合タクシーで次の中継地のヴィラ・ノヴァ・デ・フォスコアにたどりついた。ちっとも風情のない新しい町だった。仕方ない、ヴィラ・ノヴァ「新しい村」だもの。それでもおなかはすいてきて、食堂を探した。表通りではなく、裏の細い通りにある地元の人で賑わっている食堂。そういうところに絶対いい店はある。みつけた。大当たりだった。
店に入るとほぼ満席。なんと先ほど乗った列車の車掌さんがいた! わたしたちのことをおぼえてくれていて、挨拶を交わす。さて、みんな食べているものは同じ。Arroz do Polvo、タコごはん。たぶん日替わりメニューになっているのだろう。今日はタコごはんなのだ。タコごはんと赤ワインとパン。二人で9.10ユーロ。このシンプルさ。しかしその味の深さ。安さ。すばらしかった。日本に戻ったらすぐに作るぞ、と意欲が湧いた。ずっと食べたいと思っていたメニューに、すぐに立ち去る町で出会えた。皮肉なものである。店の名前は「Cristina à B. Ferreira」。働いているのはすべて女性。これぞポルトガルの実力だ。
このタコごはんはわが家のパーティの定番となり、ポルトガル料理イベントでも提供した。食べたのべ人数は100人にのぼるはずである。
【今回の映画】
『アブラハム渓谷』
1993年/203分(ディレクターズ・カット)/ポルトガル
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
小説『ボヴァリー夫人』を現代ポルトガルに置き換えてアグシティナ・ベッサ・ルイーシュが書いた小説をオリヴェイラが脚色した、3時間を超える大作。舞台となったドウロ河は、オリヴェイラが1931年に22歳で初めて監督した映画『ドウロ河』の舞台でもある。
『家宝』
2002年/132分/ ポルトガル=フランス
原作:アグシティナ・ベッサ=ルイーシュ
監督・脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
小さな村の裕福な一族に嫁いだ女性の、美と悪が織り成す物語。
原作は『アブラハム渓谷』と同じ、アグシティナ・ベッサ=ルイーシュ。
【筆者プロフィール】
福間恵子(ふくま・けいこ)
1953年岡山県生まれ。書籍編集者を経て、福間健二の映画をプロデュース。最新作『秋の理由』は現在、甲府シアターセントラルBe館で上映中(2/10まで)。
『秋の理由』公式HP
http://akinoriyuu.com