カンボジア小特集①【Report】 カンボジアのドキュメンタリー映画事情 —リダ・チャン『Red Wedding』上映会  text 歌川達人

会場の様子 左から藤岡朝子(通訳)、リダ・チャン、ナリン・サオボラ、尾崎竜二(聞き手) 

カンボジア映画といえば、『消えた画 クメール・ルージュの真実』や『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』で知られるリティ・パン監督や、『ダイアモンド・アイランド』のデイヴィ・シュー監督などカンボジア系フランス人の作家たちが良質な作品を製作してきた。2017年はアンジェリーナ・ジョリー監督の『First They Killed My Father』がNetflixで公開となる。日本でも1999年には報道写真家・一ノ瀬泰造を描いた『地雷を踏んだらサヨウナラ』が公開され話題を呼んだし、本稿を執筆する歌川もカンボジアの染織物をテーマとしたドキュメンタリー映画『Cambodian Textiles』を製作中である。

ところで、フランス・アメリカ・日本など外部の作家目線で描かれることが多かったカンボジア映画だが、現地カンボジア人の映像作家はどういう映画を作っているのだろう?

 4月27日、プノンペン在住の女性監督リダ・チャンさんと旦那さんで映像制作者のナリン・サオボラさんの来日を機に、上映会『カンボジアのドキュメンタリー事情』が開催され、内部の視点からカンボジアの社会やドキュメンタリー映画事情などについて広くお話しいただいた。当日は50名以上の観客が足を運び、司会を担当した映像作家の尾崎竜二さんの卓越したファシリテートによって会場は熱気に包まれた。


ポルポト政権下の強制結婚をテーマにした
女性視点のドキュメンタリー映画『Red Wedding

女性作家リダ・チャン監督が共同監督ギヨーム・スオンと作った『Red Wedding』は、ポルポト政権下の強制結婚をテーマにした映画である。

党の決めた見知らぬ男と寝床を共にされ「結婚」を強いられたソチャンは16歳だった。30年の沈黙ののち、彼女はクメール・ルージュ特別法廷で証言を決意する。1975〜79年、人口増強を掲げた政策によって、25万人以上の女性が「処刑」の脅しに「結婚」した。

本作は2012年に製作され、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ(中編部門)、アルジャジーラ国際ドキュメンタリー映画祭金賞など、世界中の映画祭で上映され、話題となった。

ポルポト政権下で強制結婚を経験したソチャン。彼女の視点で本作は展開する。客観的な真実としての歴史は存在せず、人々の解釈の総和が歴史を形作るのならば、ソチャンの語りによって紡がれる本作も歴史の一端と言える。本作が放つ重層性と土着性を前に、私はそう感じられずにはいられなかった。それは、“クメール・ルージュが撮影したプロパガンダ映像”と“現代カンボジアの田んぼ作業”がカットバックされるシーンに象徴される。40年近い歳月をいともたやすく飛び越える映像編集の飛躍には、確かにその土地と人々に堆積してきた歴史を感じざるを得なかった。

ソチャンは、強制結婚の後に結婚した夫との間に6人の子をもうけた(その夫も内戦で亡くなってしまうのだが)。とりわけ、カンボジアの女性にとって、未婚の女性が処女ではないということは辱めであり、それがソチャンを苦しめ、強制結婚について口を閉ざしてきた理由でもある。しかし、本来忘れ去りたい過去としてある彼女の記憶は、カメラという異物が入り込むことで見事にあぶり出されていく。本作は、ソチャンが感じてきた怒りや悲しみの行き場を探す過程を追体験する映画なのではないだろうか。物語の後半で展開される、結婚制度を強要していた党の責任者とソチャンが対峙するシーンは、緊張感に満ち満ちているので、機会があれば、ぜひご覧いただきたい。

『Red Wedding』チラシ

カンボジアのドキュメンタリー事情

さて、本作はプノンペンにある映像文化施設であるBophana Audiovisual Resource Center(ボパナ視聴覚リソースセンター)が製作母体となっている。当時、ボパナセンターに籍を置くフランス人プロデューサーとリティ・パン監督の2名が、プロデューサーとしてカンボジア作家の映画製作を支えていた。本作に関しても1年半という長期の制作期間を支えるため、カナダのファンドやドイツ系のNGO、IDFA(アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭)やサンダンス映画祭など、文字通り世界中から様々な支援を得て製作された。「なぜこれだけ多くの支援を得られたのか?」と言う質問に対し、「本作が強制結婚について描かれた初めての映画だったからではないか」とリダ監督は言う。加えて、2006年からカンボジア特別法廷で、ポルポト政権下で行われた強制結婚が“人道に対する罪”として裁かれたという社会情勢が影響しているのではないかと。

本作はボパナセンターを拠点に活動する5名の若いスタッフによって制作された。加えて、ボパナセンターが貯蔵する映像フッテージがふんだんに使用され、作品に厚みを与えている。まさに、映画文化施設であるボパナセンターを最大限活用して制作された作品と言える。しかし、現在カンボジアのドキュメンタリー産業は非常に小さく、現地で製作している作家は10名ほどと非常に少ない。2010-12年ごろにドキュメンタリー映画に目覚めた人は多いが、長期の制作期間や経済的な問題に耐えられず、他の仕事に移った人が多いとのこと。それでも、リダ監督は「将来的な希望はある。ドキュメンタリー制作とは異なった立場から、新たに参入してくる新しい作家に期待している」と力強く語ってくれた。

リダ・チャン監督 (右はナリン・サオボラ氏)


リダ監督が
映画製作にこだわる理由

では、なぜそれほどまでに、リダ監督は映画制作にこだわるのだろうか?

元々、ジャーナリストであったリダ監督は、仏ラジオ国際放送の記者としてジャーナリズムの道を歩んでいた。しかし、彼女は次第に「映画作家になりたい。Film makingがしたい」という願望が芽生えるようになった。一体何が彼女を突き動かしたのか?それは「人々とより深く知り合いたい」「彼らの本当の生活を伝えたい」「人々の近くに寄り添って、長く時間を共有したい」「そして、何より私には知らないことがたくさんあって、Film makingは私に尊い学びの機会を与えてくれるのだから」と映画制作の根源的な喜びを語るリダ監督。「続けていくことは、とても難しいことですが、頑張っていきたい」と笑顔で語るリダ監督に、会場の映画関係者は共感せずにはいられなかっただろう。

そして、話は歴史の継承について。司会の尾崎さんから、“大切なことは、理解し、明らかにし、忘れないことだ”というリティ・パン監督の言葉が紹介された。「日本でも戦争を経験した世代が亡くなっていき、戦争の歴史を次世代に伝えていく困難に直面しているわけですが、リダ監督は次の世代に歴史をつないでいくことの難しさをどのように感じているか?」という質問が。リダ監督は、「私にとって、本を中心にカンボジアの歴史を学ぶことは不十分であった。本だけだと想像が難しい。映像であれば、今あることを未来に伝えることができるし、何より本作の上映を通して、カンボジアの観客と繋がれた実感があった」と語る。「同時に、資料映像(アーカイブ)が持つ力を感じた。当時の映像なので、党が撮影したプロパガンダ映像なのだけれども、そこには人々が動員されて田んぼで働いていることが目に見える。それがどうだったのかということも良く分かる。特にベトナム軍は入ってきた時に撮られたアーカイブ映像の中には、多くの人が死んでいる姿が映っていた。そこには、確かな内戦や虐殺のイメージとして焼き付けられていた。お年寄りからポルポト時代の話を聞いても、中々信じることができない若者もいる中で、映像として見せられるだけで、映像に映っている事実の力が伝わるのではないか」と。
尾崎竜二さん(司会・聞き手)

ドキュメンタリー映画における“外部と内部”

今回の上映会は、カンボジアを舞台とした拙作の編集中に開催されたため、私(歌川)は大いに刺激を受けた。

私が製作中のドキュメンタリー映画「Cambodian Textiles」は、カンボジアの伝統織物を復興させた森本喜久男さんと、彼がカンボジア人と共に作り上げた村を描いている。“余命わずかな森本さんの命と織り手一家の日常”の尊さがテーマにある。断っておくが、私はクメール語が分からない。話せる言葉といえば、「あれが食べたい。あっちに行きたい。それは食べられません。」くらいなもの。よって、言語がわからない外部である日本人視点で、映画を作らざるを得なかった。どんな会話も「最も良い聞き手」というのが存在する。それは、何も恋人や親子の様に親密であればあるほど良いというわけでもない。飲み屋で偶然隣に座った赤の他人が、悩みを聞いてくれる良い聞き手となることだってある。拙作撮影中に、「村の織り手にとって、最も良い聞き手は誰なのだろう」とずっと考えていた。それは明らかに、言語が拙く、5ヶ月程度しか時間を共有できていない私ではないと撮りながら気がついていったから。それは例え、どんなに有能な通訳を雇ったとしても。

そこである日、視点を変え、村の閑散期を見計らい、現地スタッフ(ミドリさん)と織り手一家で自由に会話してもらった。聞きたいポイントだけは、事前にミドリさんと共有して。彼女は、カンボジア人と日本人との橋渡し役として、村人から絶大な信頼を寄せられる存在でもあった。いざ、撮影が始まると、私が一人でカメラを向けている時とは全然違った生き生きとした表情を見せる村人たちの姿が。でも、何を話しているか、5%くらいしかわからない。すごく楽しそうな彼女たち。必死に、フレームを切り取る私。後日、それらの映像を翻訳し編集すると、すごく生き生きとしたシークエンスとなっていた。それは、私の視点ではないのかもしれないけれど、共犯関係にあるミドリさんの視点によって、映画の視点が拡張されていった様な感覚であった。

その様な事を悶々と考えている時に、今回の上映会が催されたので、否応無しに「外部と内部」について考えていた。ドキュメンタリー映画は内部に深く潜れば潜るほど、艶が増すように思う。でも、内部があって外部があるわけで、何を基準にするかの問題であり、ただの言葉遊びな気もするが、それを自覚した上であえて話を進めてみる。

拙作の例で言えば、カンボジアの染織物の村という軸の中で、外部である日本人監督(私)が、内部である現地スタッフ(ミドリさん)との共犯関係によって、映画の視点が拡張されていった。では、「Red Wedding」の場合は、どうなるか?“当時の強制結婚を知る人々“という基準の中では、リダ監督は外部で、強制結婚を経験した主人公のソチャンは内部である。しかし、両者は明らかに共犯関係を結んでいる。結婚制度を強要していた軍の責任者に対峙しに行くシーンなんか、共犯関係の賜物だ。お互い一人だと、こんなことは出来ない。カメラと一緒だからソチャンは立ち向かえたのだし、カメラはソチャンがいるから撮影できた。

そういう意味では、どういった共犯関係の中で映画の視点を拡張していくのかが重要なのだと、「Red Wedding」を通して改めて感じた。言い換えるならば、外部である自分(カメラ)が内部へ深く潜っていくにはどうするか。もし、日本人である私がカンボジアの強制結婚をテーマにした映画を作ろうとしたとして、私の視点は間違いなく外部の視点だけど、良き共犯者を見つけることで、私の映画は内部の視点たり得るのだとも思う。でも、そうやって映画の視点を拡張し内部化することは、すごく時間と労力がかかって、大変なことなのだと制作を通して実感した。それでも、映画が「私(内部)と世界(外部)との関係」を描き続けるならば、時間と労力を注ぎ、最も良い共犯者を見つけるべきなのかもしれない。うわべだけではない良き共犯者を。

今回の上映会は、そんな小さな気づきを私に与えてくれた。

歌川達人『Cambodian Textiles』より 出演の森本喜久男氏

カンボジアからのInside Lens

知的でパワフルなリダ監督。彼女の新作「Red Clothes(16)がDMZ国際ドキュメンタリー映画祭やモスクワ国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、大きな反響を呼んでいます。

http://www.midff.com/red-clothes

そして、Red ClothesのTV版Weges of Lifeが先日NHKワールドで放送されました。リンク先から、予告と監督インタビューが視聴できます。

https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/lens/403_28.html

本作は2013年にプノンペンで行われた労働者のデモで深い傷を負った男性と、その妻であり、カンボジアの服飾産業で働く女性を描いた作品です。
継続的にカンボジア内部の視点から映像作品を作り続けるリダ・チャン監督。彼女の今後の活躍とカンボジアの映画作家たちから目が離せません。

『Red Clothes』(DMZ国際ドキュメンタリー映画祭公式サイトより)

<上映会情報>

『カンボジアのドキュメンタリー事情』

2017年4月27日(木)下北沢アレイホールにて
主催: DDセンター 
http://webneo.org/archives/42391

<上映作品>

『Red Wedding』
(2012/カンボジア/クメール語/英語字幕/58分)

http://bophana.org/productions/red-wedding/

【監督プロフィール】
チャン・リダ Lida Chan
仏ラジオ国際放送の記者としてクメール・ルージュ特別法廷を取材しながら、ボパナ視聴覚資料センターでアーカイブ調査に従事。2010年にリティ・パン監督のドキュメンタリー・ワークショップに参加し、映像ドキュメンタリー制作を始める。共同監督の本作のほか「My Yesterday Night」(短編)、「Red Clothes」(2016)。

ナリン・サオボラ Saobora Narin 
プノンペン王立大学卒業後、ボパナ視聴覚資料センターで編集と色調整の実務に就く。2012年より独立しチャン・リダのCloud Films で映像編集、音響、撮影で活躍。

【上映会主催・通訳】

藤岡朝子 Asako Fujioka
DDセンター代表。映画配給会社を経て、1995年より山形国際ドキュメンタリー映画祭のコーディネーター、のちにディレクター、現理事。通訳・翻訳業の傍ら、アジア・ドキュメンタリーの配給や日本映画を海外に紹介する事業を担う。独立映画鍋理事、Tokyo Docs実行委員。

【聞き手】
尾崎竜二 Ryuji Osaki 
TVを中心に作品制作をするドキュメンタリーディレクター。昨年カンボジアで取材した「世界ふれあい街歩き・シェムリアップ」(NHK BS)がこの3月に放送されたばかり。

【執筆者プロフィール】

歌川達人 Tatsuhito Utagawa
フリーランスの映像制作(演出・撮影・編集)として働く傍ら、カンボジアの染織物をテーマにしたドキュメンタリー映画『Cambodian Textiles』を製作中。独立映画鍋で運営メンバーとして、運営実務に携わる。