【Review】記憶が接続する時――大川史織監督『タリナイ』text 宮本匡崇

 

 先日、なんの気なしにtwitterのタイムラインをぼんやりと眺めていたら、1件の画像つきツイートが目に留まった。それは1945915日にマーシャル諸島で撮影されたとされる日本兵の写真で、元は白黒画像だったものにニューラルネットワークによる自動色づけが施されていた。上裸で一列に並んだ4人の兵士は皆ひどく痩せ細っており、上半身はほとんど骨と皮だけ。肋骨から胸骨、鎖骨までくっきりと骨のかたちが浮き出ていた。写真が着色されたことによって、「史実」と化していた過去の「記憶」が生々しさと実存感をもって現代に解凍されたような印象を受けたが、第二次世界大戦はおろか東西冷戦の時代も知らない筆者のような世代にとって、70年以上前の日本兵の姿と、どこに浮かぶかもわからない島国の名を瞬時に繋ぎ合わせることはいささか困難であった。

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 映画『タリナイ』は、マーシャル諸島のウォッチェ環礁で亡くなったとされる日本兵・佐藤冨五郎が遺した2冊の日記を糸口に、その長男である勉(つとむ)氏が日本から戦没地を訪れる慰霊の旅を追ったドキュメンタリーだ。

 日本政府の見解によると、日中戦争・太平洋戦争の戦没者310万人のうち、軍人・軍属は約230万人。そのうちの過半数は戦闘による戦死ではなく餓死であったとする学説もある。元来が兵站を軽視していた旧日本軍の作戦に加え、連合軍の進行により補給線を絶たれ孤立した日本兵が、東南アジアや南太平洋のジャングルでトカゲやネズミを追う過酷な飢えとの戦いを強いられたことは今日でも帰還者の回想で度々語られている。さらに、前述の310万人のうち遺骨が未収容となっている海外戦没者の数は約112万人にのぼるという。

 日記を遺した佐藤冨五郎の遺骨も日本には送還されておらず、ウォッチェ環礁のどこに埋葬されているかは正確には分からない。1943年に出征したまま文字通り帰らぬ人となってしまった父親について、当時2歳だった勉氏の記憶は残っていないという。日本遺族会のツアーで訪れるウォッチェでの滞在時間は毎回わずか20分程。慌ただしく慰霊祭を済ませて戦没地を後にする遺族の口惜しさは想像に難くない。父親が最期に過ごした島々を自分の足で歩き、日記や資料に記された手がかりから「ここだ」と思える場所で慰霊をしたいというのが勉氏の願いであり、旅の目的である。

 74歳の老人が「日記」というキーアイテムをめぐって太平洋を渡るというストーリーは、先進国たる日本からマーシャル諸島という「辺境」へ、画面の前の観客をシームレスに運んでくれる。特に映画の前半、宮城県亘理に住む勉氏が日本を発ちウォッチェ環礁へ到着するまでの一連のシークエンスでは、ロードムービー的な形式を巧みに利用しつつ、作品背景について観客が順序よく情報を受け取れるよう注意深く編集がされている。被写体としての勉氏のキャラクターも魅力的だ。マーシャルの子供と無邪気に戯れる姿や、父親のこととなると突発的に感極まって涙を流し声を裏返らせる様子など、多彩な感情の起伏がカメラに収められている。戦争を背景としたダークツーリズムであると同時に、勉氏を主人公とした“おじいちゃん映画”としても引き込まれていく。旅人を美しく迎え入れてくれるマーシャルの島々の景色も目に嬉しい。

 さて、本作の屋台骨は一見してこうした旅映画的なスタイルに支えられてはいるのだが、実のところ、肝心のウォッチェ環礁に到着してからはその形式を次第に逸脱していく。テンポよく進行していた編集は少しずつ緩慢になり、カメラは勉氏の冒険よりもむしろマーシャルの島民や風景、戦跡へ向けられる時間が長くなっていく。そこに散りばめられているのは他でもないマーシャルの土地と人々に遺された戦争の記憶だ。向けるべき敵のいなくなった大砲、海岸に固まった釘の塊、植物に侵食されたトーチカ、家々を破壊して作られた滑走路……、「日本もアメリカもいまだに修復に来ない」と島の老人は言う。「分かった?理解できたならよかった」と続ける彼の言葉は、撮影クルーだけでなく画面の前の我々にも向けられている。また、埋葬地の手がかりとしてたどり着いた「第64警備隊本部」の壁には韓国語で望郷の詩が記されており、日本人が囚人や朝鮮人を労働力として投入したことも垣間見える(その中にマーシャルの島民も含まれたであろうこともやはり想像ができるだろう)。

 くわえて、散策中の一行が浜辺にひっくり返されたウミガメを発見するシーンは印象的だ。それは食用のために捕獲されたもので、彼らはそこでウミガメの捌き方と共に、島民の男性が彼の祖父から聞いたという戦時の話を聞く。

 「戦中、島民はみんな他の島に逃げた。日本人が逃したのではなく日本人から逃げた。戦いが激しかったのと、食べ物が無くなるとマーシャル人を殺して……」(字幕ここまで)

 先に続くのは紛れもなく「マーシャル人を食べた」という事実だろう。無防備に仰向けにされ食べられるのを待つウミガメの姿が、日本人に殺され食べられたマーシャル人のイメージと隠喩的に重なる。「日本人は悪いことしてないっちゃ?」という勉氏の言葉はあまりにも呑気だが(そこでの彼は本作の主人公というよりはむしろバイプレイヤーのような立ち位置に見える)、しかしそれを非難できる程戦争責任を考えたことのある戦後世代の日本人が果たしてどれほどいるだろうか。

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 マーシャル諸島は、大航海時代に西欧の探検家によって「発見」されて以来、特に17世紀以降は列強諸国による支配が続いた。第一次世界大戦中にはドイツ艦隊を破った日本軍に占領され、その後、大日本帝国が国際連盟から委任統治を託されるに至った。当時日本が統治していたミクロネシアの一帯は「南洋群島(現在の呼称は南洋諸島)」と呼ばれ、朝鮮や台湾と同じく、現地の島民へは日本語教育を中心とした「同化」政策が行われた。

 現在でも日本語由来のマーシャル語がそのまま残っており、作中でもチャンポ=散歩、エンマン=円満、アミモノ=編み物……といった言葉が聞き取れる。そして何より映画のタイトルである「タリナイ tarinae」が他でもない「戦争」を意味する言葉だということは本作を観るにあたって最も意外で衝撃的な事実である。恐らく戦時の日本人が物資不足や食糧難(飢餓)のために「足りない、足りない…」と言ったことがその語源ではないかと推測できるが、それがそのまま戦争自体を表す単語となる事態とはいか程のものなのか、平時にははかり知れない。

 作中で「タリナイ」について話す老婦人は、戦跡を見るといまだに恐怖を覚えるという。通訳の男性が「戦争はもう終わった」と話すと「終わったの?またやらないの?」といぶかしげに問い返す。彼は「戦争はもうしない。私もやらないでほしい」と答えるしかない。しかし、果たしてマーシャルの人々にとって本当に戦争は終わったのだろうか、今後繰り返されることはないのだろうか。終戦後、日本の統治から解放されると、マーシャル諸島はそのまま米国の信託統治領となった。その後、米国はミクロネシア地域を完全に封鎖。外部との交易や通行の一切を閉ざすと、エニウェトクやビキニといった環礁で実に67回に及ぶ核実験を行った。1954年の水爆実験「ブラボー」では日本の第五福竜丸の船員とマーシャルの島民が死の灰を浴びて被曝。度重なる核実験は島を消滅させ、地形を変えた。クワジェリン環礁にはいまだ米軍基地があり、つい最近も大陸間弾道ミサイルの迎撃実験がされたばかりだ。日本が迎えた「戦後」という時代は、当然だがマーシャルの人々には同じようには訪れていない。(*1)

 また、米国は終戦後の「掃討」作戦中、島の家々から日本に好意的とみなされるものを没収してまわった。それは日の丸や国威発揚に関わる品に留まらず、日本との関わりや血縁を示す手紙、家族写真、チラシの類といった個人的な所有物にも及んだという。一方の日本においても、戦後の進駐軍や政府の検閲によって、文書や書籍からは帝国的と思われる記述が破棄、改変されていった。南洋諸島の植民地に関する教育もその例外ではなく、教科書からも削除された。このようにして日本とマーシャル諸島は地理的にも歴史的にも双方向から分断され、人々の記憶は連続性を失い、両者の関わりは次第に忘却されていった。

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 映画『タリナイ』は、断絶された父子の記憶が「日記」と「旅」を介して精神的かつ行動的に接続される物語として提示される一方で、上記のような日本とマーシャル諸島の間にある地理的、歴史的な記憶の「断絶」について確信的に言及を試みている。

 例えばもし『タリナイ』が単なるロードムービーの形式に終始するのであれば、開始50分頃に訪れるエネヤ島上陸のシーン(冨五郎が任務で数ヶ月を過ごした島。勉氏は島へ向かって「お父さんー!来ましたよ―!」と叫ぶ)、もしくは開始75分頃、ウォッチェ本島で勉氏が父への手紙を読み上げるシーンのいずれか(あるいはその両方)にカタルシスを求めることができるだろう。映画的にもひとまずそこで彼の旅の目的は果たされていると言っていいはずだ。ところが本作はそうしたクライマックスを潮目に幕を引くことなく、残り15分程をかけてある1つの楽曲にまつわるエンディングへと向かっていく。

 コイシイワ アナタワ イナイトワタシ サビシイワ

 ハナレル トオイトコロ ワタシノオモイ タタレテ

 日本語で歌われたこの曲について耳に覚えのある日本人はいるだろうか。『タリナイ』作中では現地でサンプリングされたマーシャルの楽曲が随所に使用されているが、この「コイシイワ」の演奏だけは冒頭と終盤で同じカットが反復され、特権的に扱われていることが分かる。 

 そこで大川史織監督は、この曲を亡き祖母から繰り返し歌ってもらったというマーシャルの少年へカメラを向け、執拗に質問を重ねていく。楽曲の出自について問われた彼は「日本人が作った歌じゃない?それかマーシャル人かも」と答え、そしてややうんざりするように「日本語の歌だよ?」「知らないの?」と逆に監督へ問い返す。そうして映画は彼が出し抜けに放った一言を最後に幕を閉じる。

 わずか100年程前、「南洋は満州より近い」とさえ言われ、多くの日本人が南洋諸島に移民した時代があった。(*2)しかしひとたび「タリナイ」が始まると、移住者達は兵士に代わって本国へ引き揚げ、その兵士達もまた敗戦と共に帰還していった。「コイシイワ」はそうした日本人の男と恋に落ちたマーシャルの女性が、戦争によってその仲を引き裂かれ、日本へ帰った男を慕い歌った悲恋の曲だという。

 つまり、この詠み人知らずの歌を知る日本人がいないのは当然のことなのだ。しかしここで強調したいのは、この「コイシイワ」という曲を我々が「知らない」という事実こそが、戦後世代がマーシャル諸島と日本との関わりを「知らない」こと、戦争そのものを「知らない」こと、そして戦争によって引き起こされた歴史と記憶の「断絶」を「知らない」こと……といった複層的な忘却の連鎖を象徴的に示している点だ。戦争体験世代が減少している今、第二次世界大戦中のマーシャル諸島において「タリナイ」という言葉が表した戦争は、現代の日本においては(あるいはマーシャルの次世代にとっても)むしろ「シラナイ」という言葉で表されるものかもしれない。

 佐藤冨五郎が遺した2冊の日記が遺族に届き、日記の解読が試まれ、勉氏がこうしてウォッチェを訪れるまではいくつもの奇跡のような巡り合わせがあったという。映画が切り取った物語は70年を超える壮大なストーリーの一部でしかない。そして当然ながら、マーシャル諸島と日本が持つ永い歴史と照らせば、本作が語る93分間はあまりにも短い。しかしながら、私は本作を初めて試写で鑑賞した際、少年が何気なく放ったその「知らないの?」という一言にとてつもない衝撃と目眩を覚えてしまった。日本からやってきた20代の大川史織監督とマーシャルの少年、お互いに戦争を「シラナイ」世代である2人が「コイシイワ」について言葉を交わしたこと――それは日本とマーシャルという遠く離れた土地の断絶された記憶が、不意に邂逅し、そして思いがけず接続した特異な瞬間であるように感じられた。彼らの会話の背後にある長大な文脈を想像した時、その途方もなさに言葉を失い、息ができなくなるような、押しつぶされそうになる一瞬でもあった。そんな、危うさと強度が両立する得難いラストカットであった。

 映画『タリナイ』にはいくつもの重層的なモチーフが散りばめられている。父親と息子、過去と未来、死者と生者、記憶と忘却、日記と旅、2つの土地と戦争、南国の景色と風俗……、劇場を後にしても様々に考えを巡らせてしまう。ただ、気がつくと目に浮かぶのは、マーシャルのビーチであり、無邪気な島の人々の笑顔であり、勉氏の優しい眼差しであったりする。それは恐らく作り手の人柄と眼差しの投影でもあるのだと思う。本作が、断絶した土地と人々の記憶をこれからも広く、温かく繋いでいくことを期待したい。

[脚注]

*1)米国による信託統治は、日本時代の委任統治とは異なり、戦略上の必要があれば統治領を国連の視察も排除する「閉鎖地域」とすることも可能であった。マーシャル諸島の人々は日本から米国への以降時代を「海が閉じられた時」と呼んでいるという。その後、マーシャル人は2世代以上にわたり、米国の教科書による教育と大衆文化を享受した。1986年に独立して以降も、マーシャル諸島を含めたミクロネシア諸国は「自由連合盟約」のもと、経済援助が与えられる代わりに安全保障の統括が米国に委ねられている。長らく続いた大国からの経済的、軍事的関与はマーシャルの国民から自給自足の力を積極的に奪っていった。資源と国土に乏しいマーシャル諸島は、物資や食料の供給を輸入に依存している。食生活の中心は缶詰やインスタント、レトルト食品が中心となり、生活習慣病の蔓延も深刻だという(『タリナイ』作中でも輸入食品が並んだスーパーマーケットが映される)。

*2)南洋諸島は地理的には日本との繋がりがイメージしづらいが、Google Mapを航空写真にして眺めてみると面白い。日本列島の南東の海に目をやると、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に潜り込む境界線(マリアナ海溝)に沿うかたちで海底の地形が細長く弧状に隆起していることに気づく。この地形は島弧と呼ばれ、伊豆半島からはるか南のミクロネシア連邦・ヤップ島まで続いている。伊豆諸島、小笠原諸島、マリアナ諸島はこの2800km以上に及ぶ長大な島弧の上にあり、日本と南洋諸島とはある意味で地続きに繋がっているのだということがよく分かる。日本最南端の沖ノ鳥島にいたってはマリアナ諸島最北端のファラリョン・デ・パハロス島とほぼ同緯度だ。こうして見るとある意味でミクロネシアは隣国とも言えるし、「南洋は満州より近い」と言われた時代があったというのも頷けるのではないだろうか。当時、日本からは沖縄出身者や朝鮮人を中心に多数の労働移民が渡り、1940年には島民の人口を上まわる数の邦人が生活していた。

【作品情報】

『タリナイ』
2018/日本/93/日本語・英語・マーシャル語/カラー)

監督・プロデューサー:大川史織
プロデューサー:藤岡みなみ 
配給:春眠舎
宣伝:アーヤ藍

アップリンク渋谷にて絶賛上映中!

公式サイト:https://www.tarinae.com/

参考・関連書籍:「マーシャル、父の戦場――ある日本兵の日記をめぐる歴史実践」大川史織 編、2018年、みずき書林

【執筆者プロフィール】

宮本 匡崇(みやもと・まさたか)
88年生まれ、フリーランスライター、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。映画美学校批評家養成ギブス第二期修了。映画祭スタッフ、映画評執筆、自主映画制作・宣伝(Web/SNS)、クラウドファンディング企画等、幅広く映画に関わる。「ことばの映画館」「スピラレ」ほかで執筆活動中。青春映画愛好。宣伝『ヴァンサンへの手紙』1013日より映画全国順次公開。