【Review】宝物が生まれる瞬間ーー『旅するダンボール』 text 福井さら

 

 様々な年代の人々が、それぞれの「宝物」についてはにかみながら説明している。そんな冒頭からこの「旅するダンボール」は始まってゆく。彼らは各々なぜそれが宝物なのかを聞かせてくれるのだが、ものが宝物になるには、その人にとって特別なストーリーがほぼ必ず存在している。

 「旅するダンボール」は簡潔に述べれば、拾い集めてきた段ボールで財布を製作する神奈川出身のアーティスト、島津冬樹さんの活動を追ったドキュメンタリー映画である。しかしそれだけに留まらず、本作は消費と生産を繰り返す現代社会に生きる私たちが忘れてはならないテーマといった、いくつかの気づきをも引き出している。ある一つのダンボールとの出会いを契機に、そのダンボールの背景にある様々なストーリーをロードムービー的に展開しながら、島津さんの活動の重要な意義を環境問題への取り組みとして提示する構成も秀逸だ。 

 島津さんが背負うオレンジと黒の大きなリュックには、折りたたまれたダンボールが数枚入っていて、さらに両腕にも、幾段にも積みあがった大小のダンボール箱がある。それを器用に持ったまま、視線は路肩や青果場に積まれたダンボールから離さず、青果場に静かに佇むダンボールの中を行ったり来たりする島津さんの顔は、お洒落なデザインのダンボールを見つけては嬉しそうにほころぶ。島津さんの脳裏にはダンボールの辿ってきた道が描かれ、目にはすべてが新しいプロダクトの素材となり得る大切なものだと映っているのだろう。日本のダンボールにはキャラクターが多いことなど、島津さんの口から語られるダンボール豆知識にも、思わずハッとさせられる。

 さわやかな日差しの下、自身について語る島津さんの表情は常よりもすこし緊張して見える。島津さんがなぜダンボールで財布を作り出したのか、その目的が「無い財布の代用品」から「ダンボールを(ごみではなく)プロダクトとして見ること」ひいては「新しい価値を生み出すこと」に移り変わるのが印象的だ。

 特に国内・国外でワークショップを行った際、キャンプ場でダンボール名刺入れと露店のチップスが交換されるシーンでは、明らかにダンボールが別の価値(ここでは金銭と等価)を得ることが提示されている。各々が選んだダンボールに真剣に取り組み、出来上がった名刺入れを手にした参加者は、皆嬉しそうな達成感のある表情をしている。

 島津さんの作る財布はダンボールの片面を剥がしたり、薬剤をかけて表面を整えたり、厚みの違う段ボールを組み合わせたりと、多くの手間をかけ制作される。

 ある日、島津さんは一つのダンボールと出会う。それは薄い黄緑色の地に、温かみのある茶色で文字とイラストが描かれたじゃがいものダンボール箱だった。現代のゆるキャラのような造形とは違いコミック風のキャラクターは古いデザインで、レタリングとキャラクターのデザインは別の人物が手掛けたのではないか。男性だろうか女性だろうか。島津さんはダンボールの軌跡に想像を巡らせ、生まれ故郷にダンボール財布を届ける「里帰りプロジェクト」を展開していく。


 ここで面白いのは、島津さんが時折ダンボールの持つメディアに近い性質、サインやキズを通じてストーリーが「刻まれる」という性質に触れていることだ。島津さんの「里帰りプロジェクト」はこうしたダンボールの記録する性質を、実際に東京から長崎、熊本と移動していき、ダンボールのデザインを依頼した社長さんや、ダンボールの印刷に携わる人々との交流を経てついに、20年前にじゃがいものキャラクターと文字をデザインしたダンボールの生みの親にたどり着くことで示して見せる。

 同時にこの行程では、ダンボールを作ること、ダンボールを使うことを支える、島津さんとはまた違った形でダンボールに関わる人々が紹介される。例えば、ダンボールの生産工場では、現在はほとんどがシリコン製になったという印刷用の版を手彫りで制作していた男性が登場する。彼の言葉からは時代と技術の移り変わりへの哀愁が感じられる。しかし一方で本編に登場するダンボール専用に作られた印刷インクからは、時代を経ても変わらないデザインへのこだわりが垣間見える。

 本編終盤では、島津さんが探し出したデザイナー本人の自宅を訪ね、奥さんを含めた4人の前で「里帰りプロジェクト」について説明をしたのち財布を手渡すのだが、このシーンを経てこの映画への理解、印象は大きく変貌する。渡されたデザイナーだけでなく全員が大いに喜ぶのだが、奥さんはひとり泣き笑いに涙をぬぐいながら、財布を手に取り幾度も触って確かめる。そして途切れ途切れの言葉から、視聴者も島津さんも知らなかった彼ら夫婦の物語が明かされる。つまり結果として、島津さんが出会ったダンボールで作られたひとつの財布は、本来のプロジェクトの目的を超え、全く意図しなかった相手の、特別なストーリーを表象する「宝物」になったのだ。

 この映画の優れた点は、映画冒頭で示されたように「ものが宝物になる」その瞬間に我々を立ち会わせたこと。そして同時に、作られたものが作り手の意図しなかった影響を生み出すという創造の可能性を提示したことにもあるのではないか。

 世の中には島津さんのようにダンボールで財布を作る人もいれば、空き瓶を演奏する人やお菓子の袋で服を作る人もいる。身近にある積みあがったダンボールは我々が生きる消費社会の可視化でもあり、この映画には確かにそうした警鐘も含まれているだろう。だがそれ以上に、様々な物語を経て誰かの宝物が生まれる瞬間が、この映画の大きな魅力となっている。

 コンビニのビニール袋や着なくなった洋服など、確かに私たちの日常では日々何かしらの物が捨てられている。だが上映後に映画館を出て、身近に溢れる様々な物を眺めた時、私たちはそれらに自分、あるいは誰かの「宝物になる可能性」を見いだすかもしれない。この映画はそうした発見の、確かな支えとなってくれるだろう。

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【映画情報】

『旅するダンボール』
(2018年/91分/日本)

製作 ピクチャーズデプト
監督・撮影・編集 岡島龍介
出演 島津冬樹
ロサンゼルスユニット撮影 サム・K・矢野
VFX 松元遼
音楽 吉田大致
ナレーション マイケル・キダ
プロデューサー 汐巻裕子
配給 ピクチャーズデプト

オフィシャルサイト
http://carton-movie.com/

YEBISU GARDEN CINEMA/新宿ピカデリーほか全国公開中

 

【執筆者プロフィール】

福井 さら(ふくい さら)
1994年生まれ。北海道出身。大学では芸術学を専攻し、学部時代に携わった上映会でドキュメンタリー映画に興味を持つ。大学院に在籍し、ときおり現代美術のライターとして活動。