伝説の芸術家ヨーゼフ・ボイス、そして日本
芸術家ヨーゼフ・ボイスに関する必見のドキュメンタリー映画が公開される。印象深い編集を通じて伝説的な芸術家の創作の核心に迫り、その懐にはいっていくことができる。
ボイスは日本で人気の世界的アーティストだった。作品ではその作品や活動が次々に紹介されていく。のっけから代表作の一つのスケールが大きい「7000本の樫の木プロジェクト」(ドキュメンタ7,1982年)が取り上げられる。このプロジェクトの為に彼は来日し東京藝術大学の体育館で1000人の学生たちと対話集会を行った。自らの自然運動の推進の為にスーパーニッカのCMに出演したことは懐かしい逸話だ。日本でこのプロジェクトの資金集めが行われたことも紹介されるがこのことは我々にとって重要である。
コヨーテと一週間暮らしたことで語り草の「私はアメリカが好き アメリカも私が好き」(1974年)も登場する。ボイスは彫刻の先生だったが、アクション・アーティストで同時代の芸術運動であるフルクサスに理解を示していた。ハチミツ使った「蜜蜂ポンプ」(1966)、蜜蝋を使った「脂肪椅子」(1966)も紹介されていく。その理論的背景には同じように蜜蜂に関心を持っていたシュタイナーなどドイツのカウンター・カルチャーがあったことも示される。
芸術家の素顔
この謎めいた彫刻家の素顔が描き出される。ボイスの若い日々がでてくる。裕福な家庭で育ったが親の愛は得られなかったこと、しかしむしろそれを誇りに思っていたことがインタビューで語られる。
ドイツはかつてナチスを生みだした。芸術ではこの時代に「退廃芸術展」が行われ、社会学者ベンヤミンやアドルノ、映画監督のフリッツ・ラングらは亡命した。若きボイスは空軍を志願する。しかし1944年にソ連軍によって飛行機が撃墜され負傷、遊牧民のタタール人たちの看護を受ける。この時に治療で使われたフェルトや脂肪が、彼にインスピレーションを与え、作品に使う素材にも多く登場するのは有名な逸話だ。そして戦後、美術大学で学ぶようになる。
インタビューが解き明かしていくのはその後のあまり知られていない情報だ。うっすらと書籍で示されていたことが映像記録を通じて誇張もなく浮き上がってくる。ボイスはこの頃は10年ほど表に出ななかった。厳しい日々の彼は鼻は折れていて、頭蓋骨に骨折があったという。医者には治療不可能といわれていた。だが、同時に温かいオーラがあった。重度の鬱になったり、放浪したり服を着替えないで過ごしていたこともあった。
やがてアクションを始め「死んだウサギに絵を説明するには」(1965)の作品映像が紹介され新しい芸術を探求する日々がはじまる。伝説の謎を埋めその後の活躍をつなぐ編集がうまい。例えばボイスがいつも帽子を被っていたことなどはこの芸術家の肖像を語るうえで欠かせないことなのだが、頭の傷と重ねていき、真相をうっすらとつながる。
ナチスドイツ時代の兵隊体験がやがて国家と個人というこのアーティストが考えぬいてきた問題系と連なり、やがて新しい芸術の探求をめぐるエネルギッシュな足跡と並列するように展開していく民主主義、そして新しい経済ということが描き出されることも興味深い。重要な素材のコアを貫きながら無数の軌跡が描き出されていく。
ディテールよりはボイスの芸術の本質、人物の本質を浮き彫りにし、その中で脱神格化された人間像を描こうとする編集だ。何かと神秘化・神格化されやすいこの芸術家の生の姿を“紐解いてくれる。
ボイスは芸術活動から教育制度への疑問を持ち、やがて自由国際大学を設立する。芸術と政治をめぐるこの芸術家にとって重要な下りだ。小説家ミハエル・エンデとの対話も話題となり出版されている。映像資料を通じエコロジーで知られる緑の党での活動とその顛末がでてくる。
マルチメディアと記録
監督のアンドレアス・ファイエルは山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された「ブラック・ボックス・ジャーマニー」(2001)の監督でドイツ映画界の新進だ。映画や舞台の脚本執筆活動を重ねながら、ドイツ映画テレビアカデミーで教鞭をとっている。本作はファイエル監督の幅の広さを示し、その存在を強固にする作品といえる。
彼は若き日にボイス本人に会い触発された横顔も持つ。彼は2000年代の後半にボイスの言葉を再発見する。そして30年以上前に亡くなってから、衰えることなく通用する芸術家を取り上げ、「手元に集めた古い記録映像を今の観客に理解できる映像の言語に翻訳して見せる」ということで過去の映像アーカイヴを調査する。300時間に及ぶ映像と同じく300時間の音声、50人近い写真家の2万枚近い写真を調査した。結果、家族の協力を得るようになった。当初、正攻法の伝記映画をめざしたが、アーカイヴ素材が筋立てに不十分なところにインタビュー素材を使っている。しかし、本人の映像や言語に勝るものがないという結論に至り、オープンで複合的な物語スタイルに転換する。
フィルムのリールの中から1カットを選ぶとの中からエピソードがでてくるといった視覚文化時代の編集だ。全体像と1つ1つのエピソードをつなげていく、単にいろいろな記録資料をつなげていくわけではない。そのあたりの技術が見事だ。その中でつなげていくのが、芸術家としてのテーマであり、個人としての脱神格化だ。ちょっとしたエピソードや枝葉末節にはとらわれず本筋をじっくりと煮詰めていくような映像だ。一考に値する作品といえるだろう。
マルチメディア時代の今日、歴史研究でもオーラルヒストリーなど記録収集を通じ細かい記述を可能にする手法が流行している。歴史家のカルロ・ギンズブルクらによる細部を徹底して記述するミクロストリアのような記述の細かさを伴った手法も再考されている。そして電子メディアによるマルチメディア・ヒストリーというジャンルも欧米に出てきている。
電子空間では文字メディアから映像メディアまで、ハイパーテクスト状のリンクを通じ、情報を自由に扱うことができる現代だ。ドキュメンタリーというジャンルが注目を集めるのも、演劇・映画をみに実際に劇場・映画館へ足を運ぶ観客が減っていく時代の最中とはいえ、資料性の高いコンテンツに注目が集まっているということが背景にあるかもしれない。このドキュメンタリーは映像で伝説的な存在のヴェールに挑むようなところがある。中心的な概念、作品をリンクし作家のユニバースを表現し等身大の編集というべき仕上がりだ。そしてその編集はウェブ時代の情報編集も意識しているはずだ。
表現と政治、環境と表現の為に
しかしこのドキュメンタリーはボイス以後を生みだす、21世紀芸術の担い手たちにとって良いデータになるのではないか。かつてボイスやウォーホールに次いでアメリカで著名になった。そして同じように20世紀のメディア文化の中でアーティストとして発言重ねた。現代のメディア環境は当時とさらに一変している。
ボイスが芸術を通じて探求した「環境」や「表現と政治」というテーマは震災後の日本において当時よりさらに強い意味を持ってくる。現代日本の中でどう実践するかが問われる。現代美術ではDon’t Follow the Wind展のような企画も話題になっているが、各界で現在進行形をまさに模索している。
ボイスという存在は常に新しい芸術を求めようとする。そしてそこから新しい経済や社会をもとめている。その姿は20世紀の過去の物語ではなく、新時代を生きるあらゆるジャンルの人々にメッセージとなるはずだ。
【映画情報】
『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』
(2017年/ドイツ/107分/原題 Beuys)
監督:アンドレス・ファイエル
出演:ヨーゼフ・ボイス、キャロライン・ティズダル、レア・トンゲス・ストリンガリス、フランツ・ヨーゼフ・ヴァン・デル・グリンテン、ヨハネス・シュトゥットゲン、クラウス・シュテーク
字幕翻訳:渋谷哲也
配給・宣伝:アップリンク
2019年3月2日(土) アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺、横浜シネマリン
ほか全国順次公開
【執筆者プロフィール】
吉田悠樹彦(映像・上演芸術批評、現代美術)
これまで「CINRA」・「美術手帖」・「RealTOKYO」などネット、美術メディア、新聞に執筆。主にメディアアートとの接点から現代美術に入る批評活動のみならずP3 art and environmentによる metaTokyoプロジェクトでmeta都民カフェとして匿名グループアーティストとしてアートカフェを運営したことも。テッド・ネルソンとザナドゥ・プロジェクトのアシスタント。Prix Ars Electronica Digital Communities部門アドバイザーも務めた。若き日より岡田隆彦・吉増剛造や古橋梯二ら美術・文芸関係者と交流。
協力ドキュメンタリー作品に米国の音楽家・俳優のルーツを描いたPBS「Finding Your Roots Fred Armisen」(2017)。ドキュメンタリー映像史上に残るリーフェンシュタールも論じた著作も日英である。
写真はすべて© 2017 zero one film, Terz Film