【連載】「視線の病」としての認知症 第7回 クリスティーンを待ちながら text 川村雄次 

クリスティーンのような「認知症と診断された本人が、自分の病気について語る」というのは、当時の「常識」に反しているだけでなく、医学やケアの専門家のやっていることに疑問を投げかけ、神経をさかなですることで、手強い反論があるだろうことが予想された。そうした反論に答える根拠を得ることは、報道機関としての信用に関わる重要なことだった。

私は、認知症について可能な限り本を読んだが、「出来なくなる」ことについて書いたものはあっても、「なぜ出来るのか」を書いたものとは出会わなかった。そこで、直接聞いて回ることにした。

その一人が、石橋さんとともに「小山のおうち」を始めた精神科医 高橋幸男さん(エスポアール出雲クリニック院長)だった。

「なぜクリスティーンは話すことが出来るのでしょうか?」

私は、脳についての説明を予想していた。認知症というのは脳が病気に侵されることによって起こる状態で、侵される部位によって症状の出方が違うが、クリスティーンの場合、言語に関する部分が温存されているのだろう、というような。ところが、高橋さんの答えは全く違うものだった。

「認知症の人はしゃべりますよ。私の外来に来る患者さんのほとんどはべらべら話します。」

「え、そうなんですか?」

私は、認知症になると言葉を失うものだと思いこんでいたのだ。だが、確かに小山のおうちに集まるお年寄りもたいていしゃべっていた。

「ただ、話す内容が家族の認識と食い違っているためにトラブルになって来ることが多い。でも、お一人お一人の話を聞いているとつじつまがあっていて、それだけに問題が起きてくる。」

「書くことについてはいかがですか?」

「海外ではクリスティーンさんのように本を書く人が何人か出てきています。小山のおうちでもお年寄りが手記を書いていることは知っていますね?もの忘れがあっても、瞬間瞬間に書いていけば、書けるのです。」

「では、どうして日本に本を書く人がいないのでしょう?」

「ぼけを恥ずかしいと思って隠すからだと思います。呉秀三を知っていますか?明治時代の日本の精神医学の草分けで、東大の精神科の教授でした。この人の有名な言葉に、『わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』というものがあります。これは主に統合失調症について言った言葉ですが、認知症についても同じだと思います。」

「つまり、認知症だから話せないというのは、『オーストラリアやアメリカじゃなくてこの邦に生まれた不幸だ』ということですか?」

「その通りです。」

私は頭をガツンと殴られた気がした。

だが、なおも半信半疑だった。

精神科医 高橋幸男さん

また、私は、2月に一緒にオーストラリアに行った石倉康次さんにも同じ質問をした。石倉さんは広島大学で福祉社会学を講じる助教授で、小山のおうちに通って、石橋さんや高橋さんと共著で認知症ケアについて本を出していた。認知症ケアを研究する石倉さんは、クリスティーンが語り、書くことについてどう受け止めたのだろう?

私は、国内外で多くの認知症の人たちを見てきた石倉さんがどうしてクリスティーンが話せて書けることにそれほど疑問を持たないのか、聞いてみたかったのだ。

石倉さんは、「バリデーション」という考え方について教えてくれた。

それは、アメリカのケアの現場での工夫から編み出された、認知症の人とのコミュニケーション法なのだが、認知症の人が言うことすることを、「間違っている」と指摘し矯正するかわりに、その人の言うことすることを肯定する。その人と同じ目線で考えて話し、行動する。そうすると、暴言を吐いたり暴れたりといったことが減り、生き生きと表情豊かに過ごせる時が増えていく。病気に侵されてもその人に残っている力が最大限発揮されるようになるというもの。

小山のおうちでもそういうことが起きているし、クリスティーンについても主に夫のポールが同様のことを徹底的に行った結果、あのようなことが起きているのではないか。それをもっと知りたいし、見てみたいというのである。

高橋さんが言う「この邦に生まれたる不幸」の真裏を行くような考え方だった。

医学界からの批判に答える根拠は出来たが、だが、そんなに簡単なことなら、とっくに世界中で行われているのではないか?私はバリデーションの本も読んだが、やはり、介護施設での話とクリスティーンの話には隔たりがあり、完全には腑に落ちなかった。

クリスティーン宅で話を聞く石倉康次さん

私はさらに勉強を続けたが、半信半疑のままだった。

そして、私の頭の中に湧いてきたのは、クリスティーンの来日が近づくとともに、「だからこそドキュメンタリーの出番なんだ」という思いだった。

クリスティーンの著書を読んでも、彼女が壇上で語るのを聞いても、人々の持っている「認知症」のイメージとあまりにかけ離れていて、結びつけて考えることが難しいかもしれない。だが、ドキュメンタリーならば橋渡しをすることが出来るのではないか。

頭脳明晰で流暢に話すクリスティーンは、全く認知症に見えないが、それでも彼女の頭の中で異常なことが起きているという証拠、つまり「症状」を、映像と音とで捉え、それに対して工夫や努力をすることで話せていることを示す。それとセットにして初めて彼女のメッセージが伝わるのではないか。

専門家でも分からないこと、知らないことだからこそ撮る理由があり、見る理由があるはずだ、と。

そうして迎えた2003年10月31日。

関西空港の手荷物受取場の出口で、私はクリスティーン夫妻が出て来るのを待ち構えていた。撮影、音声、二人のスタッフとともに。そして、石橋さん、石倉さんたちとともに。

クリスティーンは出てきて直ぐ、私たちを見つけて、オーストラリアで初めて会った時に聞いたのと同じ、「あー」という高い声をあげた。

そして、一人一人とハグ。

私のことを憶えているだろうか?

クリスティーンは私を指さして言った。

「I remember your fish dance.(あなたの魚踊りを憶えているわ。)」

私たちが想像だにしなかった10日間の始まりだった。

 (つづく。次は41日に掲載する予定です。)

【筆者プロフィール】

川村雄次(かわむら・ゆうじ) 
NHKディレクター。主な番組:『16本目の“水俣” 記録映画監督 土本典昭』(1992年)など。認知症については、『クリスティーンとポール 私は私になっていく』(2004年)制作を機に約50本を制作。DVD『認知症ケア』全3巻(2013年、日本ジャーナリスト協会賞 映像部門大賞)は、NHK厚生文化事業団で無料貸出中。