【Review】一万の砲弾、一万の建築ーー『セメントの記憶』 text 萩野亮

「中東のパリ」と呼ばれた街のいま

一万の砲弾が降り注いだ街で、僕はジョルジュを待っていたーー(*1)。

ラウィ・ハージの小説『デニーロ・ゲーム』は、このような書き出しで始まる。30カ国以上で翻訳されたこの物語は、永遠に続くかのようなレバノンの長い内戦下の雰囲気をもっともよく伝える書物としてつとに知られている。中東の小国レバノンでは、日本でいうなら岐阜県ほどの面積に、内戦開戦時(1975年)には276万人あまりが暮らしていた。そのような国土に「一万の砲弾が降り注いだ」史実を、わたしはうまく想像することができない。

1990年、シリアの介入によって15年に及んだ内戦が終わり、レバノンは「パックス・シリアーナ(=シリアの下での平和)」をわずかなあいだ享受した。そうして始まったのは、「一万の砲弾」によって傷ついた都市を再興するための、いわば「一万の建築」である。それは、2010年代末のいまなおつづいている。群青の地中海に面し、かつて「中東のパリ」とも呼ばれた首都ベイルートは、内戦終結後のインフラ整備がひとしきり整うと、2000年代ごろよりふたたび観光産業が脚光を浴びはじめた。高級ホテルやマンション、ショッピングモールなどの開発が進められ、「中東の高級避暑地」として湾岸アラブ諸国から多くの観光客が訪れているという(*2)。

ジアード・クルスーム監督の映画『セメントの記憶』は、リゾート地化しつつあるさなかのベイルートで、高層ビルの建築現場に従事する労働者のすがたを記録している。地上数十メートルはあろうかという高所で黙々と働く彼らは、隣国シリアから逃れてきた亡命者である。周知の通り、2011年の「アラブの春」に端を発したシリア内戦は、あまたの死傷者とあまたの難民を生んだ。戦火を逃れて異国へ渡った者は数知れない。一万の砲弾は、今度はアレッポに、ラッカに、ダマスクスに、降り注いだ。

この映画は、こうした背景をいっさい説明しない。画面に映されるのは、高層の建築現場における淡白な無言の労働であり、機械によって折り曲げられる鉄筋や捏ねられるセメントの無骨なクロースアップであり、あるいはその背後に広がるベイルートの美しい街並みである。

こうした映像の連鎖に、ある男のモノローグが重ねられる。語られるのは、やはりベイルートでの出稼ぎ労働に身をやつしていた父の記憶である。こわばった父の手からは、いつもセメントの匂いがしたーー。海を知らなかった彼にとって、ベイルートという異国の都市は父の記憶と固く結びついており、そして父のイメージはセメントの匂いなしには想起しえない。こびりついたセメントの匂いは、いまはもう、彼のものである。

このモノローグは、じつは虚実がないまぜになっている。劇場用パンフレットによれば、実際に労働者から聞いた話に、監督のジアード・クルスームがフィクションを交ぜて再構成したものであるという。彼は「ドキュメンタリー」というカテゴライズには関心がないと言い、新しい映像言語の獲得こそが重要なのだと語る(*3)。あえていうなら『セメントの記憶』が採用するナラティヴ(話法)は、映像と音響とモノローグによる「詩」であり、イメージの喚起力にすべてが賭けられている。

沈黙と徒労

カメラはただひたすら労働者たちの反復の日々を切り取る。その労働の背後にひろがる湾岸の光景からすれば、15年にわたる内戦で同じ国の者同士が殺し合った歴史など嘘であるかのようである。けれども、市街地から少し車を走らせれば、なかば崩壊した建造物の遺構や、蜂の巣状の弾痕を晒した外壁がいくつも認められる。少なくとも10年前はそうだった。見てきたわけではない。いま記述したのは、『私は見たい』という2009年のフィルムに映されていたベイルートの風景である。東京フィルメックスで見たこのレバノン映画が、わたしはずっと忘れられないでいる。

ジョアナ・ハジトゥーマとカリル・ジョレイジュの共同監督による映画『私は見たい』は、レバノンを代表するアーティストのラビア・ムルエ(*4)が出演した一種のセミ・ドキュメンタリーである(どのように分類してよいかわからない)。カトリーヌ・ドヌーヴが本人役で出演し、ラビア・ムルエもまた、彼女にベイルートを案内するアテンド役の彼自身として登場する。レバノンの首都に降り立ったフランスの大女優は、ほんの20年前まで戦われていた内戦の傷跡を「見たい」という。そうしてムルエは、彼女を乗せて車を走らせながら、いくつもの戦禍の痕を見せてまわる。

けれども、みずから「見たい」と告げたはずのドヌーヴは、崩れ落ちた建築や数かずの弾痕を見ても、まったく何の反応も見せない。ことばを失い、絶句しているのではない。ほとんど不感症めいた鈍重さで、彼女はただ立っている。ドキュメンタリーを偽装したカメラもまた、その鈍重さをただ記録しつづける。おそらく彼女が「見た」かったはずの何かと、実際の光景とは微妙に、しかし決定的に、異なっていた。その齟齬こそが、彼女を黙らせている。

『セメントの記憶』における移民労働者もまた、労務に身をやつしながら、ひたすら黙り込んでいる。彼らは祖国について語ることを禁じられている。だからインタビューなどはできない。カメラができるのは、その「強いられた沈黙」を撮りつづけることだけである。フィクショナルなモノローグもまた、こうした状況においてなんとか採用しえた方法だったといえる。

この映画に漂っている基本的な気分は「徒労」である。それは、高さを競うように乱立する高層ビルの建設労働が、仮にレバノン経済の発展を誇示しさらなる伸長を生むのだとしても、当の労務に携わるかれら自身を決して富ませはしないという階級的現実が強いる徒労感であり、またどれだけ威容を誇る高層建築であったとしても、いつ破壊されるともしれないという不穏な中東情勢がもたらす徒労感である。

基本的人権を奪われ、何もかもが徒労に終わることを知りながら、なお彼らは「ここ」で働く以外に口に糊する機会がない。日々は反復されるのみであり、かつその反復はいつ切断されるとも知れない。地下の穴ぐらのような場所で寝起きし、地上とは隔絶した高層でセメントを運んでは、ドリルを握る。その地下と天上の、シュールな落差。

地中海をはるかに望み、その沿岸に林立するベイルートの美しい街並みは、高層ビルの建設現場からよく見える。けれども、建設のさなかにあるビルの、まだガラス窓が嵌め込まれていない矩形から望まれる都市風景は、男たちにとってはつねに「借景」である。ほかでもない彼ら自身がその風景の一部を造っているにもかかわらず、なお絶対的に無縁な風景であるしかない。その事実が、彼らに現実感を喪失させ、黙らせる。リアルなのはセメントの匂いとその感触、その重さだけだとでもいうように、カメラはそれらを接写する。

高所に足がすくむような人間はすでにひとりもいない。安全帯も付けずに飄々と梯子を登ってゆく男のすがたに、観客さえも感覚が麻痺してくる。いや、わたしたちの感覚が麻痺しているのは、いまに始まったことではないだろう。「中東」をニュース映像か日本語の書物によってしか知らないわたしのような観客は、もはや彼の地でどれほどの爆撃があろうとも、ほとんど「中東の日常」としてしか認識していないところがある。そして、そのような自分の感受性を恥じることすら怠ってきたのだと言わなければならない。『私は見たい』のカトリーヌ・ドヌーヴが、その豊満さを増した体躯で示していた鈍重さは、無感覚なわたしたちのグロテスクな鈍重さそのものであったことを、あらためて思い起こさずにはいられない。

地上なき日々

地下で暮らし、中空で働く。移民労働者の彼らは寄って立つべき「地上」を文字通りに欠いている。男たちが「地面」の存在を強烈に意識するのは、祖国に空爆が着弾するときではなかったか。あるいは戦車が瓦礫と化した灰色の街路を進み、建造物をこれでもかと破壊してゆく。『セメントの記憶』が呈示するシリアやレバノンの「地上」のイメージとはこのようなものである。建てられたものを壊し、壊されたものをまた建てる。また建てられたものをまた壊す……。一万の砲弾、一万の建築。悪夢のようなループが、中東を覆っている。そして事態はむろん当の国と地域に限られたものではない。

かつてオサーマ・ビン・ラーディンは、アメリカ同時多発テロの犯行声明ともいうべきビデオ・メッセージにおいて、こう語っていた。

私を直接的に動かしたのは、1982年に米国がイスラエルのレバノン侵攻を許した事件である…(中略)…ベイルートの高層ビルが破壊されるのを見て、アメリカの高層ビルを破壊してやろうと思いついた。そうすれば、我々がどんな思いを味わわされてきたかが彼らにもわかり、アラブの子供や女を殺すことをやめるだろうと思った(*5)。

高層ビルの「建設」は経済力を誇示する恰好の象徴的行為であり、いっぽう高層ビルの「破壊」は武力を誇示する恰好の象徴的行為である。「力の誇示」という限りにおいては、建設も破壊も、じつは同じことなのではないのか。『セメントの記憶』の労働者たちが余儀なくされている徒労は、「建設」という行為そのものにひそむ権力性を、静かに告発しているのかもしれない。

『セメントの記憶』は、強いられた砲弾と強いられた建築、そして強いられた沈黙を、映し出す。結末部分において、ミキサー車の後部に設置されたカメラがゆったりと回転しながら街路をとらえるとき、ベイルートは垂直の発展よりも、螺旋状の混迷とともにある。

 


*1 ラウィ・ハージ、藤井光=訳『デニーロ・ゲーム』、白水社、2011年
*2 土屋一樹「内戦後のレバノン経済」(黒木英充=編『シリア・レバノンを知るための64章』、明石書店、2013年)
*3 ジアード・クルスーム・太田信吾「対談」(『セメントの記憶』劇場用パンフレット)
*4 ラビア・ムルエは、日本ではおもに舞台芸術の作家として紹介がなされてきた。2013年の「フェスティバル/トーキョー13」では、舞台作品『33rpmと数秒間』と『雲に乗って』、映像作品『ピクセル化された革命』の3作品が招聘され、先日開催された「シアターコモンズ」では、レクチャーパフォーマンス『歓喜の歌』が上演された。個人的にずっと注目している作家である。
*5 安武塔馬『レバノン 混迷のモザイク国家』、長崎出版、2011年

【作品情報】

『セメントの記憶』
(2018年/ドイツ、レバノン、シリア、アラブ首長国連邦、カタール/アラビア語/88分/英題 TASTE OF CEMENT

監督・脚本:ジアード・クルスーム
撮影監督:タラール・クーリ 音楽:アンツガー・フレーリッヒ
日本語字幕:吉川美奈子|配給:サニーフィルム

写真はすべて© 2017 Bidayyat for Audiovisual Arts, BASIS BERLIN Filmproduktion

3 月 23 日(土)ユーロスペースほか全国劇場ロードショー!

【執筆者プロフィール】

萩野亮 Hagino Ryo

1982年生れ。映画批評。最近の仕事に、「労力について」(『『カメラを止めるな!』ファンガイド』)、「椅子について」(『ユリイカ』2018年9月号 特集・濱口竜介)、「ライオンとは誰か」(『飢えたライオン』パンフレット)など。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー 現代日本を記録する映像たち』(フィルムアート社)がある。
公式サイト https://www.haginoryo.tokyo/