【Review】 狩り、捌き、食う。グリーンランドのシンプルな生活 ―― 『北の果ての小さな村で』 text 長本かな海

グリーンランドと聞いてすぐにイメージが浮かぶ人は少ないと思うが、私が思い出すのは昔観たグリーンランドに魅了され移住したイタリア人のドキュメンタリーだ。そのイタリア人は「グリーンピースが鯨漁やアザラシ漁に抗議をしているが、見てわかる通りここでは野菜が育たない。猟をやめて何を食べればいいんだ」と言った後「これが僕の家の庭だよ」と冗談を言いながら、かろうじて草がはえている自宅前の地面を指差して笑った。

『北の果ての小さな村で』は俯瞰して見た美しいグリーンランドの映像から始まる。氷と岩でできた白い大地に脈のように入り込む青い海、点在する流氷。グリーンランドと言う名前とは裏腹に、一年を通して緑は少なそうだ。自分の住む環境とはあまりにも違う現実を見ながら、あらゆる場面で「確かに野菜は育たないだろうなー」というどうでも良い感想が頭の中に浮かぶ。

主人公は祖国デンマークで家業を継ぐ決心がつかず、エキゾチックな地を求めグリーンランドへの赴任を希望した新米教師だ。赴任先の候補地の中で、迷いなく選んだのは人口80人の極寒の村チニツキラーク。1年で戻ってくると父には約束し、焚き火を囲んだ友人たちとの別れも済ませ、目的地へと向かう。何メートルもある巨大な氷の塊の間を小さなボートですり抜けた先にその村はあった。海沿いの真っ白な土地にポツポツと家が建っている、見るからに野菜が育たなそうな小さな村だ。最初は遥々やって来た青年を歓迎したかに見えた村の人々だが、「デンマーク流」の思考で自分たちに接する主人公をなかなか仲間に入れようとはしない。

結局最後には村の文化を受け入れることで彼も受け入れてもらえるのだが、それまでの物語の要となるのが教え子である8歳の男の子、アサーだ。アサーの夢は将来猟師になること。一緒に住んでいる祖父母は、厳しいグリーンランドの土地で生きていく術を優しく孫に伝えていく。アザラシの革を噛みながら柔らかくして犬のハーネスを作ったり、獲物を捌く際の手際はかなり熟練したものだ。それもそのはずで、この映画の登場人物は全て本当にチニツキラークの住人だという。村に惚れ込んだ監督が、デンマーク人の先生が赴任してくるという話を聞き、登場人物を全て本人が演じるというこの半ドキュメンタリー的な映画を撮るに至ったのだ。

彼の地での生活はシンプルだ。狩り、捌き、食う。たとえば、私たちが肉や魚に触れる時に感じるちょっとした抵抗感は彼らの手つきからは感じられない。私たちの身体の肉と、食いものとなった獲物の肉は同じ肉であり、その間に隔たる壁は存在しないのかもしれない。アザラシを捌いてバケツに入れるとき、死んだ獲物を扱うとき、私たちであれば手袋でも着けてしまいそうだが、彼らは素手で行う。それらのシーンを見ていると、自分の手にもあの生肉の塊が持つヌルヌルした感触や、予想以上に重たい、生き物の筋肉のズッシリとした重みが想起される。

生々しい肉の存在は映画の中盤、アサーの祖母によって語られる、土地に伝わるものであろう物語にも登場する。昔々ある村で猟に出た猟師たちが次々と姿を消していった。村の食料も底を尽きてきて、残った小さな男の子は状況を確かめるためにカヤックに乗って旅に出た。すると遠くから名前を呼ぶ声がする。呼ばれるままに声の主である老婆の家に入ると、床には人骨が散らばっており、壁には村から居なくなった人たちの首が並んでいた。老婆はダークベリーが盛られた皿を持ってきて男の子に差し出すが、そのてっぺんには切断された人間の手が乗っている。男の子はその手を掴んで老婆に投げつけながらこう言い放つ「僕は食べないぞ!これは人間の手だ!」。

グリーンランドの極地での飢えが実体験としてかなり詳細に語られているのが、去年出版された角幡唯介著『極夜行』だ。これは冒険家である著者が、グリーンランドにある世界最北の村からカナダの対岸を、極夜の時期に犬1匹だけを連れ80日間旅した記録である。彼は終始暗闇の中を行く過酷な旅の最中、橇を引いてくれる犬、孤独感を紛らわせてくれる犬、そして最終的な手段としての「食料としての犬への自身の全面的な依存を感じる。「生きることが最上位の徳目である生と死のモラル」で営まれるイヌイットと犬の関係は、人類が犬と共存するようになった原初の相互依存の関係性を現代に残しているのではないかと語る。(※1)

同じイヌイットでも海を挟んだカナダ側に住んでいるイヌイットは政府の手厚い援助により、かなり近代化した生活を送っているようだ。生きるために必要不可欠だった犬はペットとなり、移動にはスノーモービルを用いる生活。そこにもグリーンランドに残るような生々しい生の接触は残っているのだろうか。気候変動に左右されやすい土地柄、気温の変化は狩猟にダイレクトに影響する。現在も温暖化により、南部ではジャガイモなどの作物が作れるようになってきているようだ。清潔さや便利さを求め続けた結果、生の実感を得ることが中々できなくなってしまった人々から求められたり、否定されたり。それでもアサーは祖父母からの教えを胸に、グリーンランドの地で生きる。

(※1)角幡唯介 『極夜行』 文藝春秋,2018年,p.251

写真はすべて(c) 2018 Geko Films and France 3 Cinema

【映画情報】
『北の果ての小さな村で』
(2017年/フランス/グリーンランド語、デンマーク語/94分/カラー/5.1ch/1:2.39)
原題:Une année polaire(英題:A POLAR YEAR)
字幕翻訳:伊勢田京子

監督・撮影・脚本:サミュエル・コラルデ
脚本:カトリーヌ・パイエ 
音楽:エルワン・シャンドン 
プロデューサー:グレゴワール・ドゥバイ
出演:アンダース・ヴィーデゴー、アサー・ボアセン、チニツキラーク村の人々
配給:ザジフィルムズ

シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中

公式HP:www.zaziefilms.com/kitanomura/

【執筆者プロフィール】

長本 かな海 (ながもと かなみ)
多摩美術大学芸術学科卒業、イタリア国立シエナ大学人類学専門課程中退。日本の夜神楽からヨーロッパの奇祭まで、辺境の祭り女。現在は屋久島にある障害者のための就労施設でアートプロジェクトを遂行中。