「これは責任と名誉の問題です。どんなに気が進まなくても、みみずくんに立ち向かうしかないのです。もし万が一闘いに負けて命を落としても、誰も同情してはくれません。もし首尾良くみみずくんを退治できたとしても、誰もほめてはくれません。足もとのずっと下の方でそんな闘いがあったということすら、人は知らないからです。どう転んでも孤独な闘いです」(一部省略)
本作のインタビューに際して、村上春樹の短編小説「かえるくん、東京を救う」(『神の子どもたちはみな踊る』所収)を読み返したところ、上記の一節が初読時のそれとは異なる、新たな響きをともなって伝わってきた。「誰もほめてはくれない」となるとやや誇張になるだろうが、少なくとも海外の小説を読む際、ほとんどの読者が気にとめることがないのが翻訳者の存在だ。しかし、その言葉の選び方ひとつで作品の世界観が大きく変わってしまうという意味では、翻訳者はまちがいなく、「世界文学」における欠かせないピースとなる。そう考えれば、誰にも知られない地下で、「みみずくん」による大地震の発生を防ぐために戦う「かえるくん」が、この『ドリーミング村上春樹』というドキュメンタリーの――デンマークにおける村上春樹作品の翻訳を長年手がけてきた、メッテ・ホルムを“想像”を駆使して描く作品の――第二の主役となることは必然だったのかもしれない。今回、本作の公開前に山形国際ドキュメンタリー映画祭に観客として現れたニテ―シュ・アンジャーン監督は、きわめて明快に、そして想像力豊かに言葉を紡いでくれた。
(取材・文=若林良)
――本作は、メッテさんの道のりの豊かさに留まらず、村上ワールドに降り立ったかのような細部の緻密さに魅了されます。たとえば『1Q84』におけるふたつの満月が実際の光景であるように登場することや、猫やデニーズなど、村上作品に登場するモチーフが作中でも(押しつけがましくなく)姿を見せることですね。全体の構成はどのように決められていったのでしょうか。
映画全体としては、村上作品が持つ世界観を何らかの形で再現したいとは感じていました。ただそれ以前に、私にとって本作はまず「メッテ・ホルムについての映画」という軸があって、それをずらしたくはなかったんです。この映画にとって幸運だったのは、メッテさんがきわめて魅力的な人間であると同時に、村上作品の登場人物とも通底するような、暗闇の中から何かを自力で見つけ出すような方であったことですね。それだけに村上ワールドの細部を作品に投影することは、映画のノイズにはなりませんでした。
――そうですね。作品における村上作品へのオマージュは、単なる「オマージュ」以上のものになっていると思います。翻訳は孤独な作業だ、とメッテさんがおっしゃられますが、異邦の地でひとり格闘するメッテさんの姿は、日常を少し外れたところに存在する、村上作品の世界とも調和を見せています。
オマージュの存在がメッテさんよりも先行しないように、バランスには気をつけていました。繰り返しになりますが、この映画のはじまりはまず、メッテさんへの深い尊敬の念にあったんです。小説の翻訳と聞いて、ただ言語を機械的に移し変えるだけと考える方もいるかもしれませんが、メッテさんの仕事はそんな簡単なものではありません。作中で漢字が生まれた背景を探究していることからもわかるように、作品の世界観を深く、突き詰めて理解するようにされているんです。
村上さんは2016年、デンマークでハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞した際、アンデルセンの『影』という小説について語られました。簡単に言えば、人間と影の立場が逆転する話ですね。主人公は思わぬ形で影をなくすんですけど、そのなくした影は知恵と力を身に着け、ある国の王になります。そして、影の過去を知る主人公は殺されてしまう。
村上さんはこの小説を受けて、自身も執筆の過程でまったく思いもしない自分自身の「影」に直面することを語られました。そして、影から逃げることなく、自身の一部として受け入れ、正直に描くことが必要なのだと続けられたんです。
こうした趣旨とはすこしずれるんですけど、翻訳者もまた「影」の一面があると思います。海外の小説を読むとき、恐らく多くの方は翻訳者の存在について意識しないでしょう。しかし、翻訳者のことばの選び方ひとつで、もともとの作品が持っていた世界観が大きく変わってしまう可能性もある。誰も想像しない「影」について――、しかし間違いなく村上作品の一翼をになっている部分について――、映画を通して語りたいと私は感じていました。
©Final Cut for Real
――なるほど。ただすみません、主眼ではないということですが、本作ではやはり村上作品へのオマージュも十分すぎるほど魅力的です。上記に挙げた以外でも、『風の歌を聴け』におけるジェイズ・バーを思わせるバーの存在や、『ノルウェイの森』の重要な場所となる上野駅の登場などが印象的でした。本作に登場する以外でも、監督が考えていたオマージュはありますか。
気づいてくれてありがとう。ただ、どちらかといえば、目に見える形としてのオマージュというよりは、村上作品の基本的な姿勢を受け継いだ形かなと思います。
たとえば、メッテさんが乗られたタクシーの中では、東日本大震災についてメッテさんと運転手の男性が少し話をされますよね。タクシーでの会話は村上作品でもたびたび登場しますけど、とくに脈絡もないような会話を通して、それぞれの人の深部に近づくことは十分に可能で、それは村上さんが使うテクニックでもあるんです。時間や内容を設定しての、きちんとした人物インタビューもたくさん撮影はしたんですけど、編集においては、一回きりの会話から生まれるようなものを軸に、全体を形づくっていきました。
――この映画には、ふたつの視点が存在しています。ひとつは言うまでもなくカメラの視点ですが、もうひとつは村上さんの短編「かえるくん、東京を救う」に登場する「かえるくん」の視点ですね。「かえるくん」が登場人物として出てくることには驚きましたが、それぞれ、どのような意味を込められたのでしょうか。
実は、私自身にもそれはわかってはいないんです。いうなれば、この映画の撮影自体がその「なぜ」を追求する旅でした。
最初の段階において、メッテさんをどのように追うか、悩んでいた時期がありました。そんなある夜、夢に「かえるくん」が出てきたんです。彼は東京の高層ビルから町を見下ろしていて、このイメージをなんとか映画に投影できないかと感じました。その後、東京に来て撮影を続けるんですけど、上野などの各地のロケーションにおいて、自然と「かえるくん」の姿が見えてくるようになってきました。こうした話はメッテさんともしていて、彼女もまた「かえるくん」の存在を意識し始めていました。
この映画にテーマがあるとすれば――それは観客一人ひとりが決めることだとは思いますが――、「信じること」だと思います。「かえるくん、東京を救う」においては、協力を求められる主人公の片桐も、最初はかえるくんの存在を信じられませんよね。しかし、少しずつみみずくんが自分の知らないところで動いていて、自分が戦わなければならないと信じられるようになってくる。かえるくんの存在を通して、私自身も何かを「信じる」ことに自覚的になっていったように思います。
©Final Cut for Real
――海外の監督が東京を描いた作品は、過去にも例があります。たとえば、『ロスト・イン・トランスレーション』(ソフィア・コッポラ、2003年)や『バベル』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、2007年)などがあげられますね。とくに『ロスト~』は外国の目から見た、「異邦の地」としての東京を描くという点で類似性があると感じたのですが、本作において何か参考にされた作品はありますか。
言われてみて初めて気がついたのですが、『ロスト・イン・トランスレーション』はかなり以前に見て、すごく影響を受けた作品でした。ただ、『ロスト~』における男女はお互いにアメリカ人で、劇中でも東京における異邦人の域から出ることはないですけど、メッテさんのあり方は対照的ですよね。タクシーの運転手さんやバーのマスターなど、日本人との積極的な関わりを見せ、日本語について深く知ろうとする。積極的に社会の中に入ろうとされているんです。いま思いついた言葉ですが、この映画に別なタイトルをつけるとなると、『ファウンド・イン・トランスレーション』となりうるかもしれませんね。
――監督にとって、メッテ・ホルムと村上春樹はそれぞれどのような存在でしょうか。
メッテさんは、私にとって絶大なインスピレーションを与えてくれる人ですね。まず、彼女からさまざまな日本文学を学んだことがあります。村上春樹はもちろん、谷崎潤一郎や、最近だと村田紗耶香の『コンビニ人間』なども大きいですね。いまは家族ぐるみでお付き合いをさせていただいていて、私自身もメッテさんが日本に行かれている際は、彼女の家の管理をすることもあります。
メッテさんを尊敬する部分はたくさんあるんですけど、絞るのだとすれば、好奇心と決断力の強さですね。彼女は若いころ、縁もゆかりもなかった日本に来て、そこで翻訳という仕事に生涯をささげることを決める。そして、その仕事は確かな実をつけて、現在進行形で多くの人へと影響を及ぼしています。私自身ももちろんその一人です。
村上春樹については言うまでもないですね。小説はもちろん、エッセイや対談などもほとんど目を通していて、彼の「生徒」を自称しています。私自身も小説を書いていますが、村上さんには技術的なことよりもまず、なぜ自分が物語を書く必要があるのか。自分の内発的なモチベーションを考え、「自分」について見直せたことが大きかった。いま、私が携わっている創作活動の原点にも、村上さんの存在は間違いなくありましたね。
©Final Cut for Real
ニテーシュ・アンジャーン Nitesh Anjaan
ドキュメンタリー作家、1988年生まれ。現在コペンハーゲン在住。デンマーク国立映画学校卒業。2014年にデンマー クの永住権を放棄して、祖国インドに帰国する父親を追ったドキュメンタリー 映画『Far from Home』を初監督。コペンハーゲンで開催されている北欧最大のドキュメンタリー映画祭CPH:DOX 2014でプレミア上映される。2017年に『ドリーミング村上春樹』を完成させ、世界中の映画祭で上映し、トロントで開催される北米最大のドキュメンタリー映画祭Hot Docsで観客賞を受賞する。
メッテ・ホルム Mette Holm
1958年デンマーク生まれ。高校を卒業後、織物の勉強でフランスに留学する。ホームステイ先で川端康成の『眠れる美女』( フランス語訳版)を読み日本へ強い関心を抱く。その後、京都を初めて訪れ日本の文化に感銘を受ける。帰国後、コペンハーゲン大学に進学し人類学の学士号と日本語学の修士号を取得する。1994年に翻訳会社「Tre-i-Et」(Three-in-One)を設立する。この会社では2017 年までにデンマークで劇場公開した黒澤明監督全作品、宮崎駿監督全作品含むほぼ全ての日本映画の字幕を制作している。2001年より村上春樹の翻訳を手がけ始め、これまでデンマーク語に翻訳した作品は『風の歌を聴け& 1973年のピンボール』(1冊に2作品集録)、『ねじまき鳥クロニクル』、『スプートニクの恋人』、『ノルウェイの森』、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、『1Q84』など多数。現在は『ふしぎな図書館』と『短編集』を翻訳中。村上春樹の作品以外にも、 大江健三郎、吉本ばなな、川上弘美、東野圭吾の作品を翻訳していて、今後は村田沙耶香の『コンビニ人間』や多和田葉子の『犬婿入り』、『献灯使』も手がける予定。
【映画情報】
『ドリーミング村上春樹』
(2017年/デンマーク/デンマーク語、日本語、英語/60分/カラー/クリエイティブ・ドキュメンタリー)
字幕翻訳:吉川美奈子
監督:ニテ―シュ・アンジャーン
後援:デンマーク大使館
配給:サニーフィルム
新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開中
公式HP:https://www.sunny-film.com/dreamingmurakami