【自作を語る】『生き抜く 南三陸町 人々の一年』プロデューサーのことば text 井本里士

『生き抜く 南三陸町 人々の一年』©毎日放送

なぜ、テレビではなく、映画なのか。作品を発表するにあたり、この問いには真正面から答えなければならない、と思う。もうすこし具体的に言うなら、テレビ局の人間にはドキュメンタリーを放送する場があるくせに、なぜわざわざスクリーンにかけるのか、という問いだ。

わがMBSの取材チームは、JNN(Japan News Network:TBS系列)の一員として、津波襲来直後から宮城県南三陸町にベースキャンプを構えた。日々のニュース取材はもちろん、発災1ヵ月後にドキュメンタリー番組『そのとき、人々は~平成三陸大津波の証言』を、半年後には『生き抜く人々~南三陸町 鎮魂と復旧の夏』、そして震災1年となる2012年3月11日に『映像’12 生き抜く~南三陸町 人々の一年』を放送した。関西の地より取材チームを送り続け、被災地の現状と課題、人々の思いを真摯に伝えたこの三部作は各方面から高い評価を得た。

『生き抜く 南三陸町 人々の一年』©毎日放送

このたびの映画は、『映像’12 生き抜く』よりもさらに約30分のシーンを盛り込んだうえに構成にも変更を加えた。テレビというメディアはよくも悪くも視る側の姿勢が自由だ。生活の一部として溶け込んでいるため、家事をしたり食事をとったりしながら視ることもあるだろう。制作者はそれゆえに、表現過程においてできるだけ分かりやすさを優先させ、自分の番組に振り向いてもらおうと努めている。

ところが、映画は違う。観る側は真っ暗な部屋の中で大きなスクリーンを凝視することを強要される。凝視するがゆえに、テレビの“ながら視聴”ではおそらくは気づかない、津波が去ったあとの潮の香と砂埃、悲しみと絶望の色、汗がにじむ湿気、家屋や船の残骸を焦がす太陽、日々顔色を変える海風、雪の降る音、漁師たちの凍る吐息、陰鬱なウミネコの瞳、涙を重ねた奥に潜む光などを感じ取ってもらえるのではないか・・・。約800時間のVTRからこうした映像をあますところなく盛り込み、取材者が感じた現場の空気を再現したつもりだ。

分かりやすさは、いらない。未曾有の災害を理解するには、被災地で複雑に絡み合った現実を見つめることも大事だろう。ナレーションがストーリーを導くテレビの手法もあえてやめた。まさに祈るような気持ちで“映像の塊”を編み上げ、それを観たあとに重く考え込んでもらえるような作品をつくりたかった。それこそが“被災地を想う”ことだと念じているからだ。

TwitterやFacebookなどSNSの普及によって誰もが手軽に意見を表明し、どこかで聞いたことのあるような批判や論調が常に飛び交う喧しい時代になった。「絆」や「希望」を強調しすぎるマスメディア、そしてその既存メディアを批判することで成り立つ勢力も今やステレオタイプのそしりを免れない。この映画は、そんな雑音とは一線を画した“静かなるアンチテーゼ”として受け止めていただければ幸甚である。

『生き抜く 南三陸町 人々の一年』©毎日放送

 
【作品情報】

『生き抜く 南三陸町 人々の一年』

プロデューサー:井本里士 監督:森岡紀人 
2012年/日本/カラー/HDCAM/99分/ドキュメンタリー 
公式HP:http://www.mbs.jp/ikinuku-movie/index.shtml

【上映情報】 

東京・ポレポレ東中野(〜10/26)http://www.mmjp.or.jp/pole2/  
大阪・第七藝術劇場(〜10/26)http://www.nanagei.com/index.html 
神戸アートビレッジセンター(10/20〜26) http://kavc.or.jp/ 
京都シネマ(11/10~16)http://www.kyotocinema.jp/ 
名古屋シネマテーク(公開日未定)

【執筆者プロフィール】

井本里士 いもと・さとし 
1967年兵庫県尼崎市生まれ。1991年、大阪大学基礎工学部卒業後、毎日放送入社。報道局で警察、司法担当後、京都支局を経て、東京報道部で政治担当。1999年には特別報道部でドキュメンタリー制作、2005年からはドイツ・ベルリン支局長。2008年に帰国後、本社報道部ニュース担当デスク、2010年からニュース番組「VOICE」編集長、現在に至る。2011年3月には東日本大震災担当デスク(プロデューサー)を兼務。