【リレー連載】列島通信★大分発/「映画館のデジタル化」がもたらす真の問題 text 田井肇

1年前に「映画館のデジタル化」問題について書いた。その時点ではまだ、デジタル化を喫緊の課題だと考える人は、インディペンデント映画業界(製作者、配給会社、ミニシアター)には多くなかった。当時、僕が喚起しようとした、インディペンデント映画に携わる人々の互いの立場を越えた議論は巻き起こらず、状況がつまびらかになることで起きてきたのは、結局「個々が(自己防衛的に)どうするのか」ということでしかなかった気がする。そんなことをしているうちに着々とデジタル化は進み、DCIやDCP、VPFといった言葉がチンプンカンプンだった1年前からすれば、まさに隔世の感がある現在にたどり着いた。デジタル化は、もはや映画館にとって必須となり、間もなく35ミリ・フィルムによる上映は世の中から消え去ろうとしている。

そんな中、置き去りにされているのは、他ならぬ「観客」だ。「自分たちが見たいと思う映画(見終わった後に「そう、こんな映画が見たかったのだ」と思わせられる映画)を、満足するかたちで見られる映画環境」が、デジタル化によって確実に失われてゆくことに、観客は、甘んじるしかないのだ。この間、製作者や配給会社や映画館を守る議論に比べ、観客を守る議論がほとんど聞かれなかったことに、僕は正直、失望した。自分を守ることにしか興味のない作り手や映画館が、観客から見捨てられる日は遠くない。いや、このところのインディペンデント映画の不入りを見れば、現在すでにその過程に入っているとさえ言える。

一方、デジタル化を「革命」と呼んで歓迎する人も少なからずいる。とはいえそれは、金銭的なメリットを言っているものが大半で、「表現」における革命は、実際のところ、3D以外には語られていない(デジタル化によって安価に映画が作れることを「革命」と呼ぶのは、いささか大言壮語の感がある)。

映画館では、ODS(Other Digital Stuff)と呼ばれる「映画以外のコンテンツ」、すなわちコンサートや演劇、スポーツ中継などを映画館でやれるようになったことを「革命」という人もいる。配給会社には、「映画館以外の場所」、例えばカフェや美容室などでそれなりの品質で映画をやれるようになったことを「革命」という人もいる。だが、いずれも、デジタル化の到来に対応して考えられたアイデア(苦肉の策)であって、それをやりたいがためにデジタル化の招来を期したわけではない。やりたいことのために技術を開発した、たとえばFacebookやYou Tubeなどの「革命」に比べれば、革命と呼ぶほどなのか、はなはだ疑問だ。だが、こうしたことが、「映画」および「映画館」のあり方を、大きく変えてゆくことだけは確かだろう。

考えてみると、「映画を映画館で見る」ということは、きわめて特殊な、閉じられた行為であった。「映画館では映画しか見られない」「映画は映画館でしか見られない」。当たり前のように思ってきたことを、デジタル化は、当たり前ではないものにしてしまった。「映画館で〈映画ではないもの〉を見る」「映画を〈映画館でない場所〉で見る」可能性の広がりは、「映画を映画館で見る」という本来の行為を、何か物足りないもののように感じさせてしまいつつある。

インディペンデント映画の作り手にとって、映画を作るハードルは下がったものの、それを映画館にかけるハードルは格段に上がったと言えるだろう。メジャー映画だけで成り立つことが困難になったシネコンが、それ以外の興行を考えるとして、それはもはや映画でなくてもよいのである(もちろんオカネになるなら映画でもよいのだが)。映画が、コンサートやスポーツ中継と競わねばならない時代になってしまったのだ。そしてミニシアターもまた、その競争相手は、映画好きのオーナーのいるカフェや美容室か、あるいはネット配信ということになってしまうのだ。このままゆけば、客の入らないインディペンデント映画は、カフェの片隅で気心の知れた者だけが集まって見る同人誌のような存在になってしまうか、あるいはネット配信によって個人的に視聴されるだけのものになってしまうだろう。それで果たして「映画」と呼べるのか。安く作れて採算が取れさえすれば、それでもよいのだろうか。

デジタル化の問題は、設備投資にかかる金額やVPF経費などオカネの問題に目を奪われがちだが、その本質は、僕らの知る「映画」や「映画館」がなくなって、「映画館を必要としない映画」と、「映画を必要としない映画館」が跋扈し始める、ということにあると、僕は思う。

はてさて、「映画館で見てもらうために作られる映画」と「映画だけを上映する映画館」は、次なるデジタル時代を生き延びてゆけるのだろうか。その鍵を握っているのは、言うまでもなく「観客」だ。が、その前に、「いったい観客とは誰なのか」をもう一度考えねばなるまい。

というところで紙数が尽きた。この先は、自分の映画館の毎日の中で考えてゆくとしよう。

※写真注 上映のデジタル化への対応を巡っては、都内の映画館でも明暗が分かれた。
写真は対応を断念し12月に閉館する「シアターN渋谷」(上)と、ODS上映を積極的におこなうシネコン「新宿バルト9」(下)

【執筆者プロフィール】

田井 肇 たい はじめ 
1956年生まれ 1989年より大分市にて映画館「シネマ5」を経営。単館系映画を上映する地方ミニシアターの中でも古参に属する、座席数74席の映画館である。日本の映画環境を考える中、昨年よりデジタル化問題について積極的に発言や提言を行なっている。