【Review】ある作家の6日間が映し出す「凍てつき」の時代ーー『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』 text 吉田晴妃

セルゲイ・ドヴラートフは「20世紀で最も輝かしい」ロシア人作家の一人と言われているようで、彼の人生については、邦訳された小説『わが家の人びと』(成文社)巻末にある訳者の沼野充義氏による解説に詳しい。「まず必要なのは、すでに『現代の古典』になりつつあるこの作家の、できるだけ等身大に近い肖像を描くこと」として、どのような生涯を送ったか、どんな作風の小説家だったのか、またその作品がどのように発表され、受容されているのかなどが語られている。
一方で、『ドヴラートフ』は彼についての伝記映画でありながら異なるアプローチで、映画が追うのは、1971年の11月1日から6日までの6日間の彼の姿のみだ。それ以前やその後のドヴラートフの人生は、簡潔なモノローグや登場人物の語る台詞の端々から察する他ない。
長い人生の中のたった6日間をクローズアップして見るだけで、ある人物の生きざまを知ることができるのだろうか?

1971年、ドヴラートフは小説を書きながらもそれが世に出ることはなく、レニングラード(サンクトペテルブルク)の工場新聞の記者として働いていた。妻と娘とは別居し、老いた母と共同アパートに暮らしている。フルシチョフのスターリン批判によって、言論の抑圧が弱まり文化的な機運の高まった50年代半ばから60年代半ばにかけての「雪解け」と呼ばれた時代が終わり、ブレジネフ体制下の再びの検閲の厳しさにあって(「凍てつき」とモノローグは語る)、彼も、あるいはその友人も全く作品を発表することができない。

ドヴラートフはあらゆる場所に出入りする。新聞や雑誌の編集部、取材で赴く映画撮影の現場や地下鉄の作業現場、あるいは仲間である芸術家たちの集まり…。そこで出会うあらゆる人々が、文章を発表することができない作家である彼に対して助言をする。
ある人物は生活のために書けと言い、ある友人は正直に生きろと言い、別の人物からは壮大な神話の叙事詩を書くことを勧められる。(唯一、ドヴラートフの妻だけは「問題はあなた自身にあって出版されないことじゃない 」と断言している。世に作家として認められることができない彼と家族との関係は、父親という立場を果たすことができないという問題となって、また違った物語の要素をこの映画に持たせている。)
あるいは作品について「物語にはヒーローがいなくては駄目だ」「人生の経験が足りていない」などと指摘されるが、ロシア文学と聞いてイメージされるような壮大な物語を強要されることは、彼の作家性が理解されていないことの表れでもある。
新聞や雑誌の編集部は、書き手に「もっとポジティブに」「社会的に、創造的に」といった内容を要求し、それに沿わない原稿は掲載されることもなく、古紙回収に出されていく。もちろん原稿料も払われない。作り手としては望まざろうとも、自分を曲げて要求を受け入れていくことが作品を世に出すための唯一の道であり、芸術家として強かに生きていくための手段であるということが、暗黙の了解として登場する人びとみんなに共有されている。当時の文芸誌について語るドヴラートフのモノローグは、その状況を端的に物語っている。「才能がなければ採算がとれず、あれば用心が必要。天才は恐怖を招く」。そこで売れるのは「控えめな能力」である。

冒頭、どんなに心を込めて書いた作品も出版されないという状況について、自分たちは「存在しない」、もう疲れたと嘆いていたドヴラートフによるモノローグは、やがて仲間たちとはしゃぐ映画の最後には「我々は存在する」という断言へと変化する。その言葉は希望に満ちていて、6日間で問題を解決するような確固たる何かを得たかのようでもある。確かに友人の死や別れた妻との関係の変化といったドラマがあり、またドヴラートフにとっては大きなチャンスである作家連盟に加わる機会があり、それをあえて逃すという彼の選択が描かれる。しかし、自らが置かれている状況をどのように生きていくのかを、あの6日間が決めたのだろうか。
ドヴラートフは1978年にアメリカへと亡命したことが語られる。映画ではその経緯は明らかにされていない。彼はいつそう決心したのか。あるいはいつそうせざるを得なくなってしまったのか。劇中の6日間だけではそれはわからない。
おそらくあの6日間は、彼の人生の中で何か決定的で運命的な何かが訪れるような、特別なものではない。特別なものではないが、迷いを抱えた彼が、その状況において最後はある選択をする6日間ではある。誰しもの人生は日々の積み重ねなのかもしれないが、作品が発表できないという困難にある作家にとってあの6日間は、その後も続いていっただろう日々の中の、特別ではないが切実な一部分であったのではないだろうか。

ドヴラートフはこの映画の主人公ではあるものの、作家であることを世に認められていないという意味では不完全なところを抱えた存在と言える。アイデンティティが揺らぎながらもあちこちへ赴く彼は、(もちろん目下の目的は持っているものの)ある意味でレニングラードの街を彷徨っているのではないだろうか。そこで出会う人々は、表現の自由が許されない芸術家が、その状況においてどのように生きていくのかということを体現したあらゆる選択肢のようでもある。表現者としての自己が揺らぐドヴラートフの、その空白の部分が、時代に生きた人びとを映し出す。

この映画では、ドヴラートフという作家の生涯の全体像を伺い知ることはできないかもしれない。しかしドヴラートフという存在を介して、彼が抱えていた社会に対する苦悩だけでなく、彼が出会う人物や交わす言葉、あるいは言葉よりももっと雄弁に、彼らの行動やその場所でどのように生活していたのかということを私たちは見る。それは「凍てつき」と呼ばれる困難な時代でありながら、表現の道を模索し続けた人びとの姿であり、映画はその精神を讃えている。その最中を生きた作家であることが、ドヴラートフという人物の根幹を表しているかように、彼の人生として当時の6日間だけを物語る。
決して状況が好転したわけではない中にあって「我々は存在する」という高らかな宣言は、彼らが抱いていただろうその不屈の気概をドヴラートフに語らせたものではなかったか。

本作を監督したアレクセイ・ゲルマン・ジュニアは、今までに長編映画を5本監督し、その中には冷戦下の1960年代や、第一次世界大戦の勃発する1914年など、過去の時代を舞台にした作品も多い。映画監督アレクセイ・ゲルマンの息子であり、父の遺作『神々のたそがれ』の最終的な仕上げを引き継ぎ、映画を完成させたことでも知られている。
1976年生まれであるゲルマン・ジュニア監督は、この映画で描いた1971年の時代をどのように捉えていたのだろうか。
情報をたぐってみれば、アレクセイ・ゲルマンの監督作『道中の点検』が検閲により上映することができなかった(一般公開されたのは、15年後の1986年)のも同じ年の出来事である。
監督がそれを意識しているのかどうかはわからない。劇中で描かれるように、当時、困難を経験した芸術家は大勢いただろう。しかしこの映画が、主人公と同じ時代に、同じく作品を世に出すことが許されない状況にあった人物にルーツを持つ監督によって語られていることにも触れておきたい。監督は、表現が抑圧されるという状況が、単なる歴史的な事実というよりも個人の体験として「本当にあった」ということを知っているのではないだろうか。 

最後に余談だが、北米などでは『ドヴラートフ』はNetflixが配給権を獲得し、配信で楽しむことのできる作品となっている。日本では6月20日より劇場公開されているが、当時を再現した美術や、『イーダ』などで知られる撮影監督ウカシュ・ジャルによる移動撮影を多用した見事な撮影は、劇場の大きな画面で鑑賞することで、舞台となった70年代レニングラードの息づかいをより感じられることは間違いない。「コロナ禍」と呼ばれる非常時にあって、映画においては例えばミニシアターの存続といった文化の危機が叫ばれる現在と、芸術の不自由な時代を描いたこの映画は、考えすぎなのか、どこか繋がりを感じてしまう。

 

【映画情報】

『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』
(2018年/ロシア/カラー/HD/シネマスコープ/5.1ch/126分) 

監督:アレクセイ・ゲルマン・ジュニア

撮影:ウカシュ・ジャル 
出演:ミラン・マリッチ/ダニーラ・コズロフスキー/スヴェトラーナ・ホドチェンコワ/エレナ・リャドワ
配給:太秦
提供:太秦、アイ・ヴィー・シー 宣伝協力:スリーピン 
字幕:守屋愛 監修:沼野充義 

画像はすべて©2018 SAGa/ Channel One Russia/ Message Film/ Eurimages

6月20日(土)〜ユーロスペースにてロードショー予定、全国順次公開

【執筆者プロフィール】

吉田晴妃(よしだ・はるひ)
会社員として暮らしつつ、ときおりIndieTokyoなどで映画のレビューを投稿。
『ドヴラートフ』鑑賞後に彼の小説『わが家の人びと』を手に取りましたが、どこまでが真実なのかわからない、簡潔かつユーモアある語り口に引き込まれスイスイと読了…。映画は決してドヴラートフという個人だけを追ったものではないと受け取りつつ、読む前と読んだ後とでは彼の人物像の見え方も変わってくるような読書体験でした。