【Review】映画の始まりについて―佐藤零郎監督『長居青春酔夢歌』text 吉田孝行

 

 映画はいきなり始まる。白色を投影しただけの真っ白のスクリーンに、怒り、泣き、叫ぶ人達の声が響き渡る。しばらく映像は現れない。しかし、真っ白のスクリーンには、何かが映っているように見えるのであり、怒り、泣き、叫ぶ人達の声を聞き続けるだけで、人は切なさで胸がいっぱいになるであろう。

 次の瞬間、人は急に夢から目が覚めたような感覚に襲われる。スクリーンには、顔にカラフルな歌舞伎の化粧を施して、腰をおろし、ここが自分の居場所であると言わんばかりに、堂々と座っているある中年の男の姿が現れる。そこは、今にも潰されようとして揺れ動くブルーテントの中だ。男は怒りと悲しさが入り交じった視線でカメラを凝視しており、その姿を撮影していると思われる別の男の泣き声が画面の外から聞こえる。「零郎、泣くな、泣くんじゃない!」。男は自分の姿を撮影している者に語りかける。「この生活が成るところを撮っておいてくれ。わしはここで生活しとるんねん。逃げも隠れもせん」。男はたびたび外でテントを揺り動かす者たちに罵声を浴びせる。「中に人がおるぞ!人がおると言っとるんじゃ!」。「退去して下さい、危ないですよ、作業の支障になりますから」。テントの外からは無感情な声が聞こえてくる。

 『長居青春酔夢歌』と題されたこの映画の核心は、この感動的な冒頭のシーンに凝縮されている。2007年冬、大阪の長居公園では、夏に控えた世界陸上の開催を口実に、野宿者たちが生活をしているテント村の強制排除が行われた。テント村の住人とそこに集まった若者たちは、行政代執行によってテントが強制的に撤去されようとするその日、舞台を建て芝居をすることで対峙した。この映画は、テント村に住み込んで撮影を行い、自らも芝居の舞台に立った監督が、その光景を映し撮った作品である。

 今始まったばかりのこの映画を観るものは、何の前触れもなしに、いきなり強制排除という暴力的な出来事の渦中に投げ出され、驚き、戸惑うであろう。いきなりスクリーンに現れた光景は、いつの出来事なのか、場所はどこなのか、カメラを凝視する男は誰なのか、撮影者はなぜこの場所にいて、如何なる理由でカメラを回しているのか……。出来事の背景や前後の文脈を知らない観客をスムーズに映画の中へ導くための説明は一切ない。テレビのドキュメンタリー番組などでは、テロップやナレーションなどで、冒頭のシーンに入れられることが多いこれらの説明が、この映画の冒頭では排除されている。

 説明が排除されているだけではない。強制排除の現場に集まった無数のカメラが撮影したと思われるその瞬間の生々しい映像が、初めのショットでは、文字通りスクリーンから消されることによって、また、その瞬間にカメラを持った撮影者は偶然にもテントの中に潜んでおり、テントの中で映し撮られた光景が次のショットとして選び取られることによって、画面からはスペクタクルな表象が周到に退けられている。映画にとっては、見せることと同様に、あるいはそれ以上に、見せないことが重要であることを、この映画の冒頭のシーンは教えてくれる。

 ある種の表象を欠いたまま、いきなり始まるこの映画の冒頭のシーンは、何を意味しているのであろうか。上野昂志が小川紳介の『日本解放戦線・三里塚』の冒頭のシーンに見られる「いきなりさ」について論じていることを援用すれば、観客をスムーズに映画の中へ導くための説明的な表現は、「記録の中身を一定の形に収める枠組みの役を果たすと同時に、記録の対象を客観化する。つまりパッケージ化するわけで、そうすることによって、何も知らない観客をごくスムーズにその世界に導き入れるが、それはまた、観客と対象との距離を一定に保つ機能を果たすのだ。と同時に、そのようにパッケージ化すれば、その世界が一つのイメージとして流通しやすくなる。小川紳介は、それを拒否しようとしているのだ」という(1)。

 小川紳介と同様に、佐藤零郎もまた、目の前で起きている出来事に枠組みを与え、映し撮った世界を客観化し、一つのイメージとして流通させてしまうことを拒否しているのである。この映画を観るものは、強制排除という出来事に対して距離を置かずに向き合うことを強いられ、映し撮られた世界に傍観者としてではなく当事者として巻き込まれるであろう。それは、テント村の住人やそこに集まった若者たちと、その姿や光景をスクリーンを通して観るものが、長居公園での経験や時間を共有する可能性も生み出すのだ。

 この映画は、冒頭のシーンでカメラを凝視する中年の男の視線が象徴するように、公園のテント村で生活をしている野宿者たちとの関係性に基礎を置いて成立している。しかし、カメラを持ってテント村にやって来た青年が野宿者たちと出会うその過程が描かれることはない。撮影者は、どのようにして被写体と出会い、信頼関係を構築し、撮影をするに至ったのか……。ドキュメンタリー映画では、撮影する対象と出会うその過程が、ときには監督の自画像的な物語として、冒頭のシーンで語られたり、描かれたりすることは常道である。しかし、この映画では、そのような他者との出会いの物語は、排除されているのである。佐藤零郎は、テント村の住人との出会いを特権的な光景として描くことはない。なぜなら、野宿者たちとの出会いの物語は、人類学者が異文化の他者と出会う「到着の物語」と同様に、自分のテントが潰されようとしている当事者とその瞬間を撮影するためにやって来た青年との非対称性を忘却させてしまう装置として機能するからである(2)。

 冒頭のシーンに続いて、この映画のタイトルがスクリーンに現れた後、強制排除が行われるその日を数日後に控え、緊張した雰囲気が漂うテント村で、テントが潰されようとしている当事者と「支援」の名の下に集まった多くの人達との話し合いの場面が映し出される。ある支援者がパレスチナでの取り組みなどインテリの話を持ち出し、「私たち」という言葉を不用意に多用したことに対して、ある当事者が「住んでるもんの声を先に聞けや! 私たち、私たちって、お前、住んどるのか、何が私たちだ、馬鹿野郎!」と声を荒げる場面がある。冒頭のシーンでカメラを凝視するあの男である。「支援、支援って、何が支援じゃ!」。テント村の住人が同一化できない他者として現れた瞬間であり、テント村を守ろうとして駆けつけて来た者たちは、切実な思いは共有していたとしても、置かれている立場の違いを改めて思い知らされ、言葉を失ったであろう。

 テント村で生活をしている野宿の当事者でもなく、かといってテント村を守ろうとして駆けつけて来た者でもなく、よそ者でありながらもテント村に住み込んで撮影を続けた青年は、長居公園での最後の撮影となる冒頭のシーンで、涙を流すことになるであろう。それは、テントが潰されてテント村が無くなろうとしているからではなく、潰されようとしているテントの家主から、その瞬間にテントの中へ招き入れられたこと、野宿の当事者である被写体に真の意味で受け入れられたことによるものだ。おそらくドキュメンタリー映画の作り手にとってこれほど嬉しい瞬間はないであろう。被写体との信頼や共有する思いが結実した瞬間であり、そのような瞬間から生まれた映画はどのような物語を展開するであろうか。映画はまだ始まったばかりである(3)。

(1)上野昂志「人と人のつながりを考えてゆく道筋―小川紳介監督作品『日本解放戦線・三里塚』」『映画新聞』第91号(1992年10月1日)7頁。
(2)本稿は、北小路隆志が批判人類学の知見に依拠しながら小川紳介監督の作品について論じた以下の論考から着想を得ている。「反到着の物語―エスノグラフィーとしての小川プロ映画」長谷川正人・中村秀之編著(2003)『映画の政治学』青弓社 303-351頁。
(3)本稿は、冊子『彷彿する魂を追う―NDUからNDSへ』(2010年NDS発行)所収の拙稿「映画の始まりについて―佐藤零郎監督『長居青春酔夢歌』」に若干修正を加えたものである。

【映画情報】

『長居青春酔夢歌』
(2009年/日本語/カラー/DV/69分)

監督、撮影、編集:NDS佐藤零郎
撮影協力:張領太、児嶋房子、中村葉子、布川徹郎
音構成:浦田晴夫、市川和孝
音楽:ありちこく
製作:NDS(中崎町ドキュメンタリースペース)

佐藤零郎監督『長居青春酔夢歌』は、2020年8月29日(土)から9月4日(金)に大阪シアターセブンにて開催される「東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA」で特別上映されます。
https://tdff-neoneo.com/osaka/

 

【執筆者プロフィール】

吉田孝行(よしだ・たかゆき)
1972年生まれ。映画美学校で映画制作を学ぶ。映画とアートを横断する映像作品を制作、これまで30か国以上の映画祭や展覧会で作品を発表している。近作に『ぽんぽこマウンテン』、『タッチストーン』、『アルテの夏』、『モエレの春』など。共著に『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ』(森話社)、『躍動する東南アジア映画』(論創社)など。