【文学と記録⑥】 久生十蘭と空襲 text 中里勇太

 前回は「吉田健一と瓦礫」と題したが、変幻自在の技巧を駆使した文体と多彩な作風で「小説の魔術師」の異名をもつ作家・久生十蘭の『久生十蘭「従軍日記」』(*1)の中には、瓦礫ということばこそ現れないが、次のような一文がある。

「廃墟というよりはむしろ物質のdébrisの堆積である」

 一九四三年に海軍報道班員として南方に派遣された久生十蘭は、同年二月二四日に東京を出発してから九月九日までの日記をのこした。その日記を翻刻したのが『久生十蘭「従軍日記」』(以下、日記)である。ジャワ島で約三ヶ月を過ごした後、五月末に前線での従軍を希望した十蘭は、七月一三日にチモール島に渡る。そこでクーパンという町を見た印象を記したのが、先の一文である。同書の注釈によれば「débris」とはフランス語で「破片・屑」を意味する。迎えの者が「町の壊れたところをお目にかけましょう」といって自動車で町のなかをまわるが、十蘭の目には、満足な家は一軒もなく、いくらかの兵士のほかに人っ子ひとりいないと映る。「空襲というのはどういうものかまだ一向に経験がない」と日記に書きつけるころのことである。日記に従えば、十蘭はその後いくども敵機の空襲に遭う。

 外地から戻って間もなく、まだ戦時中の一九四四年四月に発表された作品に「爆風」(*2)という短篇がある。語り手は一年ぶりに外地から帰ってきたという設定であり、冒頭付近には、「東京空襲は必至と、みな覚悟のほぞをきめ」とあるが、連続的な東京大空襲が始まるまで半年以上ある。そのなかで南方の経験から空襲について語られる。語り手はまず、東京の空に浮かぶ月を仰ぎ、空襲が月の運動と綿密に関わっているという知見を披露する。

「敵の爆撃は満月をなかにして、前後五日位ずつ都合十日間ほどの間が最も繁昌するようになった。月齢と月相さえ心得ていれば、敵機の御入来の時期がいやでもはっきりわかるようになり、それならそれで結構なようなものであるけれど、種明しをした手品のようなもので、かえって鬱陶しさが増す」

 「鬱陶しさが増す」とあるが、十蘭の日記には「空襲を待つ」という記述も見受けられ、また本作中にも「いよいよもって煩わしい」という記述や「鬱陶しそうに顔を見あわせ」とあり、その夜が到来するとわかっていても過ぎ去るのを待つほかに手はなく、そして夜はくりかえしやってくることへ観念するさまがうかがえる。作中の語り手はその後、観察を深めていくと敵機の進入は月が地表にたいして四十五度に傾いたころに攻撃地点に到着するように計算されていることさえわかるといい、さらに、さまざまな敵機の爆音の違いを聞き分けることや、爆音から敵機の数や進入方向、位置を聞き分けることなども、「相当骨身にこたえるような経験」を経たうえで身につくとして、それらを「爆音の諸形式」とまとめている。

「人間の聴覚というものはあまりにも頼りないものだが、それでも、たびたび辛い目にあううちに、だんだん耳が肥えてきて、追々、正確に爆音の諸形式を理解するようになる」

 発表が戦時下ということもあり、そのまま受け入れるわけにもいかず、また日記には南方で経験した空襲から日をおかずに書いたと思われる緊迫した記述もあるのだが、あえて短篇「爆風」をここにあげたのは、空襲下の東京を舞台とした短篇をつぎにみていきたいからである。

 しかしそのまえに、帰国後の十蘭の動向を確認したい。年表(*3)によれば、一九四四年秋に銚子に疎開、一九四五年八月会津若松に再疎開とあり、一九四四年十一月からつづく東京大空襲を経験したかどうかは微妙なところであるが、一九四五年七月の銚子空襲に遭遇した可能性は高いと考えられる。

 一九四六年五月に発表された短篇「幸福物語」(*4)では、作中に、二十三日の夜に山手の一部がやられ、二十五日の夜ははやばやと空襲警報が出たとあることからも五月の東京空襲と推察される夜、どこかに落とされた焼夷爆弾の影響で主人公・光太郎の家の窓ガラスに亀裂がはしる。いよいよ空襲が激しさを増していくなか、光太郎の周囲には「眼に見えない透明な靄のようなものがぼんやりと浮遊して」、やがてまもなく火にとりかこまれていく、その空襲下の描写をいくつか引用したい。

 「見あげると、赤く焼けた空はびっくりするほどすぐ近くにあって、その下を火花を含んだ煙が黒い旗のように吹きなびき吹きなびき急流のように流れていた。靄だと思ったのは、大気の熱で地上から水蒸気が立ちはじめたのだと気がつくと、光太郎はいくらか不安な気持になってきた」。「風の中にタール質の燃えるようなえらっぽい匂いがまじってたえず鼻腔を刺戟した」。いつのまにか光太郎たちのいる谷地のうえで風が渦巻きはじめ、「風に向って歩くと重い液体のようなものが鼻と口から突入し、身体中が毬のように膨れあがるような気がした」。「戦争というよりは、幾千とも知れぬ噴火が大騒ぎをしているとでもいったほうが適切だった」。

 南方でいくども敵機の空襲にあった久生十蘭だが、ここでは「戦争というよりは」と記述している。そこに空襲の苛烈さが明示されているのではないだろうか。

 ここではもうひとつ、冒頭で掲げた久生十蘭の日記の一文を、「幸福物語」の冒頭の描写とあわせて考えていきたい。「十一月の末ちかく、東京に初雪が降った」と始まる「幸福物語」はつづいてつぎの情景が描写される。

「雪のうえになお雪が降りつみ、宇宙の因縁、見はなされたようなみじめな戦災のあとをしらじらとやさしくおおいかくした」

 「雪のうえになお雪が降りつみ」というところを、突飛ではあるが、日記に記された「廃墟というよりはむしろ物質のdébrisの堆積である」という一文への呼応として読むとき、空からの爆撃で破壊された物質の破片の堆積のうえに、空から雪片が降りつもり堆積していくさまが、そしてもの言わぬ物質の破片ともの言わぬ戦災のあとがうちかさなり、雪がひとたびおおいかくし、ふたたび明るみにだされるものがなんであるのかを考えてみたくなる。「見はなされたようなみじめな」と形容された「戦災のあと」を雪がおおいかくし、そしてふたたび明るみにだされるものはなんであるのか。

 「幸福物語」の鍵になるのは、光太郎の隣家である須賀川家の令嬢・久子である。久子の婚約者の良吉によれば、家同士の諍いから婚約が破談となり、そのことで久子は気が変になってしまったとされている。須賀川家の敷地には空襲が本格的になってもまだピアノやテニスボールの音が響き、円形花壇や園亭があり、花棚には薔薇が咲きほこっていた。光太郎が初めて久子とことばを交わすのも、隣家からテニスボールが飛びこんできた際である。このご時世にテニスとは、と憤る光太郎に対し、「怒っていらっしゃるのね」「面白い方だわ」と久子は言い、「お顔が見えないのが残念よ……堀は社会生活における偏見のようなもので、あるよりはないほうがいいのだとリョウ吉がよくそう申しましたわ」と返す。そして次の日には両家の間の塀は取り壊される。焼夷爆の衝撃で窓ガラスに亀裂がはしり、心配になった光太郎が隣の防空壕のようすを見に行ったときには、「あら、もう解除なの、あたし悲しいわ」と久子は言うが、良吉と二人で一緒に居られるのが空襲警報下の防空壕のなかだけである状況においては、もっともな言い分である。さらに空襲が激しさを増し、火に囲まれるなかで、良吉に連れられて防空壕から出てきたときに、久子が「結婚式」と口に出すのも、燃える家を見て「明るいこと、ほんとうに明るいこと」といい、「きょうは、おやめにするわ」と座りこむのも、せめてさいごまで良吉と二人で一緒にいたいときめているのであれば、状況を捉えた発言といえるのではないだろうか。塀を取り壊した日に久子は光太郎の顔を見に来て、「あなたのお顔、ずいぶんもっともらしいお顔ね」といい、防空壕を連れ出されたときも、光太郎に向かって「あなたが良吉をお誘いになったのね」という場面があり、そこではもっともらしいことに従うことを忌避する久子の姿勢が見透かせる。つまり本作では、もっともらしいことに従うことへ抗うことから状況を捉える久子と、空襲下においても状況を正確に捉えようとする光太郎が対置されていると考えられるのではないだろうか。

 一九四六年五月、「幸福物語」と同時期に発表された作品に「花合せ」(*5)という短篇があり、それは戦時の思想検査をめぐる話から始まる。主人公の福井の家の庭には西洋の花ばかりが咲き乱れており、花の名を戸口調査に来た巡査が手帳に書きつけていく。次の日、福井は友人たちがレコード鑑賞をしていて一網打尽にされたという話を思い返す。

「花ぐらいでびくびくすることはなかろうというのは時局の認識を欠いたひとのいうことで、生きる楽しみも、愛するたのしみもいっさい許可せぬというむずかしい加減の戦時なのであるから、問題にしようと思えば、花だって蝶だってわけなく問題になるのである」

 タイミングの悪いことに、そこへ軍服を着た法務官が、隣に越してきたものですと挨拶に訪れ、庭を眺めては、「左党が合印にしたのは、あのイル・ド・フランスという薔薇でしたな」とか、「ジャコバン・クラブを結成したときの合印はたしか三色菫でしたな」などと意味ありげに余談を述べた後、最後に「人間というものは、戦争とか美とか、そういう苛烈なものに生甲斐を感じるものとみえますな」と言って帰った。「やられた」と感じた福井は呼び出しをくらうまえに西洋の花をみんな南瓜に変えてしまおうと南瓜の苗を買いに行き、その帰りに空襲警報が出る。

「ふりあおぐと、みょうに青々とした海のような空の中を、真珠色とも水月色ともつかぬ、自然現象によく似たB29が三機、下界の大騒ぎなどにはなんの関係もないように、一種寂然たるようすで東のほうへ飛んでいった」

 この「自然現象によく似たB29」という記述は、福井の認識を正確に表していると読後に頷かされた。先に「時局の認識」という語が出ていたが、福井にとっての「問題」は「時局の認識」をいかに認識するかという範疇にあり、その外にあるB29については「どこか霊性を帯びた、夢遊する生命」として見上げることができる。作中において、福井をおそったのは、時節にそぐわない洋装の格好をしたおんなだった。おんなは千子という名で、福井がフランスに住んでいたころによく訪れていた家の娘だったが、少女のころのおもかげもなく、名乗られるまで福井は認識できない。その後、千子の家でペルノーを痛飲した福井が寝ているあいだに空襲は終わり、テーブルには千子が用意したフランス料理が並ぶ。ここで福井は理屈にもならない言い方で千子を非難する。こんなことは、やはりいけない。では、なにがいけないのか。福井はそれをことばにできないが、空襲警報が出てから千子を最初に見たとき、戦争を馬鹿にするにもほどがあると考える一方で、美しいものはやはり美しいと頭が混乱している。千子の登場により揺るがされた福井の認識と、その揺れ方は本作を通底する根のひとつであり、それが顕著に現れているのはつぎの場面である。

 夫を亡くした千子がもし望むのであれば結婚を考えてもいいと福井は考えるが、後日ふたたび千子の家を訪れ、敷地内に東屋を建てていると聞き、戦争妨害になるので家屋の新設は禁止であると千子を諭す。そして、「戦争の奴隷にだけはならない、自分というものの最後の一分だけは絶対にゆずらない」という千子のことばを聞き、一方的に結婚を考え直す。

「馬鹿にならなければ生かしてはおかないいまの日本で、千子のような、なんでもよくわかる頭というのがいちばん危険なので、これでは結婚しても先が思いやられると、福井は急に嫌気がさしてきた」

 レコードをかけて一緒に踊ろうという千子に対し、もしこの場に憲兵が踏みこんできたらという怯えから、からだが硬直し動けなくなった場面のあとにつづくつぎの二ヶ所は、福井の認識を決定的に捉えた記述といえるだろうが、まだどこかあいまいさが残る。

「国民を奴隷にするために、十重二十重に掛け廻した武断派の罠の凄さが、福井にもようやくぼんやりとわかりかけてきた」

「いまはもう、自分の欲する楽しみさえ自由にとることが出来なくなっているのに気がついた。たしかに不具にされてしまったと思うのだが、さて、どこを不具にされたのかよくわからなかった」

 このあいまいさについて、一方の千子の言動をみていけばなにか掴めるのだろうか。

 目の前に並ぶフランス料理について苦言をいう福井に対し、千子は、「人間がいままでかかってつくった美しいもの、みな捨ててしまえとおっしゃるの。そんなの、いやだわ」と返す。じつは用意した夕食は、千子の亡夫が七年前にフランスから買い込んできたものであり、半地下の貯蔵室には洋鰻の水煮や蝸牛の油漬などが隙間なく並んでいる。それゆえに千子は米以外なにひとつ配給をもらっていないという。さらに建設中の東屋にしても、材料は温室を壊した古材であり、建てているのは従兄であり、戦争の邪魔はしていないという千子の論理は明確である。

「一日でも生活は生活でしょう。戦争の邪魔にさえならなければ、じぶんのいちばんいい生活をするのがほんとうだと思うわ」

 その考えの背景には、日本が戦争に勝ったら千子のような金利生活者は根こそぎ絶やされるという意識があり、つづいて先にも引用したことばが出てくる。「戦争の奴隷にだけはならない。自分というものの最後の一分だけは絶対にゆずらない」。それゆえ、結婚(といっても、福井の視点から一方的にほのめかされているだけだが)どころか、千子という存在にも及び腰な福井をつぎのように撥ねつける。

「こんどの戦争、日本が勝っても負けても、あたしたちの階級は残らないわね。とてもだめだろうと思いますのよ。あなたがおっしゃるのも、そのことなのでしょう。よくわかりましたわ」

 つまり、千子はみずからの論理が明確であるゆえに、福井の認識のあいまいなところを補う存在ではないと考えられる。物語の終局には、敗戦へ向かうころから、福井の庭の南瓜は思いがけなくみな瓢箪になってしまったという記述がある。これは皮肉だろうが、はたしてこの皮肉はどこに向けられているのか。考えられるのは、福井の認識が根本から誤っていたということであり、それが「どこを不具にされたのかよくわから」ない要因であるということだろうか。ならばそのうえで、「時局の認識」の認識に注力することや、あるいは「幸福物語」の光太郎が状況をもっともらしく捉えようとすることが、雪がひとたびおおいかくし、ふたたび明るみにだされるものと考えるのであれば、戦時という留保のなかでとった姿勢、主体ともいえぬ主体が、敗戦の混乱を経たのちにふたたび現れると読むべきだろうか。「幸福物語」と「花合せ」において、そこに対置するのは久子であり、千子であるが、ともに自らを決定する苛烈さを備えている。「花合せ」の軍服を着た法務官の「人間というものは、戦争とか美とか、そういう苛烈なものに生甲斐を感じるものとみえますな」という言をもちだすまでもなく、苛烈さには危うさもある。しかしそれでも、苛烈さには苛烈さをもって抗うということだろうか。久子、千子がともに裕福な家と設定されていることも含めて、「小説の魔術師」のしかけはそれほど一筋縄に読めるものではないのだろう、とここまで来て考えた。

*1 久生十蘭『久生十蘭「従軍日記」』(小林真二翻刻、講談社文庫、二〇一二)
*2 久生十蘭「爆風」(『十蘭錬金術』所収、河出文庫、二〇一二)
*3 「久生十蘭略年譜」(『十蘭錬金術』所収)
*4 久生十蘭「幸福物語」(『パノラマニア十蘭』所収、河出文庫、二〇一一)
*5 久生十蘭「花合せ」(『十蘭万華鏡』所収、河出文庫、二〇一一)

【書誌情報】

『久生十蘭「従軍日記」』
講談社文庫 2012年8月発行 838円 A6判 532p
ISBN 978-4-06-277017-0

【執筆者プロフィール】

中里 勇太(なかさと・ゆうた)
文芸評論、編著に『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(金子遊共編、響文社)。