「津波の警報が鳴っていた。わたしは全くきこえなかった」
大災害という「想定外」において、聴覚障害者という存在はさらなる「想定外」とされてしまっていた。
映画「きこえなかったあの日」は、自らも聴覚障害を持つ今村彩子監督が、東日本大震災をはじめとした幾つもの大災害の現場で聴覚障害者の姿を捉えた10年の記録である。
この映画の最大の仕掛けは、「被災した聴覚障害者」が映画の聴衆をまなざし返し、また様々な側面を持つ存在として立ち現れるということである。
一般的に、わたしたちは映画を見るとき、真っ暗な空間から一方的に画面をまなざす存在となる。そして、ある特定の登場人物に同一化し、他の登場人物を対象化するのだが、多くの場合マジョリティが前者となり、マイノリティが後者となる。たとえば、伝統的なハリウッド映画では白人や男性が物語の主体となる一方、有色人種や女性は物語主体の感情の対象となったり、断片化されて一面的に描かれたりすることが多い。
そういう意味でいうと、「被災した聴覚障害者」というのは、二重の意味で対象化されやすい存在である。「被災者」も「聴覚障害者」も物語主体による憐れみや同情の対象にされたり、一面的に単なる「良い人」として描かれたりすることが多い。
しかし、この映画ではそうではなかった。
まず「聴覚障害者」という観点に関しては、カメラの目線自体が聴覚障害をもつ今村監督のものであるということも大きい。今村監督の目線でまなざす聴衆は、ほとんど常に作中の登場人物から手話でコミュニケーションされることになる(字幕あり)。そもそも手話という独自の言語で、これほど活き活きとコミュニケーションする聴覚障害者の姿を見る機会は、残念ながら健聴者の日常ではほとんどないだろう。さらに、多くの健聴者の聴衆は自分には手話がわからないのだということも強く意識することになる。とりわけ、聴覚障害者が自ら健聴者に手話を教えたり、聴覚障害者に分かりやすい表現の仕方を指南したりするシーンでは、それが顕著に示される。
もとより健聴者中心的な見方では、一見、聴覚障害者がコミュニケーションに困るのは、本人が口話を分からないからだという風に考えられるかもしれない。しかし、それは本当のところ、健聴者の方が手話を分からないからなのではないか、ということに気づかされるのである。これは「障害の社会モデル」という考え方につながる。つまり、障害は人ではなく社会の側にあるという考え方である。ここで健聴者中心的な見方は反転され、「手話のできない健聴者」というまなざしの逆転が起こるのである。
また、この映画は聴覚障害者を一面的にではなく、様々な側面を持つ存在として描いている。たとえば、聴覚障害者による災害ボランティアの様子を描いたシーンである。聴覚障害者は多くの場合、支援される存在として描かれることが多かったが、支援する存在でもあるのだということを示すことで、断片化していない聴覚障害者の姿を描くことに成功している。
次に「被災者」という観点に関しては、聴覚障害当事者の今村監督自身もまなざしの逆転に遭っている。彼女自身、このように語っている。
わたしは編集段階で、ある映像作家に指摘してもらうまで、取材に協力してくださった方々を「被災者」としてしか見ていませんでした。相手のことを分かろうという、取材で一番大切にしたいことを手放していたのです。今まで見ようともしなかった映像を見直してみると、そこには確かに生活の「かけら」が映っていて、一人ひとりの「生」が輝いて伝わってきました。(公式HPより)
映像は撮った監督自身の想定すら超えた形で、まなざしの逆転を起こしていた。それがとりわけ表れているのが、東日本大震災で被災した聴覚障害者の加藤褜男(えなお)さんという存在だ。加藤さんはこう言った。
「今村は撮影ばかりでつまらない。撮影とは別に花見とかしたい」
今村監督という視点/人物に対するまなざし返しというだけでなく、被災者という断片化された姿ではない自分自身を見てほしいという主張とも捉えることができるだろう。
それの応答になるのだろうか。加藤さんについては、戦前に不十分な教育を受けたことで読み書きに困難があるという点や、また手話も独特で意志の疎通にやや難がある点など、聴覚障害者のなかでも差異があるということが描かれていることは、印象的だった。
また、手話通訳士の岡崎さんは加藤さんについてこう述べている。
「表の顔と裏の顔があって。皆と会う時はニコニコが多いけど、二人だけになると指図して『私は奥さんじゃありません』と言っている」
「被災者」でありかつ「聴覚障害者」である加藤さんについて、単なる「良い人」として断片化されていない多様な面を描いていることも、注目すべきだろう。
こうして、「被災した聴覚障害者」という本来非常に周縁化された存在が、活き活きとした生として聴衆の目の前に浮かび上がってくるのである。
この映画は、2020年8月にの生前の姿、街のパノラマ、蝉の声をバックにした樹木が映し出されて、ラストを迎える。この映画の10年で季節は移り代わり、世代も変わっていくけれども、それでも全ては生であり、そしてそれらは尊いのだ。たとえ障害や被災など様々な差異があったとしても、それぞれの生を尊ぶこと。それが、いま私たちに求められることなのかもしれない。
【映画情報】
『きこえなかったあの日』
(2021年/日本/カラー/BD/ドキュメンタリー/116分)
監督・撮影・編集:今村彩子
出演:加藤褜男、菊地藤吉・信子、小泉正壽(一般社団法人宮城県聴覚障害者協会会長)、岡崎佐枝子(手話通訳士)
編集協力:岡本和樹
整音:澤田弘基
音響効果:野田香純
映像提供:目で聴くテレビ
イラスト:小笠原円
宣伝デザイン:中野香
配給協力・宣伝:リガード
配給:Studio AYA
公式サイト:http://studioaya-movie.com/anohi/
画像はすべて©2020 Studio AYA
2/27(土)より劇場公開とネット配信を同時スタート
新宿K’s cinemaほか全国順次
【執筆者プロフィール】
川瀬 みちる(かわせ・みちる)
1992年生まれのフリーライター。ADHD/片耳難聴/バイセクシュアル当事者として、社会のマイノリティをテーマに記事や小説を執筆中。
好きな映画は『さらば、わが愛 覇王別姫』『テルマ&ルイーズ』『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』など。
Twitter:@kawasemi910