西表島と言えば「ジャングルリゾート」(星野リゾート)として、近年、人気を集める沖縄県の離島であるが、映画『緑の牢獄』はそのイメージとは対照的に、太陽の光が十分に届かず、鳥の声が不気味に反響する密林に死者がさまよう〈異界〉を演出する。それはこの島にかつて炭鉱があり、マラリアと過酷な労働によって、多くの死者を出した歴史を踏まえたものだが、この〈異界〉を手がかりにして、この映画を論じてみたい。
もし西表島の炭鉱に関心を持ち、台湾人の坑夫を扱ったドキュメンタリー映画をつくろうとすれば、どこから始めればいいだろうか。当時の坑夫を探し出して、話を聞くことになるだろうか。しかし、今年で戦後76年。彼らはもうこの世にいない。その一方で、台湾や韓国、中国では太平洋戦争(十五年戦争)が「国民/国家の誕生」と結びついているだけに、戦争や戦前に対する関心が風化する気配はない。インタビューができないことは、この時代の出来事を扱ったドキュメンタリー映画の制作を困難にする。同時にデジタル時代の若い世代の作家に、新しい表現を模索する機会を与えることにもなるだろう。〈異界〉の演出とはその一つなのである。ただし、この映画にはもう一つの困難がある。それは写真、日記、手紙といった台湾人坑夫の生きた痕跡がすべて消え去っていることである。痕跡なく歴史から消え去った惨めな存在をどのように映画に登場させることができるのか。
幸いにも台湾人の炭鉱関係者が西表島に生存しており、その人物に話を聞くことから映画は始まる。橋間良子という名前の高齢の女性が台湾語と日本語で自らの人生を話し始めると、彼女の人生の物語に一気に引き込まれてしまう。生まれてすぐに養女に出されたこと、14歳の時に養父母に決められた相手と結婚したことなど、当時の女性が体験した理不尽を飾り気なく語っていく。観客はこの登場人物を好きになるはずだ。この時、『緑の牢獄』は西表炭鉱に関するドキュメンタリーではなく、橋間さんという女性に関する映画であることに気づく。もちろん、彼女は西表炭鉱について語る。そこは荒くれ者(「ゴロツキ」)である坑夫たちが酒や賭博、モルヒネに溺れ、暴力が日常になっていた恐ろしい場、また多数の死者が出た呪われた場であり、今でも近づけないという。
歴史から痕跡を消し去られた存在と〈異界〉について
琉球新報の記者であった三木健によれば、西表炭鉱には終戦まで納屋制度があり、納屋頭が坑夫を雇い、現場での労働を監督し、賃金を払い、寮の管理まで行っていたという。橋間さんの養父は坑夫を雇用する立場にあったことに注意が必要だ。彼女の話は重要な証言に違いないが、坑夫の人生をよく知っていたとは言えず、彼らに対する共感を欠いている。そもそも西表炭鉱は、筑豊や三池から私たちが想像する炭鉱とは異なっていた。炭鉱開発には巨額の資金が必要で、政府が関与し、民間の大手資本が開発と経営を担い、多くの男性労働者を採用し、家族もやってきて、また男性労働者の日銭を求めて商売を行う女性も集まり……という形で一つの街を形成し、文化も生まれ、戦後は組合が結成され(敗北することになるが)大規模な労働闘争も行われた。しかし、西表炭鉱は大手商社が採掘を始めてすぐに手放した炭鉱であり、その残りものに零細な業者が金儲けのチャンスとばかり群がったのである。労働環境が悪かったことは想像できるだろう。
三木は『西表炭鉱写真集』(新日本教育図書 2003年)の中で「此の島には料理屋もなければ酌婦も居ない。……内地に於ける彼らは如何に惨めとは言え、未だ未だ幸せであった。文通を禁じられ、通貨を奪われ、性慾の発動を奪われ……」(69-70)という後の大蔵大臣となる渋沢敬三が視察した時の文章を引用したが、橋間さんも坑夫はほとんどが単身者であったと語る。まさに離島と密林がつくり出した逃げ場のない、男たちの監獄だったのであり、『緑の牢獄』はそれを〈異界〉として現在の西表島につくり出した。人が訪れることのない密林で、今も坑夫たちは酒を飲み、風呂に入り、モルヒネを打ち、あるいは禁断症状に苦しんでいる。こうした〈異界〉の演出は、単なる再現と異なり、〈ポスト・インタビュー時代〉の実験的な表現である。ただ、この演出は橋間さんの証言に基づいているため、歴史から痕跡なきままに消し去られた存在をどう表現するのか、彼らをどう慰霊するのかという倫理的な問いに対する応答にはなっていない。では、この〈異界〉は何を表現しているのか。
死を目の前にして、静かに余生を過ごす時、いかなる出来事も人生に影響を与えることはなく、そこでは過去の記憶が支配する。西表炭鉱の〈異界〉は彼女が夜、眠りにつく時に夢のように始まる。それは彼女にとりついた恐ろしい炭鉱のイメージでもあるのだ。とすれば、〈異界〉は西表炭鉱の「過去」というより、主人公の橋間さんの「現在」と結びつく。そして、この映画は橋間さんの一人暮らしの日常を撮影し、深く折り曲げられた腰、痩せ細ったふくらはぎ、灼熱の太陽に焼かれてきた腕などの身体を、死につつある人の身体、滅びつつある身体として、デジタル一眼レフの高解像度の映像で記録し、映し出していく。
現在形の出来事に対する関心と劇映画の手法
戦後、橋間さんが西表島でどのように生計を立てたのか、夫の仕事は何か、どのように3人もの子どもを育てることができたのか、といった戦後の彼女の人生はほとんど空白にされる。その代わりに、登場するのが20代後半の男性のルイス・レスリーさんである。彼は14歳の時に、アメリカから日本にやってきたという。なぜか西表島に行き着いて、橋間さんの住居を間借りし、建設現場の仕事を終えると、万年床の散らかった部屋でゲーム漬けの日々を過ごす。この男性は橋間さんの人生の最晩年にたまたま通り過ぎた人物に過ぎず、彼女の人生にいかなる影響も与えることはない。しかし、彼をあえて取り上げたことこそが、『緑の牢獄』を真に優れた映画にしているのであり、歴史や社会をさまざまな関係のもとで考えさせる。
例えば、ルイスさんと坑夫との関係。映画は関係があるとは決して言わないし、同じであるはずもない。しかし、現在も過酷な労働で肉体を酷使され、年齢とともに消耗し、各地を転々とするうちに痕跡なきままにこの世から消え去る人たちが大勢いることを思い起こさせる。また、橋間さんがつぶやく単身者の男性に対する偏見は、橋間さんと坑夫との関係を考えさせる。ルイスさんは映画の最後に、名もなき島の異邦人を歴史から消し去ってきた西表島に抗うことを決意したかのように、関西に移住し、祭りに姿を現し、地域社会との関わりを再び模索する。
そういえば、観光客が集まるビーチや橋間さんが観光客に声をかける場面もなにげなく挿入されている。そこでは観光(例えば、島を訪れる台湾人観光客〔そこには映画監督も含まれるのかもしれない〕)と過去の悲劇との関係を考えることになるだろうか。あるいは観光客と橋間さんのような移住者の関係だろうか。この映画は関係性を説明しない。(日本のドキュメンタリー映画によく見られる「お説教」はない)。異なる出来事を同時に示すことで、その関係のもとで歴史や社会を考えさせる。映画の最後には橋間さんが台湾から先祖の骨を移し、立派な墓を建立し、毎日供養を続けてきた墓さえも、結局は消え去っていく運命であると示唆し、橋間さんと坑夫も同じ運命にあること、歴史の無力さについて考えさせる。
この映画には名もなき坑夫を慰霊しようとする倫理的試み、あるいはそれを求めるための政治的な試みから自由であり、歴史の無力さや老いることの残酷さを大胆に露呈させる。(その代わり、台湾人の坑夫は置き去りにされる)。よく考えてみれば、それは劇映画の手法である。(例えば、異なる出来事を同時に見せる侯孝賢のロングテイクを思い起こしてみよう)。第二次世界大戦に関する〈ポスト・インタビュー時代〉を迎えて、台湾の若い世代のドキュメンタリー作家の意欲的な試みは、日本のドキュメンタリー映画に大きな影響を与えるに違いない。
【映画情報】
『緑の牢獄』
(2021年/日本・台湾・フランス/日本語・台湾語/2K/カラー/5.1ch/101分)
監督・プロデューサー:黄インイク
共同プロデューサー:山上徹二郎、Annie Ohayon Dekel、Farid Rezkallah
撮影:中谷駿吾
音楽:Thomas Foguenne
編集:Valérie Pico、何孟學、黄インイク
音響効果:周震、李佳蓉、康銪倫
カラーグレーディング:Michel Esquirol
製作:ムーリンプロダクション、木林電影
共同製作:シグロ、24images
配給:ムーリンプロダクション、シグロ
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会、国家文化藝術基金会、Région Pays de la Loireなど
後援:石垣市、竹富町教育委員会、台北駐日経済文化代表処那覇分処、台湾文化センター、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、沖縄タイムス社、琉球新報社、琉球華僑総会、八重山台湾親善交流協会、那覇日台親善協会
公式サイト:https://green-jail.com/
画像はすべて© 2021 Moolin Films, Ltd. & Moolin Production, Co., Ltd.
2021年4月3日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
【執筆者プロフィール】
藤田 修平(ふじた・しゅうへい)
『寧静夏日』(監督 2005年)、『緑の海平線——台湾少年工の物語』(製作 2007年)、『湾生画家・立石鐵臣』(共同監督 2016年)など、日本と台湾の歴史を扱った作品制作に取り組んできた。2013年から2017年までneoneo編集委員。