【Review】市庁舎の外――フレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』 text 原田麻衣

 ボストンの風景から市庁舎の外観のショット、そして市庁舎のなかへ。多くのワイズマン作品がそうであるように、この作品もまた主題となる「建物」を取り巻くショットから始まる。そしてたいてい、その後に続くのは建物のなかで起きる出来事である。だから、というわけではないが、私はてっきりこの『ボストン市庁舎』という映画を、市庁舎のなかで展開する日常を捉えたものだと思っていた。もちろんそれはとんだ勘違いだったのだが、要するに『州議会』(State Legislature, 2006)のような映画を思い浮かべていたのである。『州議会』とはワイズマンが2004年に撮影した作品で、そこではアイダホ州の州都ボイシで開かれた12週間に亘る州議会の様子が映し出されている。これまた3時間半以上ある長尺の映画だが、珍しくカメラはほとんど建物の外に出ることがない。最後まで議事堂のなかで繰り広げられる会議や公聴会、本議会のシーンが続く。ワイズマンはいつも作品に簡潔なタイトルを与える。そのなかで政府機関が対象となったのは『州議会』と『ボストン市庁舎』のみだ。そしてワイズマン自身、「『パブリック・ハウジング』(Public Housing, 1997)や『メイン州ベルファスト』(Belfast, Maine, 1999)、その他多くの作品も国家の仕事の一側面を示してはいるが、明確に政治“について”撮った映画は『州議会』と『ボストン市庁舎』だけである(*)」と述べている。このように両者には「政治についての映画」、おそらくより厳密に言えば「政府機関についての映画」という共通点があるのだが、議事堂のなかで行われる手続きを精緻に追った『州議会』に対し、私はこの『ボストン市庁舎』を「外の映画」と呼んでみたい。なぜならこの映画の多くのシーンは市庁舎の外で展開されるからである。

 『ボストン市庁舎』が捉えるのは、多様性と移民の町ボストンにおける市役所の役割、市と市民の関わりである。映画撮影当時のボストン市長マーティン・ウォルシュ氏は冒頭のシーンで市役所と市民の連携が重要だと主張する。市役所について市民に知ってもらう必要がある。その言葉通り、市長と市職員は積極的に町へ出て市民との対話を続ける。法律事務所で開かれる地域開発と気候変動対策の会合、ロクスベリー・コミュニティー・カレッジでのラテン系女性賃金問題に関する集会、ボストン公営キッチンで開催されるエスニック文化交流、ボストン大学では人種による経済的不平等の問題が議論され、フードバンクでは「ボストンの飢えをゼロに」と訴えがなされる。このように本作では様々な場所が目まぐるしく登場する。そして人々は自身の経験を他者に語りながら、ボストンの抱える問題を浮き彫りにし、それに対する改善策について市と市民が活発に議論を重ねていく。こうしてボストン市庁舎という「建物」は、あくまでもボストン市に存在する数多くの建物のうちの一つに過ぎず、市役所の仕事は当然のことながらその「建物」の外に広がっていることを私たちは実感するのである。

 市庁舎のなかにとどまらない市の役割を追うことで、この映画は一つの「建物」の域を超えた、多様なボストン市の姿を映し出すことに成功している。よく知られたことだがワイズマンの映画は説明的な要素――ナレーションや字幕、インタヴューや物語世界外の音楽――が排除されており、それゆえ少々展開が把握しづらいと指摘されることもある。しかし、場所についてはほとんど明確に示されると言っていい。『ボストン市庁舎』でもその「原則」は守られている。本作は上述のとおり様々な場所で議論がなされるが、ある建物のなかで起こっている出来事を映すさい、そのシーンの前後には建物の外観や周りの風景を示すショットが置かれている。つまり、市庁舎のシーンの前後には市庁舎の外観が提示されているし、例えば、マイノリティと女性経営者の企業をめぐる問題が議論されるベトナム系アメリカ人コミュニティーセンターでのシーンの前後には、その建物の外観が示されているのである。また後者について言えば、建物の周りの風景としてベトナム語表記が確認できる美容室やアジアンフード店のショットが挿入されている。このような建物や風景のショットに見てとれるのは、まさしくボストンに広がる多様なコミュニティである。

 外に広がる光景としてもう一つ書き留めておきたいのは道路である。この映画には自転車から凱旋パレード車まであらゆる車両が登場するが、とりわけゴミ収集車や道路の塗装をする車両のシーンは印象的である。ゴミ収集車が明らかな粗大ゴミをバキバキと壊し一般ゴミと一緒に吸い込んでいく光景には思わず見入ってしまうし、そもそも色分けされたゴミ箱は何だったのか、などと余計なことまで考えてしまう。また、道路塗装のシーンでは粘着性の液体を垂らし、伸ばして、赤い粉状の塗料を撒いていく工程が丁寧に示される。物語の中心は市長の演説や市と市民の対話だが、このような日常に溶け込んだ細部にも市の仕事が関わっていることをこの映画は的確に示している。映し出されるボストン市は、まさにその市の指揮をとっているボストン市庁舎の鏡なのだ。

 映画の終盤、ボストン交響楽団の本拠地シンフォニーホールで市の祭典が行われている。ウォルシュ市長によって語られるのは「扉の話」だ。「市長の仕事は、どんな人種、信条、階級の人々にも機会の扉を開けること」だという。この映画で展開されてきた議論の意義は、この市長の演説に要約されるだろう。多様性を尊重し、不平等を解消する。『ボストン市庁舎』には、市庁舎の扉を開け地域住民と連携し、民主主義を守ろうとする市役所の姿があった。

(*) « Le Complot pour l’Amérique : Entretien avec Frederick Wiseman », Cahiers du Cinéma ˚769, p. 14.

【映画情報】

『ボストン市庁舎』
(2020年/アメリカ/英語/カラー/1.78:1/モノラル/DCP/274分)

監督・製作・編集・録音:フレデリック・ワイズマン
原題:City Hall 字幕:齋藤敦子
後援:アメリカ大使館 配給:ミモザフィルムズ、ムヴィオラ
公式サイト:https://cityhall-movie.com/

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Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他全国順次公開中

【執筆者プロフィール】

原田 麻衣(はらだ まい)
1993年生まれ。フランス映画研究。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。