2018年10月1日、僕はブラジルはサンパウロに到着した。季節は春。インターネットの情報から、ブラジルがいかに危険な場所か、嫌になるほど目にしていたので体は緊張で強張っている。日が暮れかかったころに到着した中心街には「悪そう」なグラフィティが溢れていた。先入観に支配された風景に怯えながらも、“ここで数ヶ月は過ごすんだから”と気合を入れて、とりあえず地下鉄に乗ってみる。そこで目にしたのは、人、人、人、人。東京の満員電車ほどの人がいるわけでもないのに、それぞれ個人が持つ情報量の多さに圧倒される。そこには様々な肌や目、髪型、服装、立ち振る舞い、声が存在し、多様なルーツなひしめきあい混沌するブラジルの姿があった。翌朝、陽気な春の日光にほだされて街に出ると、あの「悪そう」なグラフィティがちょっと違って見えた。
それからわずか5日後、僕はグラフィテイロ(グラフィティアーティストの現地での呼称)たちの輪の中にいた。共通の友人の紹介で出会った現地で活躍するグラフィテイロである中川敦夫さんが、僕をストリートアートのギャラリーへと連れてきたのだ。そこにいたのは、気のいいグラフィテイロたち。まだポカンとしている僕にカフェジーニョ(一口サイズの濃く甘いコーヒー)を勧めてくれる。1週間も経たぬ間に、サンパウロには尋常ではない数のグラフィティが存在することに僕は気づいていた。あたりを歩けば、どの通りにもグラフィティがある。オールドスクールなレターもあれば、絵画的な表現も多い。壁面全体に描かれた巨大なものも度々目にする。そうなってくると、「ブラジルではグラフィティは違法じゃないの?」と聞きたくなる。彼らは笑いながら「違法だよ」と。「でもあの大きいビルの作品は?」と突っ込むと、「あれはプロジェットといって合法でお金ももらえる」と答える。混乱しながらも、ひとつひとつ質問して整理すると、ブラジルのグラフィティには二つのレイヤーがあることがわかってくる。(本当はもっと複雑だけど、ここではシンプルに説明します)
① Projeto(プロジェット)
認可・依頼があり、ギャランティが発生しているグラフィティ。建物のオーナーや、公共空間であれば行政がグラフィテイロへ発注して描かれる。グラフィテイロによってはこれをグラフィティの枠内には入れず、「ムラウ(壁画)」と呼び、棲み分けている。大型のものはゴンドラなどを使用し、ペンキとローラーで描かれることが多い。“合法”であり、多くの市民に受け入れられている存在。
② Grafite/Graffiti(グラフィッチ)
認可・依頼なしに描かれたグラフィティ。特にサン・パウロではグラフィティ特有のレター(文字)表現もあるが、絵画的な具象の表現が目立つ。ペンキ、ローラーとともに、スプレーも多く用いられる。市街地では人目を避けるために深夜から早朝にかけて描かれることが多い。“違法”ではあるが、多くの市民には“カラフルで綺麗なもの”として受け入れられている。
ブラジルでは、プロジェットとグラフィッチ、両方を描いているグラフィテイロが多い。順番としては、違法のグラフィッチで有名になったグラフィテイロのところに合法のプロジェットの依頼が来る。だから多くのグラフィテイロは自分を売り込もうとグラフィッチを街に描いていく。こう書くと、ただの私欲のために彼らが描いているように聞こえるが、彼らの言動を見ればそのようには片付けられない。彼らはそれぞれに「風景をつくる」という意識を持って描いている。言葉はそれぞれに違うが、僕が話を聞いた5人のグラフィテイロたちは共通でそう語っていた。彼らの言動には一般的にグラフィティを称する“ヴァンダリズム(破壊的行為)”という言葉は適さず、“自分たちが住む街の風景を自分たちの手でつくっている”という解釈の方が近いと感じる。ここまで来ると、僕が元来持っていたグラフィティに対するただの“不良の自己アピール”という認識が誤っていたことにさすがに気づく。“あれ?そもそもなんでグラフィティってダメなんだっけ?” → “誰が文句言ってるんだ?” → “その場所はその人のものなんだっけ?なんで?土地持ってるから?” → “でもその風景はその人のものじゃないよね?” → “みんなのものって言うけど、それって誰のこと?”
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この問いをもとに制作されたのが映画『街は誰のもの?』です。制作の背景には、日本における昨今の経済優先で進められる都市開発への疑念や、禁止事項が乱立する都市空間に対して覚える窮屈さがあります。一方、この映画に映っているブラジルのストリートでは、違法、合法を行き来する行為がグラデーショナルに連なり、路上の風景は豊かで多様な変化に満ちていてます。その豊かさはきっと、あなたの「街」に対する認識をぐらぐらと揺さぶるでしょう。本作を観た後にあなたはこの問いにどう答えるのか? ぜひご自身に問いかけてみてください。
【映画情報】
『街は誰のもの?』
(日本/2021年/98分)
監督・撮影・編集:阿部航太
グラフィテイロ:エニーボ、チアゴ・アルヴィン、オドルス、中川敦夫、ピア
スケーター:オルランド、マチアス、ヴィニシウス、アンドレ、ギリェルミ、エゼキエウ、イズィキエル、ダニエロ、ベット
整音:鈴木万里
翻訳協力:ペドロ・モレイラ、谷口康史、都留ドゥヴォー恵美里、ジョアン・ペスタナ、加々美エレーナ
DCP:Bart.lab
協力:アレシャンドレ、ユウゾウ、ミカ、ルアン、ノエミ、レオ、ジョアン、A7MA、らくだスタジオ、森内康博、 原尭、尾形直哉、児玉美香
配給・制作・宣伝:Trash Talk Club
公式サイト:https://machidare.com
画像はすべて © KOTA ABE
東京:シアター・イメージフォーラム 2021/12/11(土)~終了日未定
名古屋:名古屋シネマテーク 2022/1/2(日)~1/7(金)
京都:京都みなみ会館 公開期間調整中
大阪:シアターセブン 公開期間調整中
ほか全国順次公開
【監督プロフィール】
阿部航太(あべ・こうた)
1986年生まれ、埼玉県出身。2009年ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校卒業後、廣村デザイン事務所入社。2018年同社退社後、「デザイン・文化人類学」を指針にフリーランスとして活動をはじめる。2018年10月から2019年3月までブラジル・サンパウロに滞在し、現地のストリートカルチャーに関する複数のプロジェクトを実施。帰国後、阿部航太事務所を開設し、同年にストリートイノベーションチームTrash Talk Clubに参画。アーティストとデザイナーによる本のインディペンデントレーベルKite所属。一般上映としては本作が初の監督作品となる。