【Review】残虐と隣り合わせのユーモア、あるいは「どうしてこうなったか」について――『ドンバス』 text 井河澤智子

『国葬』(2019)『粛清裁判』(2018)『アウステルリッツ』(2016)と、近年立て続けに作品が公開され、注目を集める映画作家、セルゲイ・ロズニツァ。
 第71回カンヌ映画祭《ある視点》部門で監督賞を受賞した『ドンバス』(2018)が、公開される。
 製作された当時は「ウクライナ出身監督が、ダークユーモアをもって混乱のドンバス地方を描いた作品」──であった、はず、だったのだ。
 しかし、2022年2月末にロシアがウクライナに軍事侵攻し、今なお解決の糸口が見つからない現在、その「前兆」を予見したものとなり、ユーモアは「異質なものに対しての恐怖」と変化し、我々の前に立ち現れている。

 ウクライナの現在を予見した映画といえば、この作品にも触れておくべきかもしれない。ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督作『アトランティス』(2019)である。
 東京国際映画祭でも上映され、高く評価されたこの作品は、ウクライナ映画人支援のクラウドファンディングにより、4月末に再上映された。SF的手法で描かれた「ロシアとの戦争後、2025年のウクライナ東部マリウポリ」は、現在その場所がどのような状況にあるかという報道を見て、映画とのあまりに一致に驚愕させられたものであった(製鉄所に閉じ込められる群衆!)。主人公を演じたのは実際に従軍経験を持ち、その凄惨さを知る人である。
 この『ドンバス』は「このような状況に至るまでどのようなことがあったか」とその背景を語る。どちらもほぼ同時期の作品であることに、ウクライナがこれまでどのような脅威に晒されてきたか、ジョージアやクリミアの例から「今後高い確率で起こりうる事態」を想定してきたか、伺うことができる。優れた映画作家は、過去・現在を描くのみならず、その卓越した分析力により、近未来をも的確に予想することができるのだ。
 なお、『アトランティス』は、同時に上映された『リフレクション』(2021)と併せ、一般公開されることが決定した。

 ウクライナ東部ドンバス地域。
 世界有数の炭田をもち、ソ連時代より多くのロシア人労働者が移り住んだ土地である。
 ウクライナ系住民とロシア系住民が混在したこの土地は、2014年のロシアによるクリミア侵攻と同時期に、ロシア系住民が蜂起し、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国としてウクライナからの分離を宣言した。『ドンバス』で描かれるのは主にここで繰り広げられる、13のエピソードである。
 ウクライナにあってウクライナではない「二重権力」状況のこの地では、ウクライナ軍が支援する義勇軍と、ギャング化したロシア派勢力「分離派」の戦闘が絶えず繰り広げられている。分離派の背後にはロシア正規軍がついているであろうことも示唆される。
 エピソードのアイディアは、ロシア系勢力占領地域で撮影され、ネット上にアップされた多くの動画から採られている。つまり、「実際の出来事の再構成」といえるだろう。主にドキュメンタリー作品を手掛けてきたロズニツァ監督の手腕が冴える、ほぼワンシーン・ワンカットで描かれる13章。

 ドイツの記者を前にして「ファシストを捕まえたぞ!」と面白がる占領軍の兵士。面白半分におもちゃにされて命まで奪われかねない記者は必死に弁明する。「ファシストは悪い、とても悪い。私はファシストではない!」。
 哀れな市民は警察組織に大事な自動車を巻き上げられる。こんな言葉ひとつで。「自転車で戦えというのか? 君をファシストから守ってるのに!」
 ヨボヨボのウクライナ義勇兵をリンチする市民。それを撮影する人々。
 ノヴォロシア国歌が高らかに流れる、結婚式の狂乱。
 腐敗や欺瞞、略奪、暴行、憎悪、テロ行為に満ちた日常。人々を操るのはプロパガンダと情報統制である。フェイクニュースが製作され、役者たちが動員される。役者たちは自分たちが何のためにそれを演じるのか知っていたのだろうか? 彼らもまた暴力に満ちた世界のうちにある。誰ひとり例外ではない。
 この崩壊した社会のグロテスクな混乱は、主に舞台となる占領区内のみならず、「二重権力」として敵対しているウクライナ側も同様であると示される。
「ドンバス地域」の滅茶苦茶な日常を、生き抜いていかなければならない人々の、「普通の暮らし」が、製作当初はダークユーモアとして受け止められ、そして現在「笑えない」ものと変化していったのだ。

 人間の行為は社会によって規定される、もしくは社会の崩壊を引き起こすのは人々の関係性である。「冗談でしょう」というような非現実的な、極限の無法地帯と化したその土地で営まれる人々の生活は、笑っていいのかわからないほど滑稽である。
 複雑かつ常に死と隣り合わせの日常において剥き出しにされる人間の本性を暴き出したこの作品は、ロシア=ウクライナ戦争以前に既にこの地において社会の不条理さが出来上がっており、人々の感覚はすっかり麻痺していたことを示している。

 監督はこう述べる。
「この地域では、不条理で、グロテスクで、想像もつかないような滑稽な出来事が日常的に起きています。時には、その出来事の関係者が、その出来事に自らが関わっているという現実を理解していないこともあります。信じられないことかもしれませんが、この地域では実際に起きている現象です。ソ連時代という大惨事の中で生まれ育ったすべての世代に影響を与えた当時の論理は、自らの常識さえも制してしまうのです。」
「私の主な関心と、映画『ドンバス』の主題は、侵略、腐敗、崩壊が支配する社会が生み出す、ある特定の人間の在り方についてであります。社会の崩壊を引き起こす土壌を作っているのは常に人々にあり、彼らの精神性であり、それが互いに作用する関係性なのです。人間の本性は、社会が崩壊し、法律が適用されなくなり、もはや市民社会を頼ることができない極限状態に陥った時、ようやくその素顔を現すのです。このような瞬間に人間性という概念が定義されていくのです。そして、そのような不安定な状況は、たびたび戦争によって引き起こされています。」
(試写プレス資料より引用)

「ファシスト」「ファシスト」ことあるごとに彼らは互いを罵り合う。ドイツからの記者であろうと、ウクライナ義勇兵の捕虜であろうと、誰だろうと、「ファシスト」だ。
 しかし彼らの言うところの「ファシスト」とはどういった意味なのだろう。あまりにも軽々しく連呼されるその言葉に違和感を感じ、解説を担当された東京大学・池田嘉郎准教授に尋ねてみた。
「ファシスト」という言葉は、彼らにとって、相当な侮蔑ではあるが本来の意味からだいぶ離れているそうで、「差別主義者」「俺達の権利を認めないやつら」といった程度の意味なのだそうだ。現在、ロシアがウクライナに軍事侵攻を行った名目は「ウクライナを非ナチ化する」というものだが、さて彼らの言うところの「ナチ」「ファシスト」には歴史的な背景や概念が含まれているのかどうか、それとも別の文脈で用いられている言葉なのか、報道を見聞きしても判然としなかったのだが、なるほどそういうことなのか、と納得したわけである。
 そして互いに「ファシスト」と罵り合うあまり、先日ウクライナから日本にまで火の粉が降り掛かり、外交問題に発展しかねなかった事例があったことをも、思い出したのである。問題は地続きだ。
「ファシスト」というレッテル貼りは、我々こそが正義である、という排他的な思考に陥りかねず、その問題は根深くナショナリズムと結びついている。ロズニツァ監督がウクライナ映画アカデミーから受けた仕打ちがまさにそれである。ウクライナに忠誠を誓わせることが目的となれば、それは彼らが侮蔑するところの「ファシスト」の思考に他ならない。
 ウクライナも、この非常事態下の混乱において、いささか不穏な雰囲気をまといつつある。そう思うのは、穿ち過ぎであろうか?

 ニュースを見る。日々刻々と状況が変わる。SNSで有識者の詳細な解説を読む。どれがプロパガンダか、どれがフェイクか。何が正確な情報なのか。
 全く予測がつかないこの戦争。
『ドンバス』は、そのあまりのタイムリーさの意味を考えながら、観る作品である。

【映画情報】

『ドンバス』
(2018年/ドイツ・ウクライナ・フランス・オランダ・ルーマニア/ウクライナ語・ロシア語/121分)

監督・脚本:セルゲイ・ロズニツァ
製作:ハイノ・デカート
編集:ダニエリュス・コカナウスキス
撮影:オレグ・ムトゥ
美術:キリル・シュバーロフ
衣装:ドロタ・ロケプロ
出演:タマラ・ヤツェンコ、ボリス・カモルジン、トルステン・メルテン、アルセン・ボセンコ、イリーナ・プレスニャエワ、スベトラーナ・コレソワ、セルゲイ・コレソワ、セルゲウツァイ・ルスキン、リュドミーラ・スモロジナ、バレリウ・アンドリウツァ
日本語字幕:守屋愛
配給:サニーフィルム

画像は©︎MA.JA.DEFICTION/ARTHOUSE TRAFFIC/JBA PRODUCTION/GRANIET FILM/DIGITAL CUBE

公式サイト:https://www.sunny-film.com/donbass

5月21日(土)よりシアター・イメージフォーラム先行公開(2週間限定)
6月3日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、その他、全国順次ロードショー

【執筆者プロフィール】

井河澤 智子(いかざわ・ともこ)
一棚書店に興味を持ち、田原町の書店に間借りしています。月に1回程度は入れ替えに行きますが、なかなかセレクトが難しいですね。リクエストお待ちしております。

この作品を観て、クストリッツァ『アンダーグラウンド』(1995)を連想したのですが、ご覧になった方におかれましては、なんとなくヌルッとお分かりいただけるのではないかと思います。あの作品もユーゴの内戦を扱った作品でしたね。現在クストリッツァは少々残念な人になってしまっているようですが……
あとネメシュ・ラースロー『サウルの息子』(2015)でしょうか。ゾンダーコマンドとフェイクニュースの役者たちの共通点にはちょっとゾッとしました。
今後公開が待機しているロズニツァ作品はちょっと「うわっ」ときそうで観るのがちょっと怖いです。