【Interview】“他者の視点”で見続けた部落問題〜『私のはなし 部落のはなし』満若勇咲監督インタビュー

インターネット上の誹謗中傷やヘイトクライムが問題視されるなか、長く日本に顕在してきた部落差別の問題に、正面から向き合ったドキュメンタリー映画が誕生した。『私のはなし 部落のはなし』205分の大作だ。監督は満若勇咲。現役のカメラマンとしてテレビや映画の現場を駆け回る35歳の監督は、かつて大阪芸大・原一男ゼミで制作し、屠場で働く人々を描いた『にくのひと』(2007)を、出演者の申し出で封印した苦い過去を持つ。「義務感」に駆られ、改めて「部落」や「差別」と向き合い完成した作品は、漠然と語られがちな、差別を取り巻く複雑な文脈を粘り強くひもときながら、そこに人の血が通ってきたことをさりげなく教えてくれる。
この作品は部落問題への正しい向き合い方や、解決法を描こうとした映画では無い。では、部落問題を語る人々との様々なセッションを通して監督は何を目指したのか。話を聞いた。(取材・構成 佐藤寛朗)



「歴史」と「対話」

――映画を拝見してまず思ったのは、映画のモチーフとして満若監督が「歴史」や「対話」を重視していることです。哲学には「歴史の物語り」論というのがあって、歴史というものは誰かが語る以上、どうしてもある種のフィクションというか、ストーリー性を帯びざるを得ない、つまりは「物語」になってしまう側面があって、人間は自己と他者を違うものとして認識する以上、そこには必ず差異や区別(=差別の源泉)が生じるわけです。だが、その物語りを集積することが「歴史」となり語り継がれていくことを思うと、「物語」をすり合わせることには、大きな意味があると言えますよね。ドキュメンタリーが万人に広く開かれた表現だと信じて、ある種異なる人々との対話を積み重ねることで、対話自体の可能性を試す、一つの壮大な実験映画のように見えました。

満若:そう言ってもらえると嬉しいですね。「対話」も「歴史」も、かなり明確に意識して作っていますから。「語り、語られること」が、今回の映画のテーマで「対話」もその延長線上にあると思うし、「歴史」に関しても、切り口としてはこの百何十年の間につけられた被差別部落の呼称から歴史を見る視点があるんだけども、その歴史は「語り、語られること」の集積という側面が間違いなくあると思うので。

部落問題というのは時間が重要な要素で、「お前は部落民だ」みたいな現在の意識だけで差別が成り立っているわけでは無いんですよね。差別されてきた過去があり、現在があり、未来があるわけだけど、未来に向けての不安があるからこそ、現在生きている人々の感情が揺さぶられる。その感情の源泉には、一個人では背負いきれない過去の歴史の集積があるわけで、そうした歴史の縦軸を紐解かないと部落問題は描けないだろう、という意識がそもそもあったんです。

――そこをよく勉強して、映画として積み上げた、というのが私の感想です。そもそも満若監督自身は、差別や部落問題に対してどのような距離感を持っていたのですか。

満若:育った環境としては全然意識する機会がなかったです。大学の卒業制作である『にくのひと』(2007)を撮るまでは、部落のこともほとんど知りませんでした。そこで初めて勉強したことと、『にくのひと』が部落解放同盟兵庫県連からの抗議を受けた時に、問題の一つの現れを体感しましたね。

――屠畜場で働く人々を描いた『にくのひと』が、劇場公開が決まりながら封印せざるを得なかった経緯は映画の本編でも触れられていますが、その顛末が、映画を作る上で大きな原動力となったと。

満若:挫折の経験としては、とても大きかったですよね。映画が公開できなかった。初めて作った作品をお蔵入りにしてしまったわけですから、後悔や協力していただいた人への申し訳なさのほか、何より自分自身が部落問題をよく理解していなかった反省がありました。その後、職業としてカメラマンになりましたが、三十代になってどう生きていくかを考えた時に、やはり映画を作りたいという気持ちが芽生えたんですよね。ならば、もう一度部落問題に向き合わなければ、その先には絶対に進めないと考えました。自分の性格として失敗を失敗したままにしたくない。もう一回リカバリーしたい気持ちが強いんです。だから監督をやる時も、別のテーマではなく部落問題をやるしかない、と当然のように思いました。「部落問題を社会に知らしめたい」社会的使命ではなく、自分自身に対する「義務感」としてやらなきゃいけない。

――プレスには、カメラマンを10年やって「現実と付き合うことも、作り手の責任のひとつであることを学んだ」と書かれていましたが、そこにも繋がる話ですか。

満若:それは『にくのひと』をどう総括するかという問題にも繋がってきますが部落解放同盟兵庫県連から抗議があった時に、出演された方との人間関係にヒビが入りました。僕がしっかりと信頼関係を築き、映画への協力を強固にできていれば、それはなかったのかもしれない。それに当時の僕は、解放同盟の人たちがなぜ『にくのひと』を許せなかったのか?という問いを立てる事ができず、現実に反発するだけだった。そういった経験もあって、「取材対象者との関係性をどう築くか」が一人の作り手としてドキュメンタリー制作上の重要なテーマになっています。「被写体との関係性」の問題は非常に大きく、その意識は僕が「f/22」を発行し、紙の上で論じていることにもつながっています。

ですから、部落問題に関して僕自身はあくまで他者であり続けるところから関係性を結び、どう関わっていくのかを、この映画のテーマの一つとして設定しています。僕自身が新たな作品をしっかりと作ることが、『にくのひと』で不義理を働いてしまった方たちへの恩返しだと思います。

▼Page2 様々な事象を並列させて描く に続く