【Interview】“他者の視点”で見続けた部落問題〜『私のはなし 部落のはなし』満若勇咲監督インタビュー


様々な事象を並列させて描く

――部落問題は、テーマが大きいだけに、描き方をいろいろ悩まれたのかなと思います。どう取材対象者に出会い、どのような映画になるかなどの具体的な方針は、どのように考えていったのですか。

満若:2016年から取材を始めたのですが、3、4年ぐらい悶々としている時期がありました。2019年に大島新さんがプロデューサーについてくださったあたりから、構成を意識した撮影を始め、取材が一気に進んだ感じではあるんですけども、どう撮って良いのか分からず、悩む時間が長かったです。その間はひたすら勉強。大西巨人の「神聖喜劇」や中上健次など、部落問題を扱った文学を読んだり、東浩紀の「新記号論」なんかも読んで、「どう語るか」の切り口を考える上で大いに参考にしました。

――立場も暮らしも一枚岩ではない人が、いろんな立場で出てくるので、それぞれに懇切丁寧に映画のことを説明し、取材を受け入れてもらった感じなのでしょうか。

満若:そんな複雑なプロセスは踏んでいないですよ。「映画を撮りたいんですけど」とお願いする、ごく普通の取材です。もちろん中には「出たくない」と断られた人もいますが、それは部落問題以外でもありうる話なので、身構えることは全然ありませんでした。

――ある集落の人たち同士にディスカッションをさせたり、ある地域ではおばちゃんに密着したり、地域を記録した映画を蘇らせたりと、出会った地域によってアプローチを変えています。その使い分けはどのように決まっていったのですか。

満若:京都での取材は、歴史を紐解くパートになるとの見立てがあったので、イメージ的なショットを含め、様々な画作りをしています。おばちゃんは一人暮らしで、物理的に対話の相手がいなかったというのもあって、僕が話し相手になったのです。歴史を聞き出すとなると、話の内容を自分ではコントロールできないから、聞き役として僕が出てもいいかなと思ったんですね。対話だと、僕と彼らの関係性より、彼ら同士の関係を軸に話が進んでいくので、彼らが持っている気持ちや感情を意識した演出もできるのですが、過去の歴史に関しては、まず話を聞き出さなければ描けないので、自分の声や姿を積極的に入れています。

――地域の語り部的な存在だけでなく、若者も多く出演されていますよね。

満若:過去と現在と未来を描く方針だったので、若者は未来担当として、未来に向けてどんな不安があるのか、今どんな気持ちを持っているかを聞いていきました。出演してくれた若者が、自分のアイデンティティを意識しながら、部落問題をしっかり考え、話をしていこうとする姿勢を持っていることに、僕自身が希望を感じたりもして。

――そういう意味では、部落出身の若い青年が、東京で就職し、ADをしている弟さんと、(部落出身であることを)話す話さないのやりとりを、車中の電話でしているシーンが印象に残りました。

満若:同じ地域の出身でも、住むところが違うと感じ方が変わってくることを示したかったんです。電話の向こうの弟さんには、東京に行く前に実は会って話をしています。お兄さんよりもさらに若い世代で、地域から離れることを選択した人の生き方も映画に登場させたかったんです。現在も部落に住む人々の話だけでなく、ルーツに対する意識の多様性も描ければと思って、あの場面を撮影しました。

――地域に住み続け、振る舞いを模索している人もいれば、外からの人を受け入れ、比較的出入り自由な地域があることも、この映画では紹介されています。部落差別を考える上で「土地」は大きな要素だと思いますが、地縁に縛られないで生きる選択肢もありうる時代じゃないかと、観ながらちょっと思ったりもしたんですよね。

満若:僕が言うのもなんですが、各人が部落出身であることに誇りを持ってもいいし、持たなくてもいい。自由にアイデンティティを選べるのが一番良いのではないかと思います。ですが、部落差別がそれを許さない現実がある。本人がそう思っていなくても、周囲がそう見るから差別される。部落差別は極端な話、本人の意志とは関係ないんですよ。本人が背負っていようがいまいが差別が発生する。そういう問題でもあるんです。

▼Page3 “他者の視点”で見続けた「部落問題」に続く