【Interview】“他者の視点”で見続けた部落問題〜『私のはなし 部落のはなし』満若勇咲監督インタビュー

満若勇咲監督


“他者の視点”で見続けた「部落問題」

――その意味では、歴史とは分断されたところで、現象のみで部落を捉え、インターネットに晒している人や、現在でも出自を物差しにするような、ある種の差別意識を丸出しにする人も登場しますよね。

満若:現実にそういう人たちがいる、ということです。彼らの持つ部落への差別意識や偏見は、現在の日本で僕たちが持つ偏見や差別意識と、大なり小なり重なる部分があると思ったので。

――彼らをみて、部落問題を知ろうと思って映画を作ることも、興味本位で部落を捉える要素があるから、一歩間違えば「差別の助長」に繋がりかねない際どさがあるのかな、と考えてしまいました。満若監督には、そのような葛藤はありましたか。

満若:要は、何か起きたときに解決のためのコミュニケーションを取る回路があるのか、ないか、ということだと思います。

『私のはなし 部落のはなし』では、映画を作ることも、地名を出すことに関しても、地域の了解を得ながら進めました。ですが、住人の中には隠したい人もいるでしょうから、彼らへの加害となる可能性は当然あります。ですから、もし何かトラブルが起きた時には、僕との間に入る人を、コーディネーターのように立てて、仲裁してくれるような対応ができるようにしています。このことは『にくのひと』の反省から心がけたことではあります。

――結果として『私のはなし 部落のはなし』はほとんどの人が実名で、法的係争下にある人同士も全部映画に出てきます。とても繊細な作業だったのですね。

満若:「全国部落調査」復刻版出版事件の被告を取材することを、原告である部落解放同盟にも伝えた上で取材に応じてもらいました。もちろん、映画に登場する被告を見れば不快だし複雑な気持ちになる方はいるでしょう。それでも、事件を描く上で被告に取材する必要があることをご理解していただいたことに感謝していますね。

――過去の部落問題をテーマにした作品のように、ある特定の土地を舞台に、問題を描く方法もあったかとは思いますが、そのような方法を採らなかった理由を教えてください。

満若:土地に住みこむ方法論も考えましたが、早い段階でそれは違うなと思いました。自分は異邦人であり、他者としてどう部落を描けるのかというスタンスは、『にくのひと』での経験から今回の映画に課したテーマです。他者ではあるが、この日本社会に現実としてある問題とどう関係を築いていくかというのは、僕だけではなく、圧倒的大多数の日本人が持つ課題だと思うんですよね。だからこそ、住むとも違う、当事者性を持つとも違う人間が他者性を保持したまま、どう部落問題と関わったのかを、きちんと描くことが重要だと思いました。

それに一つの地域に限定してしまうと、どうしても部落のイメージが固定化し、部落イコールその地域、みたいな見え方になってしまう。ひと口で部落といっても、都市型とか農村型とかいろいろあって、貧しい人もいれば金持ちもいるし、多くの人が屠畜業に従事するような地域もあれば、そういった産業がない地域もある。「部落とは〇〇である」と、ひとつの言葉ではなかなかくくれないんですよ。ですから部落そのものの多様性を描かないことには、テーマに挑んだことにならないと思いました。

――取材を通じていろんな角度から捉えようとすることで、改めて部落問題が見えてきた部分はありますか。

満若:部落問題は、なかなか難しい問題で、映画が完成した今でも、まだまだよくわからないというのが正直なところです。まあでも、映画を一本作ったからといって、その問題を全て理解できるはずがないですよね。ただ、すくなくとも自分なりに、部落問題への向き合い方は提示できたと思います。

あえて感想的なことになりますが、撮影していて、出身者の人たちの会話で一番盛り上がるのは、やはり差別の話なんですね。対話シーンはもちろんのこと、酒盛りの場面を撮影していても、はじめは好きな歌手の話とか世間話だったのに、酒のつまみであるかのように自然と差別の話題になる。それは本当に悲しいことです。撮影中、それが狙いでもある一方で、とても複雑な気持ちになりました。

「部落問題」から見る日本

――3時間25分と長編になりましたが、編集段階でどのような試行錯誤をされましたか。

満若:構成が一番難しかったです。このテーマはゴールがなく、物話の大きなクライマックスみたいなものも無いから、どう話を詰めていけば良いのか、そこは苦労しました。3時間半、飽きずに見てもらえる作りにするにはどうしたら良いか、編集の前嶌健治さんとはけっこう議論をしました。そこで細かく30分ぐらい切った3時間版を作ってみたのですが、小さなエピソードを無くすと、一つの作品をみた感じがしなくなって、映画体験として弱くなってしまう気がしたんですよね。最近長尺の映画が増えているので、勢いでやった、みたいな部分もありますけど。

――映画化する行為は、社会に潜在する構造を可視化することでもあるし、監督自身の思いを血肉化する作業でもある。今回の「部落問題」というテーマで言えば、実態が曖昧で、なんとなく言い伝えられてきたことを、きちんと記録し、刻印する作業だったと思いますが、そういう作業を通して、監督自身はどんなことが伝えられたと思いますか。

満若:映像が血肉化したかとか、そこに存在があるように感じてもらえたかどうかは、お客さんの評価に任せますが、部落問題が顕在し続ける一つの理由として、「言葉」の問題が大きいと思いました。突き詰めて考えると部落問題は言語ゲーム的な性質があると思います。本作では、時代時代によって部落の呼称が変わりながら差別がこの社会に残り続けてきたことに着目しました。そして差別する理由は根拠がないままに時代ごと変化して、「差別される名称」をつけられたが故に差別されてきた。実態がないから、余計に根深く、苦しいし、差別をする人間も、その理由をよく理解していない。ただ差別される当事者には「苦しさ」が残り続け、その感情が蓄積されていく。『にくのひと』への怒りへとつながった背景もそのような感情の歴史があったのだと思います。

ですから、言葉の問題であるが故に、容易に克服しづらい問題である反面、全国水平社が1922年に「エタであることを誇りうる時が来たのだ」と宣言したように、言葉の意味や価値を訂正できる可能性があると感じます。もともと「部落」という言葉だって、被差別部落のことを指す言葉ではなかったのですから。

言葉の問題である以上、それは日本という文化や人々の意識の問題であるともいえます。部落問題を突き詰めていくことでみえる“日本”の姿があるんだと、本作の制作を通じて感じました。ハードな取材でしたが、その視点は面白いなと思いました。

場面写真は全て©︎『私のはなし 部落のはなし』製作委員会


【映画情報】

『私のはなし 部落のはなし』

(2022年/205分/日本/ドキュメンタリー)

監督:満若勇咲
プロデューサー:大島新
撮影:辻智彦
編集:前嶌健治
整音:高木創
音楽:MONO
語り・テキスト制作:釆奈菜子
配給:東風

5/21㊏より[東京]ユーロスペース、[大阪]第七藝術劇場、シネマート心斎橋、[京都]京都シネマ、京都みなみ会館にて公開、ほか全国順次公開

https://buraku-hanashi.jp/

【監督情報】

満若勇咲(みつわか・ゆうさく)

1986年京都府生まれ。05年大阪芸術大学入学。映画監督の原一男が指導する記録映像コースでドキュメンタリー制作を学ぶ。在学中にドキュメンタリー映画『にくのひと』、『父、好美の人生』(監督・撮影)を制作。『にくのひと』の劇場公開が決まるも、その後封印。映像制作・技術会社ハイクロスシネマトグラフィに参加後、TVドキュメンタリーの撮影を担当する。19年からフリーランスとして活動。主な撮影番組に「ジェイクとシャリース~僕は歌姫だった~」(20/アメリカ国際フィルム・ビデオ祭 ゴールド・カメラ賞)、「ETV特集 僕らが自分らしくいられる理由〜54色のいろ鉛筆〜」(21)など。ドキュメンタリー批評雑誌「f/22」の編集長を務めている。