【TDFF特別Review】映像の官能性と物語性について――『私はおぼえている:竹部輝夫さんと中津の記憶』text 寺本郁夫

10人の鳥取の古老たちが幼少時からの思い出を語る224分に及ぶ波田野州平監督の連作『私はおぼえている』の一篇。老人の語る姿を正面からのカメラがひたすらに見据える。そんな映画に、なぜこれほど目を凝らして見入ってしまうのか。それは明かされる話の無類の面白さのためだけではない。彼らの語りが映像ならではの官能性と物語性によって伝わってくるからだ。

冒頭、つづら折りの山道を辿る車窓の風景に、極貧だった農家の暮らしを語る竹部輝夫さんのモノローグがかぶさってくる。フロントガラス越しの画面は、見ている我々も思わず身体を左右に動かしたくなるくらいに揺れている。貧しい生活を語る思い出話のあっけらかんとした剽軽さに引き込まれながらも、その映像の揺れ動きはどんどん山奥へ分け入っていくという空間的経験を、私たちの身体に刷り込んでくるようだ。語り手の生きた空間が私たちの身体に入り込んでくるような映像体験と言うべきか。

語り手の経験を直截に身体に届けてくるそんな映像の官能性は、声の響きそのものにも感じとることが出来る。加齢に伴う声帯や口回りの筋力の劣えは人の声から張りや艶を奪うけれど、そのことで声には独特のニュアンスを伴った音の肌触りが生まれてもくる。そんな声の物質性を伴った感触を、見る者は受け止める。例えば、竹部さんは酔った父親が人事不省に陥る状態を「てんぽろさあになっちゃう」と表現する。オノマトペの表情の豊かさとともに、呂律の緩いしわがれ声は、その言葉に言いようのないペーソスと幼児のようなあどけなさを、感触として纏わせる。語られる物語が声によってある強靭なボディを獲得する、と言ってもいいだろう。

声だけでなく音も、見る者の触覚に訴えるような肌触りを持っている。満州での体験を語る竹部さんは雪が地表を薄く覆う感じを表現しながら、炬燵の天板をざらっと撫でる。その音には、彼の味わった大地の肌合いが蘇るような生々しさがある。その無造作な手の動きから身体の記憶する感触が彼の中で甦るのを、見ている者も確かに感じる。かかる手の動きは、竹部さんが山で鹿や猪を捉える罠を作る場面でも豊かな表情を見せる。繊細さと力強さが入り交じったような手の作業は、それが操る針金や竹の棒の手触りを我々観客に呼び覚ます。動作を凝視する映像は、しばしば私たち観客にとって官能的な体験となるのだ。

先に述べた車窓に揺れ動く風景だけでなく、この映画ではフィックスで撮影された風景もやはり不断に動いている。草木は谷間を渡る風でざわざわとそよぎ、川の水はさざめきながら流れ続ける。行く川の流れは絶えないけれどそれはもとの水ではない。流れる風や水はそこに在りながらも過ぎ去っていく。そんな風景にしばしば老人たちの若き日の写真が差し挟まれるので、過去から現在、未来へとたゆみなく流れる時は、この映画のもう一つの主題を形成していきもする。そうした象徴性が与えられながらも、しかし風や水のさざめきやそよぎといった動きとそのなまめかしい音とによって、風景は見る者の身体に直接届けられる。

そして、それら風景に常に竹部さんのモノローグが被さってくることで、風景はあくまで主人公が歩き獣を屠った場所であることを示し続ける。空間は主人公を物語るためのインティメートな場所であり続ける。そんな風に風景が帯びる私性と物語性は、たとえば、草野なつか監督の『王国(あるいはその家について)』の映像を思い起こさせる。あの映画が延々とワンショットの映像で眺めていた車窓からの街は、ヒロインの中にある破局的な決意を醸成していく風景として、観客に示されていた。その種の風景の物語性が、『私はおぼえている』では、ドキュメンタリーの映像として立ち現れてくる。映画というものの不思議な属性を、そのことは私たちに垣間見せるのだ。

【作品情報】

『私はおぼえている:竹部輝夫さんと中津の記憶』
(2021年/日本/カラー/デジタル/日本語/37分)

語り手: 竹部輝夫
聞き手 監督: 波田野州平
集録地: 鳥取県東伯郡三朝町中津

制作: 現時点プロジェクト
プロデューサー: 上所俊樹 野口明生
撮影 編集: 波田野州平
アニメーション: 池口玄訓
タイトルデザイン: 清岡秀哉
スチール: 河原朝子
字幕: 中山早織

『私はおぼえている』は記録集団・現時点プロジェクトが、2017年より鳥取県で制作している映像シリーズです。このシリーズは鳥取に暮らす高齢者の方に、カメラを前に「おぼえていること」を語ってもらいます。シリーズ10作目の今作は、92歳になる竹部輝夫さんに、15歳で極寒の満州鉄道で働いた話や、戦後の都市化とダム建設により、村民が自分ひとりになった山間の集落について話していただきました。
なお、『私はおぼえている』(224分版)は11月、インドネシアの国際ドキュメンタリー映画祭(Festival Film Dokumenter2022)の長編部門でグランプリに値する最優秀国際長編ドキュメンタリーに選ばれました。

新宿K’s cinemaでの上映は、12月12日(月)16:05〜と12月21日(水)12:20〜。※『不安の正体 精神障害者グループホームと地域』と併映

【執筆者プロフィール】

寺本 郁夫(てらもと・いくお)
映画批評家。80年代の季刊『リュミエール』に映画批評を発表。以来、TOWER RECORDSの『intoxicate』、『映画芸術』に映画批評を寄稿。映画の批評とはその映画の独自性を発見すること、および、その批評を通して映画とは何かを発見することと信じる映画原理主義者。さらに、映画批評は単に映画を発見するのみでなく、映画を表す言葉を発見しなければならないと信じる批評原理主義者。座右の銘はメルロ=ポンティの次の言葉。「(『語る』という現象において)話し手は語るに先立って考えるのではない。話す間に考えるのですらない。語るということが考えることなのである。」