2022年9月から11月にかけ、シアター・イメージフォーラムでの上映を皮切りに、第36回イメージフォーラム・フェスティバル(IMF)が行われた。「アンダーグラウンドを再想像する」と題され、「“アンダーグラウンド”という言葉の現代性を、映像作品や上映文化のあり方についてのトークなどを通じて提示すること」を試みた本映画祭では、アメリカの60年代アンダーグラウンド映画を牽引していたグレゴリー・マーコポウロスの『イリアック・パッション』や、『熱波』で知られるポルトガルの監督ミゲル・ゴメスの新作『ツガチハ日記』などさまざまな作品が上映され、ミャンマーのZ世代の映像制作にスポットライトを当てたシンポジウムなども開催された。
IMFでは名古屋大学で教鞭をとる映画研究者・馬然氏のキュレーションによる「青年特快:中国インディペンデント映画の新しい声とビジョン」、および馬氏が登壇した「中国インディペンデント映画の今:パンデミックの最中」というシンポジウムも注目を浴びた。今回neoneowebでは、馬氏の門下生たちによるIMFのレポート、および中国のアート映画に関する記事を連続で掲載する。第二回は近年の中国における「ニューシネマ」の動向に着目した、映画研究者・王穆岩氏のエッセイとなる。
(翻訳:羅霄怡、校閲:小島秋良)
この記事はフランス映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の2021年3月号に掲載された中国映画の新しいトレンドに関するエッセイの中国語バージョンで、オリジナルのフランス語バージョンに若干の加筆、修正をしているが、主旨や観点の中心に変わりはない。1970年代と1980年代から、優れた映画作品を求め探し出す人々と、開化的で好奇心の強いヨーロッパの評論家(その多くはフランス人)が、中国映画(より厳密に言えば華語映画)を国際舞台に再び紹介し、世界映画の見取り図の再編成と再構築を行って以来、中国映画は文化、社会、経済を開放しながら国際情勢に合わせ、自らも発展してきた。21世紀の第2の10年を迎え、新しい波が押し寄せてきているようだが、中国映画は今どこにいるのか、どのような新しいトレンドがあるのか、そして未来へどのように向かっているのだろうか。現代は最高の時代なのか、最悪の時代なのか、あるいはその両方なのか。言うまでもなく筆者は「概説」のリスクと不確実性を承知しており、この短いエッセイはこれらを定めようとするものではない。筆者の意図は、予言的な宣言ではなく、過去数年間の映画鑑賞と映画選定で観察されたものとして点在する、あるいは散在する兆候をそのまま提示することであり、この新しい波――おそらく本当の「ニューウェーブ」の到来を草案としてスケッチしたものである。
まず、単純かつ明確な二つの事実を認めることから始めよう。一つは中国映画が常に検閲に直面していることだ。表現の自由がない国では創作の自由は決して保証されず、検閲の存在はつまるところアートの発展を阻害することになる。(それでも他の作品とは一線を画すような優れた作品が数多く存在することも否定できない。それは映画の誕生以来、私たちが目撃してきたことでもある。しかしそれはまた別の問題である)さらに悪いことに、検閲の結果として自己検閲が行われるようになる。経済的に言えば、もう一つ見えない資本の検閲がある。それは中国の映画産業は中国の経済状況と同じく、まだ「資本主義の原初段階」にあるため、資本をより多く得られる作品が勝ち残る弱肉強食の原理が依然として最も有効な判断基準となっているからである。この二点は本文中のすべての論述の前提となっており、その上中国映画の最大の危険性を示しているものである。
長い間、中国の監督を世代別に分けてきたが、それが成り立っていた理由は、歴史サイクルの明らかな変動であり、時代が圧迫的かつ排他的な形で共有する集合的な記憶とスティグマをも生み出し、その上映画制作に携わるには高い壁があったからである。そのため、文化大革命の時代に育った「第5世代」の監督たちは、むしろ過去に遡って「家族・国家」の神話を再構築し、解釈し直そうとすることに夢中になっているのだ。これは物語を語る権利の闘争(と失敗)でもある。1980年代の文化的・知的な雪解け/解放を経験した第6世代は、リアルだが相対的な個人主義の形で現在の社会に立ち向かいはじめ、人と時代の衝突を描き出すことに専念し、それによって正当な物語を解体、脱構築したのである。比較的語られることが少なく曖昧で、かつ移行期ともみなされる第7世代とそれ以降の世代は、グローバル化やインターネットとテクノロジーによる文化の民主化の利益を享受し、中国の新しい世代の監督として誕生している。彼らは必ずしも映画学校の出身者だけではなく、すでにシネフィルであることも多く、個人的な表現に焦点を当てて、国際映画祭が後押しするアートシネマの美意識傾向を追い、それらに注意を払っている。フランスでは、シネフィル文化が今もなお映画作りの原動力になりうるかどうかが議論されており、歴史的な再検討が行われ、シネフィル文化が中国映画史上かつてないほど、中国アートシネマの発展の原動力のひとつとして有効に機能していることは間違いない。作家論が根強く(映画制作において、中国もヨーロッパと同様の監督中心主義を採用している)、映画を専門的に学んだわけでもなく、創作のはしごシステムを受け入れる気もない人々が、映画への情熱を実践に移そうと動いている。彼らを第8世代と呼んでもいいかもしれないが、実際は集団の記号を個人の芸術で壊そうとする創作者たちをもはや世代という枠組みには当てはめることはできない。8を反転するなら無限∞になり、果てしなく続き、散り散りになり、まさしく「百花斉放」であり、物語は続きがあるということを示す。つまり、ニューウェーブが生まれるための外部条件はすでに整っているように思われる。それは映画機材や技術の継続的な大衆化と普及、活気あるシネフィル文化の発展、および中小予算作品の隆盛である。
中国映画の南方への移行、あるいは南方映画の再興という傾向が強まっている。いわゆる南方映画は当然北方映画と比較されるが、その比較の文化的気質は地理的境界の区別よりも大きいことは確かである。もちろんこれはまず歴史の産物の違いである。1949年以降の大陸映画の断続的発展は、中心の北への移動を伴っており、一つには政治と文化の中心志向と融合および文化に対する政治の役割、映画はアートよりプロパガンダの道具であると同時に、映画教育はソ連モデルの適用であることも理由としてあげられる。無意識のうちに、これらは長い間において中国映画、特にアートフィルムの主流となる気質を形成してきた。すなわち粗っぽい写実的なスタイルが中心となって、個人の運命を書くことで家族と集団、社会を示唆し、暗喩しているのである。しかしながら近年は、経済発展に伴う映画創作の可能性も増幅し、特に映画鑑賞手段の脱エリート化は、異なる文化体系を持っている南方映画が徐々に発展・拡大することに寄与し、南方映画は表舞台に立つようになってきている。象徴的な一例を挙げれば、『凱里ブルース』以降有名になった毕赣 (ビー・ガン)監督は南方映画台頭の端緒と見ることができ、一方『象は静かに座っている』の胡波(フー・ボー)の自殺は北方映画の一時的な終焉と見ることができるだろう。生きるために歌うのか、あるいは死に向かって生きるのか、勿論、それは各々創作者の個人的な経験や生活体験にも関わっているが、映画は最終的に文化を垣間見ることができる最良の媒体であり、しかも文化はそもそも土壌が生み出すもので、言い換えるならば風土が人柄を育てるということでもある。映画の南方化とともに、現地化、地域化も進んでおり、方言映画の制作は、実は、標準語映画の画一的なパターンに言語を持って対峙する試みなのである。これには、正当なリアリズムからの自然な脱却が伴っており、粗っぽい現実が中国映画の唯一の声ではなくなったのである。
台湾映画界の二人の巨匠が代表する二つのジャンル、二つのスタイルあるいは世界観は、中国ニューシネマを分割して左右するような影響を与えるだろう。1980年代から1990年代にかけて生まれた映画作家たちは、楊德昌(エドワード・ヤン)と侯孝賢(ホウ・シャオシェン)に代表される台湾ニューシネマに出会い、しばしば決定的で深い影響を受けた。中国において数十年にわたって行われた政治・文化運動【訳注:文化大革命など】は広義の「中国文化」を破壊してしまった。そのため中国の若い映画作家たちは広義の「中国文化」に対し、どこか馴染むことができず距離を感じていたのだ。しかし台湾ニューシネマとの出会いは、自分たちの失ってしまった広義の「中国文化」の再発見となり、そこへの帰属意識を見出した。彼らが生きている大陸社会とニューシネマ時代の台湾社会との間には、相違点もあるがどこか親しみを感じさせる点もあるのだ。田舎風であれ都会風であれ、内省的であれ思索的であれ、ホウとヤンの映画における全く異なる現代性の表現は、現在の中国映画にとって尽きることのない栄養源となり、興味を持った人々は現代性という流れを遡って他の映画界の巨匠にも出会うよう促されるのである。このニューウェーブの中で、ホウ、ヤンの名前と彼らの作品の影は、引き続きあちこちで言及され、目にすることになるだろう。両者またはどちらか片方であったとしてもその影響力から逃れることは難しい。これは比較対象がないため仕方なく彼らを参照するという意味ではなく、彼らが実質的な影響力を持っているためである。もちろん、このことは模倣という危険も伴うが、影響と模倣はしばしば連動しているため、他人の映画を参考にしながら、いかに個人的な多様性を発展させるかが、中国の若い世代の映画作家にとって課題と挑戦にもなっている。
近年の中国ニューシネマの監督たちによる長編デビュー作や第2作の傾向から、以下の二つの形式の映画が集中的に、あるいは繰り返し作られることがすでに想定されている。一つは「犯罪」ジャンル、あるいはネオ・フィルム・ノワール、それも罪―罰―救いのパターンで出てくるものである。ジャンル映画は、作家性のある映画の対極として、いささか軽ろんじられてきたが、ここ20年来の韓国映画の成功に触発されて、イデオロギーとマーケットの両方の圧力の下で、ジャンル映画はかえって作家表現の有効な出口であり、その上マーケットで一定の興行収入をあげる可能性があることに気づく若い創作者が増えているのである。しかし、出口と方向性があるだけでは十分ではなく、成功したあるいは少々贅沢に言えば権威のあるジャンル映画には、確かな技術と成熟した監督の演出意図が必要であり、それは映画制作を始めたばかりの、あるいは始めようとしている映画作家にとっては難しい場合が多いのである。そのため、前述の「罪―罰―救い」モデルは、実はまだ成熟していないのだが、すでにフォーマット化されている。罪は、1990年代から2000年代初頭(少なくとも2012年まで)に生じたものであることが多い。この時代は映画作家自身が過ごした激動の時代でもあるため、罪を作品内で取り上げやすいのだ。罰、特に救いは真相の追求や失敗とともに、常に現在において起こることが多い。つまり、現在を生きる人物が過去の罪を引き受け、自己の贖罪を完成させるのである。さらに、この贖罪はしばしば失敗し、その試みは新たな「罪」を誘発することにもなるのだ。これは、実は中国近代化プロセスにおける資本主義の原始的な蓄積段階のいわゆる「原罪」が、正面から探究し表現できないままとなっている過程で徐々に累積されたもので、このジャンルが社会的な表現の間接的な出口にもなったのである。
もう一つの形式は、自分自身や周りの人にカメラを向けるというものだ。私的な映画の性格を持っていて、現実とは何かを探究し、あるいは現実とフィクションの境界を打破しようとするドキュメンタリーの実験、すなわちエッセイ映画である。この二つの形式を観察すると、逆説的だが合理的な事実が浮かび上がってくる。このように「事実」が欠落している時代だからこそ、真実への欲求は尽きないということである。
中国ニューシネマもジレンマから脱却し、支援を受ける必要がある。ジレンマというか、むしろ残念な事実が中国ニューシネマにはある。それは映画に付随し匹敵するような批評システムが欠けていることである。経済発展とシネフィル文化の隆盛はフランソワ・トリュフォーが当時、皮肉にも正確に描写/予想したような現象を生じさせるかもしれない。それは「数年後には、誰もが二つの仕事を持つ。自分の本職と映画評論家である」というものである。実はインターネットの台頭はコミュニティから生まれた若いシネフィルたちから始まったのである。そのため評論者自身は従来の独立した映画批評システムの創始者になれる可能性があった。ところが、商業的な潮流がやってきてすべてを一掃し、新メディアはあっという間に商業宣伝の道具となり、シネフィルの感情の後には腐敗したお金、いわゆる文章取引が数多く生じている。なかでも有名なものが「軟文」である。【訳注:「軟文」というのは批評者が映画制作側あるいは宣伝側からお金をもらって賛美的な映画評論を書き出す現象のことである】結局のところ、数千元のお金を受け取って偽の「批評」をするメディアによる他の映画に対する批評も、その良し悪しに関わらず信用できない。あるいはまた、同じトリュフォーからの言葉だが、おそらく私たちは、F.W.ムルナウの映画を見たこともない人たちによって評価されることに、そのうち慣れてしまうのかもしれない。最後に、中国ニューシネマ、特にその中の「作家の映画」は、より効果的で、ターゲットを絞った、強力なアートハウスシネマの支援を必要としている。さらに良いのは、アートフィルムを支援するより強力な文化政策を行うことである。
【訳注:このエッセイはフランス語で書かれた原文の中国語訳を基に、日本語に翻訳したものである。この記事の中国語版は、2022年3月6日に「澎湃新聞」の公式アカウントに掲載された。また( )内は筆者による注である。このエッセイをシェアしてくれたWang Muyanさんに感謝いたします。】
【執筆者プロフィール】
王穆岩 (Muyan WANG)
パリを拠点に活動する中国映画評論家。2012年以来、「The Paper」などのいくつかの中国メディアの特派員を務める。米雑誌「Film Comment」やフランスのメディアに寄稿。翻訳者でもあり、「Robert Bresson, Bresson par Bresson」(日本語版:『彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー 1943–1983』)の中国語版の翻訳を担当。