【Review】すぐそばにある「わからなさ」ーー『上飯田の話』 text 若林良

『上飯田の話』 ©たかはしそうた

 上飯田の話、というタイトルを事前知識なく聞いてまず推測したのは、「“上飯田さん”なる人物の話か」ということだった。たとえば、上飯田太郎さんとか、上飯田花子さんとか。いや、もうちょい今風に、かつジェンダーレスなネーミングで「上飯田ひなた」(赤ちゃん本舗の会員情報で、2022年に生まれた女の子の名前ランキング3位、および男の子の名前ランキング4位。なお後者は正確には「陽向」と漢字表記となる)さんとかなのかな……。などと思っていたら、上飯田とは人名ではなく地名とのこと。日本でその名を持つ土地はいくつか存在するものの、この映画でいう上飯田とは、神奈川県横浜市泉区に位置する「上飯田町」のことなのだと。そうか、知らなかった。同じく横浜市在住の私は、家からのルートをとりあえずググってみたが、私の家の最寄り駅から上飯田町の最寄り駅まではおよそ50分弱。近くもないが、そこまで遠くもない。同じ横浜市内でも、このように知らない土地も多いのだろうな。……って、何をどうでもいいことばかり書いてるんだ俺は。しかし眠いのでこれ以上頭が働かない。明日以降にまた考える。

 (翌日になり)……いや、あんがい、どうでもよくないような気もする。なぜか。めちゃくちゃざっくりいえば、日常において私たちが接する情報は、ほとんどの場合が断片に留まっており、結局、私たちは最後には自分の想像力に頼り、欠けているピースを埋めるほかはないからである。

 いきなり話がでかくなってしまい恐縮だが、これはもちろん、脈絡もなしに唐突に頭に浮かんだ雑念というわけではなく、『上飯田の話』という映画を見て考えたことである。

 『上飯田の話』は、「いなめない話」「あきらめきれない話」「どっこいどっこいな話」の3つのショートストーリーで構成された、およそ60分の映画である。しかし、各エピソードは、明確な起承転結があるわけでも、オチらしいオチがあるわけでもない。

 生命保険会社の外交員である女性・ヒロコが依頼を受け、乾物屋を営む男性・マコトのもとを訪れる「いなめない話」では、マコト夫妻の不和の根底にあるものは何なのか、はっきりとはわからないままだし、弟ショウが婚約者を連れて兄ツヨシのもとを訪れる「あきらめきれない話」でも同様に、なぜツヨシが弟の結婚式への出席をかたくなに拒むのかはわからない。そして、知らない土地を写真に収め、そこでの生活を夢想するナオキがマコトと出会う「どっこいどっこいな話」もふくめ、人物たちの関係には、よくも悪くも劇中で明確な進展がみられることもない。いささか狐につままれたような形で、それぞれのエピソードは幕を閉じる。

『上飯田の話』 ©たかはしそうた

 とはいえ、監督のたかはしそうたが、いわゆる直線的な物語文法から逸脱したところに自身の場所を見出していることは自明であろう。

 「いなめない話」における、公園のベンチでマコトに保険の説明をするヒロコを尻目に、カメラが彼らに興味をなくしたかのように360度のパンを見せるシーンはまさに本作の白眉であろうが、それに先がけて、本作の始まりを思い返そう。ヒロコは歩きやすいスニーカーから営業用のハイヒールに履き替え、目的地であるマコトの店へと向かっていく。そのあいだのルートでは、歩く彼女を引きのショットでとらえるカメラは、むしろ工事現場の光景や補聴器の店先で中の人に話しかける女性、また乾物屋に陳列されている商品のすがたを前景化させ、いわば、主人公の外側にある存在への興味をうながしているかのように感じられる(加えて、突然に出てくる「空ひろいなあ」というセリフも印象的である)。

 また、前述の公園のシーンでも、カメラの中心となるのはヒロコとマコトのすがたではあるものの、観客は、ヒロコによるやや冗長な生命保険の説明から、しだいに背後の車道を通り過ぎる車や、ささいな木の葉の揺れに自身の関心が移っていくことに気がつくだろう。まさにそのタイミングで、決定的なパンがおとずれ、ヒロコが関心を向けなかった(それどころではなかった)ブランコやすべり台などの公園の遊具、またキャッチボールをする男性など、彼らの外側にある世界があらわれるのだ。予告もないパンに驚かされつつも、そこに感じるのは不快感や戸惑いではなく、ちょうど仲のいい友人の意外な趣味や言葉に触れたときに感じるような、不思議な清涼感である。

 さらには、「どっこいどっこいな話」において、生い茂る樹木に目を留めるナオキのもとに、初老の男性が現れて説明を始めるシーンも特徴的である。ソフトボールの大会で沖縄に行き、そこでもらったバナナの苗木をここに植えて、もう15年になる……といった初老の男性の語りと、耳を傾けるナオキのすがたにカメラは焦点化することなく、バナナの木を中心としたショッピングセンターのすがたを、カメラはこれまた引いた位置から、固定ショットでとらえつづける。ふとした風でそよぎを見せる、バナナの木の葉。故郷から遠く離れ、関東の地に(文字通り)根を下ろした彼はいま何を想うのだろうか――。そんな想像も、自然と喚起されてくる。このように、特定の人物に関心を絞ることはなく、むしろ人物の外にあるさまざまな豊かさに光を当てることが、たかはしの作家的姿勢であるといえよう。

 そういえば、本作には角を曲がるシーンが多く、それによって、また新しい風景が私たちの目の前にはあらわれる。これはたかはしが「直線」ではなく「曲線」を好むことの一つの象徴であると同時に、そうして醸成される画面の広がりによって、本作の主人公は人物ではなく、むしろ街そのものなのだと感じられてくる。

 たかはしそうたは上飯田の住人ではなく、「上飯田ショッピングセンター」の建物のたたずまいから映画の着想を経て、現地を何度も訪れ、製作を進めていったという。そのせいか、各エピソードはいずれも「よそもの」――(おそらくは)上飯田の外で暮らすヒロコやナオトが誰かのもとを訪れる場面からはじまる。彼らはふとしたきっかけで、上飯田に暮らす人とつかのまの接触を持つ。地元の居酒屋で陽気なおっちゃんたちと微笑ましいやりとりをすることもあれば、その場のノリでほぼ初対面の人と花火に興じることもあるし、訪れた相手の態度にいささか釈然としないまま、会合を終えるようなこともある。誰かと通じ合えたような、そうでもないような、人によって受け取り方も異なるであろうこのような体験は、これまでたかはし自身が実生活で積み上げてきた、自身の血肉となってきたものでもあっただろう。

 私たちがこの映画から知れる上飯田の街の情報は、人物のそれと同じように断片的である。ショッピングセンターのシンボルのようなバナナの木、高度経済成長期の名残を残す団地、かつて街を回っていたと語られるおみこしの音色。それらは一つひとつが魅力的に映りながらも、決定的な像を結ぶことはなく、さまざまな想像の余地が残されている。そして、だからこそ魅力的に映るのであると思う。

 簡単にわからなくてもいい。簡単にわからないからこそ、何かを知りたい、何かに近づきたいと思えるのだから――。そのような言葉を、テクノの懐かしい響きとともに耳元にそっとささやく。『上飯田の話』は、ちょうどそんな映画だった。

『上飯田の話』 ©たかはしそうた

【映画情報】

『上飯田の話』
(2021年/日本/カラー/スタンダード1:1:33/モノラル/63分)

監督/脚本/編集:たかはしそうた

撮影監督:小菅雄貴 録音:河城貴宏 助監督:福地リコ 制作:生沼勇 整音:浪瀬駿太 音楽:本田真之 絵:西永怜央菜 DCP制作:西後知春 宣伝協力:ガブリシャス本田 協力:㈱エビス大黒舎 上飯田ショッピングセンター 英語字幕:Megumi Suehara

キャスト:竹澤希里 本多正憲 吉田晴妃 黒田焦子 日下部一郎 生沼勇 荒川流 上飯田町の皆様

公式サイト:https://kami-iida-stories.com/

2023年4月15日(土)~28日(金)まで、ポレポレ東中野で公開

【執筆者プロフィール】
若林 良(わかばやし・りょう)
1990年生まれ。neoneo編集委員。編著『ダルデンヌ兄弟 社会をまなざす映画作家』が発売中。