【連載】ドキュメンタリストの眼vol.28 アレクサンドル・ソクーロフ監督インタビュー text 金子遊

アレクサンドル・ソクーロフ監督

7年ぶりにソクーロフの監督作が上映されると聞き、2022年秋の東京国際映画祭に観に行った。劇映画もドキュメンタリーもジャンルに縛られることなく、多作で知られてきた映画作家にしては随分と間があいた印象だった。作品は期待を裏切ることなく、ソクーロフらしい作品であったが、説明がむずかしい摩訶不思議な作品であった。
ヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、チャーチルといった第二次世界大戦に関わった各国の指導者たちが、死後の世界において神の裁きを待つ。そこで互いに対話を重ねるのだが、その映像はすべてアーカイヴ映像を使用している。イエス・キリストやナポレオン、神の声までが登場し、ダンテの『神曲』を思わせる虚構的な世界のなかで独裁者たちがしゃべり、歩き、毒舌を吐き、感情を高揚させる。一体この作品はどのように創造されたのか。オンラインではあったが、ソクーロフ監督に直接話しをうかがった。

――ヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、チャーチルの実際の映像フッテージを使って、この映画をつくるという発想はどこから来たのでしょうか。

ソクーロフ 過去の歴史的な人物を再現したい、最大限それらの人たちの人物像に肉薄したいという思いは、かなり以前から持っていました。もちろん有名な人物ですので、これまでにいろいろな国の劇映画において彼らについての作品が撮られてきました。最近の例でいえば、イギリスでチャーチルの伝記映画がつくられましたよね。作品としては満足のいく出来栄えのものでしたが、どうしてか、わたしは俳優が演じる人物やそのような映画を気に入ることができないんです。

 わたしもいい年になり、今年は72歳になります。これまで国家の中枢を担うような人物たちと親しくつき合ってきました。大統領もいれば、外交官もいれば、政治家もいます。かつてのロシア大統領だったエリツィンとは友好的な関係を築きましたし、現職のプーチン大統領とも付き合いがあります。そのなかで気づいたのは、彼らが公的な場で振る舞う姿と、実生活のなかでの彼らの言動が異なるものだということです。またロシアだけでなく、ヨーロッパのさまざまな政治家たちを注意深く観察してきました。

 わたしには気になることがありました。西側陣営だとか東側陣営だとか、どうして国家の中枢にいる人たちは、自分たちと異なる考えをもった国家やグループが存在することを好まないのか、嫌がるのかということです。バルト三国、スカンジナビア半島の北欧の国々、東欧のポーランドなど、どうして彼らが一体になってNATOとロシアのあいだで中立地帯をつくろうとしないのか。どうして、どちらかの陣営につくことにこだわるのか。中立であるべきだと主張すると、彼らからは憎悪をともなった反応が返ってきます。それらの国々の人に会うときには「スイスという中立国の例を見てください。あの国が政治的、経済的な面も含めて、いかに発展を遂げているか。そして中立国として、いかに世界中から尊敬を集めているか」ということをお話します。

 今回の作品のオリジナルのタイトルは『フェアリーテイル』であり、おとぎ話という意味です。その物語を通じて、わたしが観客に呼びかけたいのは、次のようなことです。ヨーロッパ世界において、どれだけ戦争が好まれているのか、ということに注意を払ってもらいたいのです。非常に戦争が好まれているが、これ以上このような緊張状態を続けることはできません。ヨーロッパにおいて、芸術、学問、教育、科学が発展しています。それは確かなことです。その一方で、第一次世界大戦と第二次世界大戦が起きたのはヨーロッパにおいてでした。しかもそれは誰かによって考えつかれたもので、つくりあげられたものなのです。

 本作『独裁者たちのとき』のときを通じてわたしが知りたいのは、これらの独裁者たちを観客が好ましく思うかどうかです。彼らこそが過去の世界大戦をはじめた張本人たちなのですが、人びとが彼らのことをどう思うのかと問いたいのです。もちろん「おとぎ話」ですので、芸術作品にすぎません。同様にイタリアではかつてダンテによって『神曲』という文学作品が書かれました。偉大な作品である『神曲』でさえも、その当時に人びとが抱えていた疑問のすべてに答えることはできませんでした。人間の運命というものに関しては非常に多くを語っている作品ではありますがね。 

 ひとつ付け加えたいのは、まさにヨーロッパ大陸にある国々によって植民地主義が生まれたことです。それはおそろしい制度だと思います。かつて世界中で植民地政策がはびこっており、いろんな地域が植民地化されたのですが、例外的に日本だけが明治維新によって明治時代に突入し、ヨーロッパ列強の植民地になることを回避できた国だと理解しております。すなわち独立を守り続けた国ですね。ヨーロッパの列強であるイギリス、アメリカ、ポルトガル、スペイン、ドイツ、フランスなどが日本列島の周囲を取りかこみ、なんとか奪取しようと狙ったのですが、日本はそれに屈することはなかったのです。

――シナリオの執筆、独裁者たちの映像フッテージの収集、絵コンテや映像の合成など、実際の製作プロセスはどのように進みましたか? 

ソクーロフ もっとも重要で、もっとも大変だった作業について、まずお話したいと思います。歴史的な資料をとにかく多く収集するということでした。そのためにわたしたちは大量の書籍を読み、さまざまな書類に目を通しました。実際の映画製作に入る前に、さまざまなペーパーワークもありました。これらの作業は、実際の歴史においてはどうであったのか、そのことを理解するために必要だったのです。第二次世界対戦に関わった兵士の数というのは、総計で1億1000万人になります。おそろしい規模であり、彼らはさまざまな大陸で戦闘をしていた。世界大戦においてこれほどの人数が動員されたことは、天災などほかの大惨事とは比較にならないほどの規模だったのです。それを筆舌に尽くしがたい悲劇だったとわたしは考えています。

 歴史的な資料を集めていたときに、常に抱いていた疑問があります。なぜ、このようなおそろしい世界大戦のあとも、政治家たちは政治的な手段として戦争を使おうとするのか、ということです。当時のヨーロッパにおいては各国が多様な状況にありました。戦争に発展することを止めようと思えば、止めることもできたはずです。しかし、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペインなど、どの国も戦争へ進むプロセスを止めることはなかった。具体的にはアドルフ・ヒトラーですね。彼はナショナリズムという名のもとに、気が狂ったとしか思えない悪魔の所業をおこなった人物です。彼が発端だとはありますが、ほかの国の政治家たちも、何らかのゲームに参入するように最終的には戦争に突入していきました。

 日本では天皇裕仁がヒトラーを心から信頼することはなく、積極的な協調関係を築かなかったことは不幸中の幸いでした。もしヒトラーと完全に手を組んでいたら、もっと悲惨な状況になっていたと思います。ですから、本作『独裁者たちのとき』に登場する歴史的な人物たちの資料を集めながら、わたしが理解しようと努めていたのは、どのように彼らが実際に行動していたかということです。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、チャーチルといった4人の人物がたがいに結束したり、あるいは反対に離反したりするとき、彼らのなかにどのようなロジックがあったのかということです。

 歴史的な検証をおこなったあとに、実際のシナリオの制作に入りました。4人の人物が冥界に入る前にさまよっているという虚構の物語ですので、どのような筋書きにできるか、どのように演出できるかを考えました。おとぎ話ですので、ありえない世界を舞台に想定しています。本作に登場する政治家たちは、自分がいかに神によって裁かれるのかを待っています。神的な空間をつくり、そのなかに4人をおいて、独裁者たちが自分の運命が決せられるのを待つ。そして、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、チャーチルのあいだで対話がなされますが、これは彼らが実際におこなった発言に基づくものです。これらの発言を集めることは難しいことではありませんでした。彼らの発言集や回想録が出版されており、資料として手に入れられたからです。それらの発言がどのような状況において、どのように発せられたのか、ということを参考にしました。

 今回の作品は『フェアリーテイル』というタイトルですが、ユニークなところは、完全な虚構ではなく、登場人物たちが実際に発した発言をそのまま採用していることです。この作品を製作するにあたって、独裁者たちが実際にどのような人生を送ったのか、ということに焦点をあてたかった。それをリアルに再現することにより、作品を見る観客からの信頼も得られるのではないかと考えたからです。

 こうして独裁者たちの正真正銘の発言をそろえたところで、今度はどのように映像を組み立てるかという段階になりました。フィルムのアーカイヴを利用しました。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、チャーチルが写った実際の映像を使っています。これは冗談ですが、わたしは死後の世界に電話をかけて、4人の人物と会話をしました。わたしの映画に出演してくれるように頼んだのです。ムッソリーニは最初は嫌がりました。スターリンやチャーチルは乗り気で、撮影にどのような服を着たらいいか迷っていました。スターリンは「特別に燕尾服を着ていったほうがいいか」と気にしていました(笑)。

――本作『独裁者たちのとき』の摩訶不思議な映像世界なのですが、本人たちのアーカイヴヴ映像を使って、どのように創造していったのでしょうか。

ソクーロフ それは説明するのが難しいですね。一般的なコンピュータ処理ではなくて、手作業によるものが多かったからです。具体的には、まずアーカイヴ映像をそろえて、そのなかからわたし自身が興味深いと思うエピソードを選んでいきました。どういうところがポイントだったかというと、独裁者たちがそれぞれ感情的になっている、より人間くさいところを選び、そこから小さい小さい映像の断片を切りとりました。そうした断片を集めて、ひとつのブロックに組み立てました。たとえば、ヒトラーが道を歩いていて、立ち止まり、こちら側を振り返る場面があります。その場面を切りとって、ヒトラーの部分だけをトリミングして、映画のなかに入れこむという感じです。これはヒトラー自身が実際に振る舞った生の映像を使っています。ですから本作の製作にあたって、いかなるディープ・フェイクもコンピュータ・グラフィックスの技術も用いられておりません。当然のことながら、俳優が演じているパートもありません。

 たとえば、ヒトラーが少し思案にくれて、頭をもたげて、悲しそうにする場面が映画のなかにあります。これは彼の本当の姿です。過去のアーカイヴ映像で、たしかにヒトラーは何かの考え事にふけり、悲しそうにしている場面があったので使うことにした。チャーチルはといえば、当時発明されたばかりの巨大な無線電話機を使って話をする場面がありますが、あれもチャーチル本人の実際の映像です。それを切りとり、本作の物語のなかで必要な場所にはめました。ですので、これらの登場人物のことを理解し、彼らのことを感じることがとても重要でした。大切だったのは、過去のアーカイヴ映像のなかから、いかなる重要なシーンも見逃さないということです。大量の映像をずっと観ていると、もちろん目が疲れてきます。頭も疲れます。それで、なにがしかの大事な瞬間を見落としがちですが、そういうことがないように気をつけてつくりました。

【映画情報】

『独裁者たちのとき』
(2022年/ベルギー・ロシア/ジョージア語・イタリア語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・英語/78分)

監督・脚本:アレクサンドル・ソクーロフ

音楽:ムラト・カバルドコフ
音響:アレクサンドル・ヴァニュコフ
コンポジション:ヴャチェスラフ・チェルパノフ
出演:アドルフ・ヒトラー(本人 ※アーカイヴ映像)
ヨシフ・スターリン(本人 ※アーカイヴ映像)
ウィンストン・チャーチル(本人 ※アーカイヴ映像)
ベニート・ムッソリーニ(本人 ※アーカイヴ映像)

提供・配給:パンドラ

公式サイト:http://www.pan-dora.co.jp/dokusaisha/

4月22日(土)〜ユーロスペースにてロードショー、全国順次公開