【Review】孤独だったそれぞれの時間、響き渡る夜明けの声ーー『東京組曲2020』 text 井河澤智子

©️「東京組曲2020」フィルム パートナーズ

あの頃、あなたは、どう過ごしていましたか──

新型コロナウィルスの流行により、「普段の生活」が失われたあの頃。

「新しい生活様式」という旗印の下、人々は集うことも語り合うことも、触れ合うことも顔を見せることもない生活を送ることとなった。

あれから3年。奇しくもその得体の知れない感染症が「5類」に移行するのとほぼ同時に、コロナ禍初期の人々の暮らしを描いた『東京組曲2020』が公開される。

あの頃、あなたは、なにを思って過ごしていただろうか。

その問いは、諸々の記憶がある程度整理された頃はじめて答えが出るものだ。

未知の脅威として現れた、新型コロナウィルスCOVID-19。

2020年1月、日本で最初の感染者を確認。

翌月2月、日本国内で最初の死者を確認。

4月7日、最初の緊急事態宣言発令。

社会が緩やかに停止し始めた2020年3月から、ようやく動き出したこの春まで、はたしてわれわれは、この停滞がこんなに長く続くと思っていただろうか。

だいたいにおいて、天変地異に晒された人々の行動は滑稽である。

マスク買い占め、転売騒動。朝も早よから入荷するかしないかわからない薬局の前に長蛇の列ができる。

──個人的な話で申し訳ないが、仕事上不織布マスクの用意を求められた時、既にそれは入手困難であり、ダメで元々と、かつて外国人観光客の爆買いの舞台であった新宿の薬局をふらふら回っていたがどこも品切れ、そんな時物陰から「あそこに売ってますよ」と天の声。嬉しそうに出てきた女性の後ろをついて行ったら「ひとり一箱限り」で売っている店があった。まるでなにかの裏取引のような光景であった──

どこに入ってもアルコール消毒の瓶。しかもご丁寧に「手を触れることがないよう」足踏み式ポンプ。消毒しすぎて手が荒れる。あの頃よくお腹を下していたのは、常在菌まで除菌されてしまっていたからだろうか。

疾病予言と蔓延予防の怪異アマビエ、突然の大流行。

学校も劇場も映画館も閉鎖された。配信がメインとなり、全ての学問も娯楽もパソコンの中にあった。

医療関係者に感謝、とブルーインパルスが飛行、それでいいんかと思ったら案外喜ばれたとのことで、なにが力になるかわからないものだ、としみじみ思ったものある。

なによりも可笑しかったのは、ありがたくも政府より「不安がパッと消える」おまじないとして、日本全国津々浦々のご家庭にガーゼマスク(2枚)が配布されたことだろう。小学校の給食時間を思い出させるような、懐かしさ漂うそのフォルム。おそらく今も、ご家庭の引き出しの奥底に眠っているであろう、謎の聖遺物──あの頃、安倍首相があんな驚くような亡くなり方をするとは、誰が予想していただろうか。

そして、東京オリンピックの延期。1年延期して、なお収束せぬコロナ禍の下ほぼ無観客で開催されることになるなど、当時誰が想像していただろうか。

いったい今はいつの時代か、スペイン風邪が流行った時代か、それとも奈良の大仏建立の時代か、と思わせるような事態がいくつもあり、かくして感染がおさまったのか、それとも白旗が揚がったのかは不明だが、かのCOVID-19が5類相当に移行しようとするこの時期、ようやくあの頃なにが起きていて、感じていた焦燥感がどれほど切実かつ滑稽なものだったのか、やっと振り返ることができる時期がきたのかもしれない。

それは、例えば阪神・淡路大震災や、東日本大震災の記憶を語るためにはある程度の時間を要したことに似ている。冷静であらねば、語りは説得力を持たない。

 東アジアにおいては、2003年に大流行したSARSも想起されたかもしれない。新型コロナウィルスの大流行によって、改めてあの頃のことを思い返した人々も多いことだろう。

これまで襲いきた様々な災厄から、人々はどう再生してきたのか。

©️「東京組曲2020」フィルム パートナーズ

三島有紀子監督は『幼な子われらに生まれ』(2017)『Red』(2020)などの劇映画で知られるが、元々はNHKでドキュメンタリーの製作に携わり、阪神・淡路大震災の現場取材も経験してきたという、災害を記録に残すことの重要さと人々の心の動きを知る監督である。

そのような経験を持つ三島監督と、彼女のワークショップに参加していた役者たち20名によって奏でられる『東京組曲2020』。三島監督が聴いた、ある夜明けの泣2020年4月という早い段階から、緊急事態宣言下における彼らの生活をセルフ撮影し編集した、「異常事態にある人々の普通の暮らし」のモザイクである。

役者(そして監督)という「不要不急」とされた業種にとって、あの頃はとてつもなく厳しい時期だったであろう。撮影や舞台がキャンセルされ、仕事がなくなった者、リモート演劇の収録をする者、部屋の中でひとり踊り狂う者、外出自粛の流れの中で急に需要が増えた仕事で身を立てることとなった者、することもなくあてどなく歩き回る者、恐怖に怯えながら地元に戻った者。個人のカメラで映し出される彼らの様子や、あの頃の街の景色は、先の見えない不安に満ちている。

一見つながりのない彼らの日常は、三島監督が耳にした「明け方に響く女性の泣き声」を通奏低音として、緩やかな「群像劇」となってゆく。

その声は、彼らの「鬱屈」「くるしみ」「不安」が聴かせた声なのかもしれない。

彼らが心に抱いた感情の揺れが、大きなうねりとなって、3年後のわれわれに押し寄せてくる。

しかしよく考えると、彼らは「演じる」ことを生業とし、「撮られる」ことに慣れている人々なのだ。セルフとはいえカメラワークなど手慣れたものである。はたしてカメラの前で素を晒すことがあるのだろうか。ある人は悠然と「丁寧に暮らし」、ある人は定点カメラの前でひたすら泣きしずむ。虚実皮膜、実に上手い。見た目においてはあらかじめある程度整えられているのだ。

また、「監督が方向づけをして」「対象に積極的にアドバイスをしている」という点で、コントロールが加えられる。そうして記録された日常を、さらに三島監督が編集する。

「シネマ・ヴェリテ」と呼ばれるスタイルだが、劇中では「半分ドキュメンタリー」とあらわされる。そこまで凝った手を加えてやっと、コロナ禍初期における個人の生活を、表現することができるようになったのかもしれない。

あの頃の彼らの焦燥感は、時間というフィルターをかけ改めて観察され、丹念に整えられ、練り上げられ、届けられる。そして観る者は、無意識のうちに自らの記憶・経験と重ね合わせて「実感する」。個人の記憶は時代の記憶として共有されてゆくのだ。われわれもまた、この奇妙な群像劇の登場人物なのかもしれない。彼ら20人の役者たちと同じように、われわれも不安を抱えたままあの頃を過ごしていたのである。

今まさにタイムリーなトピックとして、コロナ禍に絡んだ作品はいくつもある。そのことについては、「撮りたくなる事態」「記録するべき事態」であることはたしかにそのとおり。しかし、コロナ禍が明けきらぬうちに発表されるものの中には「撮って出し」といった性急さを否めないものも多い。その中で、『東京組曲2020』は非常に洗練されたドキュメンタリーである。劇映画で監督を知った人は驚くであろう。

皆「孤独であること」に飽き、この奇妙な感染症に「慣れ」はじめているこの頃。

ようやく街が賑わいを取り戻し、かつての生活とは少し違った形ではあっても生活が元に戻りつつある今、『東京組曲2020』は、この3年間という決して短くない異常事態がわれわれに強いた意識の変化、そして日常のよろこびを、改めて感じさせてくれる。

ただ、あの頃の生活を「近過去として俯瞰する」という行為は、偶々この2023年春、われわれを縛ってきた制限がようやく外れつつあるからでしかなく、「新しい生活様式」が続きやがて当然のものとなっていく別の可能性も、あったのだ。巡り合わせとは不思議なものだ。

20人の役者たちに重ねて、自らのこれまでの生活に思いを馳せる。

私たちは、あの頃、どうしていたんだろう。

そして、これからどうしていくんだろう。

©️「東京組曲2020」フィルム パートナーズ

【映画情報】

『東京組曲2020』
(2023年/日本/ドキュメンタリー/カラー/アメリカン・ビスタ/5.1ch/95分)

監督:三島有紀子
音楽:田中拓人
撮影:出演者たち 今井孝博(JSC) 山口改
編集:加藤ひとみ 木谷瑞
調音:浦田和治
録音:前田一穂
音響効果:大塚智子
タイトルデザイン:オザワミカ

配給:オムロ
製作:テアトル・ド・ポッシュ

出演:荒野哲朗 池田良 大高洋子 長田真英 加茂美穂子 小西貴大 小松広季 佐々木史帆 清野りな 田川恵美子 長谷川葉月 畠山智行 平山りの 舟木幸 辺見和行 松本晃実 宮﨑優里 八代真央 山口改 吉岡そんれい (五十音順)
松本まりか(声の出演)

公式サイト:alone-together.jp/  

5月13日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

【執筆者プロフィール】
井河澤 智子(いかざわ・ともこ)
茨城県出身。コロナ禍をまともに食らったあの頃のことをまざまざと思い返し、
なんというしんどい日々だったろう、と自分を抱きしめてあげたい気分になっている今日この頃である。

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